水のあれこれ  105 海水を堰き止める

時々通過する川を幾度となくみているうちに、天候にかかわらず、水位の変化が大きいことに気づいたのが数年前でした。

東京湾に流れ込む河口から数キロメートルあたりですが、潮の満ち引きに関係しているようです。

ふだん河口付近や川の下流に馴染みがある方には当たり前の変化だと思うのですが、真水でもなく海水でもない水がそこにあることが印象に残りました。

 

昨年の晩秋に芝公園から新橋へと歩いた時に、汐留を歩きました。

今ではおしゃれな商業地域ですが、私にはだだっ広い旧国鉄跡地の印象が強い場所としてその地名が記憶されています。

散歩をした時に、なぜ汐留というのだろうと疑問が湧きました。そのあと、どこで読んだのか思い出せないのですが、「潮を止める」という意味があることを知りました。

 

その後、購入した「水」が教えてくれる東京の微地形散歩(内田宗治氏、2013年、実業之日本社)の中に、答えがありました。

 

現・霞ヶ関ビル付近に作られた江戸時代版、多目的ダム 

 

 赤坂見附交差点から虎ノ門にかけてのかつての外濠は、今でいう多目的ダムをこしらえることによって作られた。このダム湖が、地下鉄銀座線の溜池山王駅や、溜池交差点として現在も地名が残る「溜池」である。

 この区間は、明治時代に埋め立てられ、現在は外濠通りとなっている。通りの両側にはビルが林立して、濠や池だったことを想像できる痕跡はまったくない。前出の地図に加えて、明治十六年の地図も併せて眺めてみよう。

 赤坂見附から日枝神社の高台の下を通り、現在は首相官邸になっている輪島邸の崖下にかけて、水色で示された溜池が細長く伸びている部分が、溜池山王である。洗堰と名付けられたダムが、現在文部科学省の建物や霞ヶ関ビルが建つ工部大学校前にあった。

 洗堰を作った第一の目的は、川を堰き止めて出来上がった溜池を、城防御のための外濠の一部とすること。第二の目的は、溜池を飲料水の水がめとして利用することである。一六〇六年、洗堰が築かれてから、一六五四年に玉川上水が完成するまで、ため池の水は、江戸市中の飲料水として使用された。さらにダムのもう一つの目的は「汐留」、すなわち満潮時、海水が川を遡るのをここで食い止めるためである。海の水が混じってしまえば、飲料水として使えない。(p.69~70)

 

Wikipedia汐留の「沿革」によれば、江戸時代以前は「江戸湾東京湾)の湿地帯」だった場所を、1603年以降、埋立地にしたようですが、海水が混じらないようにするためのダムだったようです。

 

ため池から飲み水を得て、玉川上水から豊富に真水を得られるようになるまで半世紀。

当時の寿命の短さを考えると、海水を堰き止めることが実現したことも見ないまま亡くなっていった人も多かったことでしょう。

塩の混ざった水から真水を得るにも、気が遠くなるような歴史です。

 

 

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