世界はひろいな 58 「商い」の世界の家訓

地図で川や水路をたどって行き先を見つける遠出ですが、いく先々で「世界はひろいな」と思うことが増えました。

一本の用水路やため池ひとつとっても、歴史も生活も異なりますね。

 

3月下旬に訪ねた琵琶湖東岸の地域は、滋賀県の美しい田園風景が広がる地域です。

半世紀以上変わらない田園風景とどっしりした日本家屋が立ち並ぶ集落で、同じ半世紀なのに同じ場所で普通に暮らすことができなくなるほど風景が変わり、地域が変わってしまった我と彼の差はどこから来るのだろうと思い返しています。

 

数年前に「近江商人」という言葉を初めて知ったのですが、この「世界はひろいな」のまとめに書いたように商売とか経済には疎く、その感覚とか生活は想像できませんでした。

 

今回の散歩から少しずつ近江商人を知る中で、「三方よし」をはじめたくさんの家訓のようなものがあることを知りました。

 

 

*「近江商人語録」*

 

質素・倹約などが貫かれていたことが、いろいろな資料にも書かれています。

一般社団法人近江八幡観光物産協会に「近江商人語録」がありました。

 

商人の本務

商人に必要なのは才覚と算用と言われます。しかし、近江商人は巧妙な計算や企ては良しとせず、世の中の過不足を補い、需要と供給を調整することを本務としています。

伊藤忠兵衛(湖東商人 現:伊藤忠商事・丸紅)は「利真於勤」(りはつとむるにおいてしんなり)を座右の銘としました。

これは、投機商売、不当競争、買占め、売り惜しみなどによる荒稼ぎや山師商売や政治権力との結託による暴利ではなく、本来の商売活動に励むというのが「勤」の意味であり、その預託として得られるのが利益としています。

(強調は引用者による)

 

虚業と実業のイメージがもう少し鮮明になってきました。

 

どうやって近江商人はこうした考えを持つに至ったのでしょうか。

理念・商法

江戸時代の身分制度の中では、生産を行わない商人は低い階層におかれ、一部学者からは幕藩体制の基本である自給自足の体制を破壊する者と批判も受けていました。

しかし、近江商人は「儲ければよい」という考え方ではなく、社会的に認められる正当な利益を求め、地場産業の育成にも心掛けました。このことが、他藩から出入り禁止や締め出しを受けることなく商いを続けられたのです。

多くの近江商人商品流通の操作によって生まれる差益に依存したり、投機的な取引に手を出すことはつまらない商人のすることと述べています。そして、商人が品薄になっても余分な利益を求めることもせず、また天候が悪くても通常と変わらず店を開けるなど常にお客の便宜を考えた商いに徹していました。自分の店や商品が人々に役立ち、喜ばれ、社会に有益であるようにと心掛けることで、世の中に商人の存在意義と価値が認められたのです。

このような事は、家訓・家法・家憲・家則等の形として代々受け継がれており、明治維新終戦、等々の苦難を乗り越えてきた近江商人の企業の強さは、これらの経営理念の継承にあるのではないでしょうか

 

武士は敬して遠ざけよ

地域経済を左右するほどの実力者となると、大名との付き合いも多くなります。しかし、近江商人は極力権力に依存して利益を得ることを潔しとはしませんでした

 

どのような「失敗」からこうした理念にたどり着いたのでしょう。

そして、政治や経済の失敗が続く現代を、どう乗り越えていくのでしょうか。

 

私がイメージしていた「儲けてなんぼ」「政治の世界を動かす」といったものではない、別の商いの世界があることを知りました。

 

 

*おまけ*

 

近江八幡市だけでなく、この地域のあちこちの「観光協会」がこの近江商人の理念を詳しく説明していました。

自治体までが地域の生活を「観光資源」にする時代に、もっと違う観光のあり方があるのかもしれませんね。

 

 

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