懐かしい雁堤(かりがねづつみ)を眺め、富士川のそばにある水神社へと向かいました。
鎮守の森は富士川橋のたもとにあり、灰色の瓦屋根に鮮やかな朱色の柱という珍しい社殿です。
着いた時はまだ10時50分でしたが、ずっと歩き続けてすでに1万3000歩を超えていたので神社の木の椅子で休ませてもらいました。川の音がずっと聞こえてきます。
2023年に訪ねた時はこの富士川橋を渡ることなく引き返したので、今日はそのやり残した宿題です。
富士川を歩いて渡り、右岸の少し上流にある「水年貢の湧水」と「東名高速道路竣工記念碑」を訪ねようと思います。
さあ、元気が出たので出発しましょう。
*富士川橋を歩いて渡って右岸へ*
前回は気づかなかったのですが、富士川橋の上流側すぐのところに両岸にかかる堰があり、神社の裏手に左岸側への取水口がありました。これが「川の音」の理由でした。
交通量が多く、トラックが通ると振動で大きく揺れます。
歩道は反対からくる人とようやくすれ違うことができるくらいの幅です。
橋はそれほど高くはないのですが、最近はほんと大きな橋を渡るのにおじけづくようになりました。怖いことを妄想してしまうだけでなく、突発的な川風だと私ぐらい吹き飛んでしまいますからね。
反対側から人が来ませんようにと祈りながら歩いていたのですが、結構歩いて渡る人がいます。落ちないようにあわてて道路側へと寄るのでした。
富士川の流れは美しいのですが、離れて見る方が良いですね。
あらためてこの日の写真を見返すと、橋と堰の間の10mほどは水がありません、ほとんど取水されているのですね。大きな橋を渡るときは怖すぎて、目に入っていなかったのでした。やれやれ。
*富士川右岸をちょっとだけ歩く*
富士川を渡ると、足元に「東海道」の印がありました。「旧東海道」はこの少し上流で渡しでつながっていたようです。
富士川沿いの道を5分ほど歩くと山がぐんとせまった道沿いになり、そこに「水年貢の湧水」があるはずです。
地図で「水年貢」と見つけて、初めて聞く言葉でしたがなんだか昨今の状況に重なるようで訪ねてみようと思いました。
少しずつ上り坂になり海抜29mとありました。このあたりのはずですがGPSをつけても見つかりません。
もしかしてと思ったのが、窪みの中に水道のような蛇口があって水がずっとでっぱなしになっている場所でした。表示はありませんでしたが。
このあと東名高速道路竣工記念碑を訪ねる予定でしたが、地図では直線距離150mほどでしたが目の前にあるのは見上げる坂道で断念しました。この高台の上に東名高速富士川SAがあるようです。
右岸側はほんと平地が少なく、左岸とは趣が異なりますね。
そうそう、先ほどの水神社の案内にこんなことが書かれていました。
元々は、富士川西岸と地続きであり、岩淵村で祀っていた。
ああ、ようやく水神社の御由緒に書かれていたことがつながりました。
此の森富士川洪水によりて時に中つ瀬となるも覆水損壊することなし、駿河と代名される如く急流にして瀬浅く川筋定まらず、溢水の都度岩床に衝りて幾多に分岐し、逗留して岳南原野を荒廃すること度々なり
橋のたもとにある水神社の小高い場所は、河道が定まらずに洪水に巻き込まれても「中洲」のようにして難を逃れていたのですね。
そして現在の東名高速道路、東海道本線そして東海道新幹線が越えるあのまっすぐな富士川の姿ではなく、山あいから流れてきた水は現在の東名高速道路の南側で「いく筋にも広がって流れていた」。
雁堤により、「爾来長堤決壊することなく水流定まりて加島五千石沃野開拓の礎となり今日の繁栄を来したり」ということがようやく理解できました。
あっという間に新幹線では通過してしまう富士川ですが、知れば知るほどすごい歴史ですね。
雨がぽつりとあたりました。本降りまではまだ大丈夫そうですが、西側の山に雲がかかり始めましたから急ぎましょう。
東名高速道路の歴史はまたやり残した宿題にして、富士川橋をまたおそるおそる歩いて左岸に戻りました。
「散歩をする」まとめはこちら。
新幹線の車窓から見えた場所を歩いた記録はこちら。