丸亀市内のいくつかのため池を歩きつくすぞという無謀な計画も、歩き始めて1時間ほどだというのに汗が引かなくなったので断念しました。
コンビニエンスストアに避難させてもらい、冷たいジュースをイートインで飲んでいるうちにようやく汗が引きました。
この時点で日差しは強いもののまだ30度前後です。早朝までの雨で、湿度が高かったのかもしれません。
今までも5~6月の30度くらいの日でも危ないこともあると感じていましたし、今年は3月中旬でも急に夏のような気温になった日になんだか危ないと感じました。
まして夏の散歩は救急搬送になってその地域に迷惑をかけてはいけないと気をつけていましたが、本当に熱中症というのは気温だけではないことを実感しました。
境内の木陰で涼んでいても「汗がひかない」ことにこれはかなり身の危険が迫っていると判断しましたが、この知識も最近では4月ごろからさまざまな媒体で熱中症の危険が伝えられている中でどこかで知ったのだと思います。
おそらく20年ぐらい前、いえ10年ぐらい前でもここまで危機感は持っていなかっただろうと思います。
やはりあの2018年の命に危険を及ぼすレベル、災害と認識する暑さを経験したあたりでしょうか。
そして体を冷やすために入る水の中さえ、水温が32度以上になると水の中でも熱中症の危険性が高まると知ったのもこの年でした。
*熱中症という言葉が常識になるまで*
熱中症という概念と言葉がいつから広がったのか「記憶の空白期間」があることを書きましたが、1980年代はまだ都内ではクーラーがある一般家庭の方が少なくて、勤務先の病院でさえも夜になると消していました。
「熱射病」「日射病」はありましたから、外の高温多湿の状況では気を付けるくらいだったでしょうか。
家の中ではたとえクーラーがあっても体を冷やしすぎてはいけないと考える人が看護職でもけっこういた記憶がありますし、「子どもにクーラーはいけない」「冷房で汗をかかなくなると汗腺が鍛えられない」「体を甘やかしてはいけない」といったことがまことしやかに言われていました。
代替療法しかなかった時代から現代医学へと変わる混乱の終わり頃だったともいえるでしょうが、いつの間にか「汗疹(あせも)ってなんですか?」という時代になりました。
1990年代半ばになると「家の中にいても熱中症になる」「高齢者のリスクが高い」ということがしだいに広がりましたが、私の勤務先の病院ではまだ熱中症での救急搬送受け入れは経験がありませんでしたし、たまに耳にしするその疾患にどのように対応するのだろうと文献を探した記憶があります。
2000年代になると高齢者層が増えたこともなるのでしょうか、高齢者の熱中症への呼びかけが多くなりました。夏でも夜になると窓を開けると寒いくらいの山間部でも、閉め切った家の中で父が熱中症になり、救急搬送されたことで実感しました。
しだいに車中での子どもの熱中症、夏さに体が慣れていない季節のイベントなどどの世代にも危険性が呼びかけられるようになり、以前のように「鍛えれば乗り越えられる」ものではないことが常識になってきました。
さらに外での作業が多い仕事や災害の対応にあたる方々あるいはその熱中症になった人を搬送する方々など、自身が熱中症にならないようにして働くための対応方法など築き上げられてきたことを考えると、熱中症という言葉さえ知らなかった時代からすごい変化だと思い返しています。
ちょうど10年前に「医療介入」とは蓄積されたデーターの応用と思いついたのですが、まさに熱中症の歴史がそうだと思い返しています。
「蓄積されたデーター」、そこにはたくさんの悲しい理不尽な結果もあり、世の中の納得できない気持ちを治療方法やケアの標準化に変えていくのだと。
それが恩恵となって社会に戻るには何十年という時間も必要そうです。
そして今の新型コロナの混乱が落ち着いて、未曾有の感染症だったことを社会が受け止め新たな教訓を得るにもこれくらい時間がかかるのかも知れませんね。
*熱中症について言及した記事のまとめ*
自分が生きてきた時間を振り返ると、ひとつの概念が明確になっていく時代が浮かび上がることがありますが、それはいつどういう変化だったのかは案外わからないままですね。
正確な年表にするというのは大変なことですね。
熱中症について書いたことがたまってきたのでまとめておこうと思います。「散歩する」は熱中症になりそうな中の散歩の記録です。
<2013年>
<2015年>
赤ちゃんに優しいとは 8 赤ちゃんや子どもの事故の情報を共有するために
<2016年>
<2018年>
仕事とは何か 8 何のためにそれをしているのか次第に明らかになる
<2020年>
<2021年>
<2023年>
「医療介入とは」のまとめはこちら。
失敗とかリスクについてのまとめはこちら。