山の中の県道をぐるぐると下りると、狩野川沿いの水田地帯になり大場(だいば)駅前バス停に到着しました。このあたりもまた美しい風景が多いのですが、先ほどまで新幹線のトンネルの上の水田の風景を見たことが幻想だったと感じるほど、不思議な丹那盆地でした。
バス停のそばに商工案内図と1986年(昭和61)の「観音川改修記念碑」が建っていました。商工案内図には用水路も水色の線で網羅されて、惹きつけられるように眺めました。「八ツ溝用水路」だけが名前を記されていて、地図と合わせてみると狩野川支流の観音川と来光川に挟まれた地域の幹線用水路のようです。用水路の名前を知ることができる地域には、その歴史に関心が湧きますね。
少し歩いて大場駅から駿豆(すんず)線に乗りました。伊豆のこの辺りの広々とした風景は、なぜか瀬戸内海沿岸を思い出させるので好きな風景です。
田方農業高校の馬も見えました。元気そうです。
丹那盆地から流れてくる柿沢川と来光川の川合を過ぎると整然とした水田地帯が広がり、これから歩く予定の場所も少し離れたところに見えてきて、久しぶりの伊豆長岡駅に到着しました。2019年はここから西側の狩野川放水路を訪ねたのでした。
*韮山反射炉へ*
2019年にこの駅に降り立った時に、韮山反射炉が世界遺産になっていたことを知りました。初めて訪ねたのは1960年代終わりごろなので、半世紀も経っていました。
古川沿いに韮山反射炉を目指しました。途中から古川に沿って用水路が高い位置に流れていて、水の音に癒されながら歩きました。豊かな水量です。
いちごのビニールハウスや水田地帯を山の麓へと近づくと、反射炉の一部が見えました。記憶の中の反射炉はもっと大きかったような気がしたのですが、やはり小学生の視線だったからでしょうか。
たぶん父が熱く何かを語ったのだと思いますが、全く関心がないどころかこういう建築物はおどろおどろしく見えて怖かったような記憶があります。
韮山反射炉の歴史を読むと、もしかしたらようやく江戸時代から明治時代の歴史がまとめられ始めて、1926年(大正15)生まれの父の世代はそれを確認したかったのではないか。
今、私が一世紀の長さを考えているように。
そんなことを思いつきました。
*韮山古川*
このあとまだ狩野川支流や水路を歩く予定があったので見学はやめましたが、Wikipediaの「韮山反射炉」を読み直していて大事な箇所を読み飛ばしていたことに気づきました。
韮山古川
韮山反射炉では鋳造した砲身に砲穴を刳り貫く鑚開作業に水車動力を用いたため、反射炉敷地脇を流れる古川を河川改修し、反射炉へ流れを蛇行させ、取水口から木樋で水車に水流を供給した。世界遺産としてはこの改修した区間約144メートルも含まれている。
次第に流下開削によって河床が下がったことから護岸が石垣補強されたが、上流からの流石や川岸の土砂崩れで取水口部分は埋もれてしまった。
なお、古川は一級河川に指定されているが、その起点は水車から排水された水流が再び川へ戻された合流点からとなっており、流れを改修された箇所(世界遺産登録範囲)やそれより上流の水源域は準用河川扱いとなっているが、世界遺産に求められる法的保護根拠としては河川法が適用されている。
「韮山反射炉のそばを流れる古川」を地図で見つけたのですが、そうですよね、動力として利用された川の歴史があったのに計画の段階では考えも及びませんでした。
狩野川支流のそれぞれの川にもそれぞれの歴史がありますね。もう少し上流を歩いてみればよかったのですが、またいつかの課題ということにしましょうか。
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