シュールな光景 12 現代の地獄絵図

大規模災害が起きると自衛隊や警察、行政やさまざまなインフラ関係の方々が救援に従事されているニュースを見るたびに、悲惨な状況、特にそれまで普通に生活していた方々のむごい亡骸を見ることはその後の人生にどんな影響を与えているのだろうといつも心配になります。

 

おそらく地獄絵図を思い起こさせる状況ではないかと思います。

 

子どもの頃に両親から地獄絵図を何度か見せられた記憶があります。

今なら子どもに怖い絵を見せて脅かして教えるのは、虐待とも言われかねませんね。

 

この「地獄絵図」も現代では使われなくなってきたのか、案外、詳細な説明はありませんでした。

コトバンクでは「地獄で亡者が苦しむ有様を描いた絵」「きわめてむごたらしい状況になること」だけですし、「ニコニコ大百科」に少し詳しい説明があるだけでした。

古代日本、特に末法の世を呈した鎌倉時代後期などでは仏教が盛んであった。仏教に帰依した人間により善い生き方を勧めるよう、坊官はある種の絵師に「もし死後(八大)地獄道に落ちたらどうなるか」という絵図を描かせた。地獄行きという罪業を強調するため、死の山・血の河は当たり前、仏教の八大地獄の描写に依る責め苦や量刑を描写し、それはまさしく頭身の毛も太る凄惨な地獄の絵図だったという。(以下、略) 

 

少しあいまいまいですが、伊勢湾台風や狩野川台風の災害支援に行った話も父から聞くことはありませんでした。

そして軍国少年としてエリート教育を受けた父から、戦争の話も聞いたことがありません。

 

もしかしたら本当の地獄絵図を見てしまった人というのは、心の奥深くに封印してしまうものなのかもしれないと思えるようになったのは、ちょうど1990年代初め頃からPTSDとかトラウマという言葉が広がった頃だったでしょうか。

 

 

*地獄絵図も通用しない現代なのかもしれない*

 

先日、駅構内で転落して亡くなった方の現場でスマホで動画や写真を撮る人がいたことがニュースになっていました。

 

事故現場ではご遺体への敬意を持って「指一本まで集める」方々が働いているのに対して、それを写真に撮ろうとする人がいる。

そのような場では「写真を撮りたいと思っても気持ちを抑える」、とならない人が一人や二人ではなかったことに愕然としました。

 

死と向き合うことが格段に少なくなったゆえの、「現代の地獄絵図」を見たような気持ちになりました。

 

 

 

 

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