境界線のあれこれ 3    <プールの中の境界線>

自己流ですが、本格的に泳ぐようになって20年以上が過ぎました。


その20年の間に、プールの雰囲気が大きく変りました。


私が泳ぎ始めた頃の公営プールは、どこでも若い人がほとんどでした。
たまに、きっと昔は水泳部だったのだろうと思われる泳ぎ慣れた中年の方がいたぐらいだったように記憶しています。


まぁ記憶というのは、とてもあいまいなものなのですが。


そして来場するほとんどの人が、「泳ぐ」ことが目的でした。


十数年ぐらい前でしょうか。
プールの中を「歩く」人たちが出現したのは。
水中ウォーキングで検索していくと、1995年頃に「アクアエクササイズ」として紹介している本があるので、1990年代に入ってからだと思われます。


今でこそプールの水中ウォーキングは当たり前の光景ですが、当時は泳いでいる人に混じって歩いている人がいることにとても違和感を感じました。


水の中を「歩く」の次に出現したのが、水の中で「踊る」、アクアビクスでした。


エアロビクスが日本の社会になじんだこともあって、音楽をかけて水の中で踊ることにも抵抗がない人たちが増えました。


1990年代はフィジカルエクササイズが一般化し、健康への関心が高まり、それに伴ってプールに来る年代層も一気に広がりました。


泳げないけれど水の中を歩くのであれば、あるいは陸上でのエアロビクスは無理だけれど水中ならできそうと、プールに来場する中高年層が増えました。


また中高年向けの水泳教室も増えて、60代70代と思われる方々がとても増えました。



<プールの中の境界線が増える>


以前のプールというのは、上級者・初心者コース、周回コースなど泳ぐことが主目的で、しかも泳速別にコースが分けられていました。


「泳ぐ」「歩く」「踊る」を、同じ面積のプール内で安全に実施するためには、専用のコースを設けることが必要になります。


最近では、1コースがウォーキングコース専用に確保されているプールがほとんどです。
時間帯によってはほとんど歩く人もいなくて泳ぐコースがとても混雑していることがあるのですが、それても厳然と「泳ぐ」と「歩く」の境界線は引かれたままです。


以前はいつ行っても自由に泳げましたが、ここ10年ほどは泳ぐためのコースがだんだんと減らされてしまって、行く前にプールの予定表を確認する必要が出てきました。


アクアビクスをしている隣のコースを泳ぐのは、大しけの海に投げ出されたようなものです。


同じ水の中でも動きの全く異なる運動を同時にできるようにするために、プール内の境界線が増えた。
それが、この20年で感じる大きな変化のひとつです。


<さらに境界線は増えていく>


私も最初の頃は500mも泳ぐとへとへとでしたし、速い人たちにどんどんと追い越されていました。


継続は力なりで、最近はかなり速く、そして長く泳げるようになりました。(ちょっと自慢させてください)


自分自身がある程度速く泳ぐレベルになって、水泳というのはかなり全身の感覚を周囲に向けているものだということがわかるようになりました。
車の運転に似ているかもしれません。


公営のプールでは、1コース内を往復できるようにしてあったり、追い越しができるようなコースがあります。
狭い中を反対側から泳いでくる人とぶつからないように、あるいは追い越す際の距離感や速度など、瞬時に計算しながら泳いでいます。


決して相手の泳ぎを邪魔しないように、相手も自分もスムーズに泳ぎ続けることが配慮できる。
それは周囲を見渡して自分を客観的に見ることができる能力ともいえるかもしれません。


私がまだ初心者だった頃、上級者の人たちに配慮してもらいながら泳いでいたのだということがわかるようになりました。


それでも当時のプールは、まだ「泳ぐ」ことが目的の人たち、しかも20代30代までの人がほとんどでしたから自分の泳力と同じコース内の人たちとの関係を自然と見極められる人が多かったように思います。


ですから、2コース分を「周回コース」として、速い人は真ん中を追い越して行き、プールの端でターンをして連続して泳ぎ続けることも可能でした。


ところがこの数年、この「周回コース」があちこちのプールからなくなってしまいました。


たぶん、初心者の中高年スイマーが増えたことが一因ではないかと推測しています。


後ろから追い越す人のために、コースロープよりに寄って泳ぐことができない方が増えたように思います。
おそらく自分が泳いでいることだけで必死なのでしょう。


また後ろから速い人が泳いできたら、プールの端でその人に先を譲るということもできない方が多いようです。
マナーという意味ではなく、自分自身がプールの端に到着しただけでいっぱいいっぱいで周りが見えていないように見受けられます。


自分がどれくらいの速度で泳いでいて、相手との距離はどれくらいなのかということが見えていないのではないかと思います。
また年齢とともに関節も固くなるので泳ぎのフォームも横へ広がりやすいのですが、それが他の人の泳ぎを妨げていないかどうか客観的に見えないのかもしれません。


追い越す側にすれば接触しないように、ぎりぎり近づいたところで追い越してターンをしていかなければなりません。
どちらかというとそういう速い人たちの方が、周囲を見渡して相手に配慮しながら泳いでいるのだと思いますが、追い越される側にとっては「あおられてこわかった」「危険な泳ぎをしないでほしい」という感想になるのではないかと思います。


プールでそうしたトラブルを目にする時に、第三者的に見ると怒っている人の方が周りを見ることができていなかったり、周囲に配慮してもらっていることに気づけていないことが多いと感じます。


そしてトラブルを防ぐために、またあらたな境界線がつくられていく。


水泳人口が増えてさまざまなレベルの人が泳いでいるのでしかたがないことですが、あの自由に泳げていた周回コースが懐かしいこのごろです。





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