散歩をする 438 鳴門線沿線の水田地帯から勝瑞へ

阿波国の散歩の記録のはずが、訪ねた場所の歴史をたどっているとあれこれやにつながってしまうので、このところ寄り道ばかりですね。

 

そんな時に「文句ばかりで自分のことしか考えられない…これが今の日本人の姿なのか」(2023年6月18日)というタイトルを見かけました。ああやはり経世済民からはほど遠い、仮説を社会にそのまま実験してその失敗の責任を取る仕組みもない「経済学者」簡単に政策を変える政治家に翻弄させられてきたのだと、またふつふつと積年の思いが溢れてきました。

 

ヒトの生活史もわからないまま思いつきと信念で社会に影響を与えたいという思いが強い人とは、なかなか分かり合えないものですね。

 

さて、美味しいお昼ご飯落ち着いた街を歩いたあとは、夢に見ていたJR鳴門線沿線の車窓の風景です。

この計画を立てていた時に偶然、六角精児さんの「呑み鉄」でJR鳴門線の車窓の向こうに広がる蓮の葉と稲穂の風景を見ました。「これは行きなさい」という啓示に違いありません。

残念ながら4月初旬なので、蓮の葉もなさそうです。

 

 

*水田地帯から蓮田へ*

 

14時3分鳴門駅発の列車ですが、13時45分には入線していたので乗りました。通勤では秒単位で列車時刻に合わせているような生活なので、のんびりと乗車したまま十数分もぼーっとできるのも休日の醍醐味ですね。

 

しばらく住宅地が続いたあと、運河のようにゆったりと流れる新池川沿いを走りました。「教会前駅」のあたりから少しずつ水田が増え始め、水鏡の風景になりました。カトリック教会でもあるのかと思ったら、駅の近くに天理教の教会があるのでそれが駅名の理由でしょうか。

梨の果樹園や蓮田らしい場所が広がっています。ところどころ太陽光パネルになっている田んぼも見えます。

 

「呑み鉄」のあの蓮田はどのあたりだったのだろうと思っていると、池谷(いけのたに)駅で停車した時に、駅前の家の壁に「れんこんあります」という看板が見えました。

池谷駅からはぐいと南へと向きを変えて徳島駅へと走るのですが、東側に蓮田が続いている場所がありました。ビニールハウスの中にようやく水の中から出てくるぐらいの蓮が育てられているのが見えました。同じ水を張った水田とも違い黒い旗があちこちに立っています。なんのための旗でしょう。

腰が曲がった高齢の方が何か作業をされていました。外は22度で初夏のような暑さとはいえ、水の中の作業は冷えることでしょう。

蓮を育てるにはその生活史を知る必要があるし、水を過不足なく準備して、何年ぐらいで安定した収穫になるのでしょう。本当に知らないことばかりです。

 

きっと2ヶ月後には大きく育った蓮の葉が一面に揺れている、六角精児さんが眺めていた風景になるに違いありません。

是非是非、その季節にまたいつか訪ねてみたいものです。

 

水田の風景が途切れて、またゆったりと流れる川を渡りました。旧吉野川です。

堤防側からだと、美しい川と趣のある鉄橋を列車が通過している風景に違いありません。

降りてその風景を見てみたいですね。

 

じきに勝瑞駅に到着しましたが、駅の表示で初めて「しょうずい」と読むことに気づきました。「かつはた」だと思い込んでいました。いやはや、阿波国の地名は難しいですね。

 

 

「散歩をする」まとめはこちら