近江商人の家訓は、何世紀も前からの失敗が家訓になったのだろうと思われますが、決して古く感じることがなくてむしろ「今こそこれが必要」と思う内容でした。
印象に残ったものをいくつか記録しておこうと思います。
*薄利多売とは*
ここ20〜30年ほどは、「良い品をそれなりの価格で購入する」よりは「できるだけ安く」という社会の雰囲気とともに「薄利多売」をよく耳にするようになりました。そのうちに、安く大量に商品を扱えるお店がチェーン店になり、個人商店が本当に少なくなりました。
そのチェーン店もまた他の大規模なチェーン店に取って代わり、どこに行っても同じような商店街の風景ですね。
「一つの商品の利益を少なくして大量に売り、全体として利益が上がるようにすること」(goo辞書)の意味だと思っていました。経済活動というのは、弱肉強食的が当たり前なのかと思っていました。
ところが違うようです。
薄利多売
一度で大きな利益を得るような商いは良しとせず、長期的な商いを行うことを求めています。そのため、日々の努力と始末が欠かせませんでした。
(一般社団法人近江八幡観光物産協会)
「長期的な商い」、どのような失敗からこうした考えになったのでしょう。
*「始末」とは倹約*
「始末」についてはこんなことが書かれていました。
しまつしてきばる
きばるは働く、しまつは節約の意味ですが、食べるものを食べず、着るものも着ずに無我夢中で働くという意味ではありません。
中井源左衛門(日野商人)は「金持ちになるのは決して運ではなく、酒宴、遊興、贅沢をせず、ひたすら長生きと始末をすることを心がけて商いに励むことが、五万・十万の金を溜める唯一の方法であり、貪欲な投機的商いは先祖の加護や自然の道理に見放され、結果的に成功には結びつかない。しかし、始末することとケチとは全く別のもので、ケチでは金持ちになれない。社会のために大枚をはたくときははたくが、無駄な金は使わず、世のため人のために生きる金を使い、飲むときは飲む、遊ぶときは遊ぶが、節度を持つことが必要で、金持ちになるためには、常に始末の心を忘れず奢りの心を戒めなければならない」と記しました。
小野善助(高島商人)は、「人はどこで生活するにせよ、思いやりの気持ちがなければ暮らしがたいものであると考え、常に相手の身に良かれと心がけ、自分の奢りのためには一銭も使わず、無限にある水といえども無駄にしないほどに始末をし、贅沢と自惚れにおちいることを警戒し、精勤と始末に徹して、北陸や東海地方を行商して、ついに奥州盛岡に開店することができた」と述べています。
(同上)(強調は引用者による)
一見、ここ30〜40年ほど流行った「自己啓発」っぽい内容ですが、似て非なりですね。
*良い世襲のために*
政治家の世襲に厳しい目が向けられている昨今ですが、きっと耳が痛いだろうと思う内容もありました。
押込隠居(おしこめいんきょ)
先祖の苦労の賜物により今日の繁栄があるのであって、主人としてはわずか30年ほどの間、奉公する身と思い、家業を守り商いの繁栄に努めるようにと伝えています。店の運営も、店と個人(主人)は別々のもので、主人の私有財産ではないと考えられていたため、独断で物事の決定は行われず、今で言う取締役会で開かれていました。
よって、不的確な人物なら主人の座を追放したり相続権の剥奪等の事例もあります。
(同上)
「押込隠居」、なんと奥の深い言葉で表現されているのでしょう。
Wikipediaの中井源左衛門の家訓にもこんなことが書かれていました。
・2代も3代も続けて立派な人物を輩出するためには、人に知れぬ善事をしていくより他に方法はない。
人間の歴史は、「金を儲け、権力を持つだけだと社会の失敗につながる」と身をもって経験し、その反省から世のため、人のために働き、お金を使うと言う時代を反動のように繰り返してきたのかも知れませんね。
そして今はその失敗に気づいて反動へと向かう時代なのかも知れない、そんなことを思いながらこれらの家訓を読みました。
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