反動から中庸へ 9 新しすぎても古く感じる

半世紀以上生きると、たぶん「これは新しいもの」「これは新しい考え方」に惹きつけられては、結局、そうでもなかったという残念感を経験するのか、最近では「新しすぎても古く感じる」ことが増えました。

 

最近、次のiPhoneは完全にワイヤレス充電になって差込口がなくなる(かも)というニュースを読みました。

そういえば無線充電ってどんなのだろうと検索したら、パッドの上に置くのですね。

物が増えて、スマートじゃあないなという印象でした。

 

iPhoneを使い始めてもうじき丸9年になるのですが、パソコンの機能だけでなく、時計動画など、本当に今や生活の中でなくてはならない存在になりました。

10年前のiPhoneがなかった時代を思い出せないほどです。

その分突然アプリや記録がなくなるとか広域の通信障害とかドキドキさせられることも増えましたが、便利さのためにはこちらも慣れて行く必要があるので仕方がないことですね。

 

最初の頃は、ヘビーユーザーではない私でも「次のiPhoneってどんな新しい機能がつくのだろう」とちょっとワクワクすることもありました。

ところが、さまざまな本体やアプリの変化も「便利そう」と思って試してみても、結局は手間が増えることが多く、あまり期待しなくなりました。

そして、本体自体もワイヤレスや画質にこだわるあまり、最近では「次はどんな風に変わっちゃのか」「何が使えなくなるのか」と戦々恐々で発表を待つ感じです。

先ごろのカメラのレンズが増えた外見は、私には重たく感じました。まあこれは好みの問題ですけれど。

 

新しさにこだわりすぎているのではないかと、最近の話題を受け止めています。

 

SEサイズが来年そうそうに出るかもしれないという期待で、待っているところです。

どうかそれまで壊れませんように。

 

 

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