今まではどんな状況にある人も見捨てないというこの国への信頼感がありました。
「国」とは象徴的な「愛国心」とか政府のイデオロギーのことではなく、行政のことだけでもなく、問題に対して失敗を活かしてより良い社会へと変わろうという社会の雰囲気という感じでしょうか。
あるいは短期的な経済的繁栄だけでなく、長期的により多くの人に普遍的な幸福がもたらされるような方向性という感じです。
ところが、最近、なんだかその信頼感が怪しくなってきました。
いつの間にか搾り取られているような気がするからです。
私にとって搾取という言葉は軍事政権とか独裁政権あるいは経済力が違う世界をまず思い出すのでふだんの会話では強過ぎる表現だったのですが、最近はひしひしとわが身に迫ってくる感じがあります。
*日常の「搾り取られてる感」*
消費税が導入されてからはかつての所得税の2倍に相当するような税金を払っていて、国の税収が過去最高というニュースまであるのに、年金は先送りされ健康保険料増額と希望が失われるような話題ばかりなのはなぜなのでしょう。
未曾有の感染症で仕事を失ったり給与が減る人が全体のどれくらいいるかわからないのですが、絶対必需品のマスクの購入とその消費税も大きな出費になっています。
さらに物価高に加えて、加工食品類がひと回りもふた回りも小さくなったので出費の痛手は今までの中で一番大きく感じます。
食品や日用必需品を一時的でもいいので非課税にしたり、外食などを軽減税率の対象にするだけでも実質的な補助になって、もう少し社会全体に希望を与えるのではないかと思いますね。
直接の税金や社会保険だけでなく、日常的に搾り取られることも増えました。レジ袋の流れは当初の目的とは違うのではないでしょうか。
最初はたしか環境に優しいものであれば消費者には負担がない制度だったはずなのに、いつの間にか素材が改良されたレジ袋だけでなく紙製の袋まで3円とか10円とかかかるようになりました。
しかも価格と品質がバラバラです。
銀行の手数料がどんどんと増えて、利子は年間でも十何円なのに手数料だけ搾り取られているのは、銀行に預金することのペナルティのようですね。
その預金を投資へと向けさせて、年金まで政府から投資を勧められる世の中になりました。失敗しても個人の責任ですけれど。
*搾り取ったものを使うのは誰なのだろう*
情報がお金になる時代になって、存在を証明するのにポイントがつくなんて驚きの話になったと思ったら、議論を飛ばして義務化という強権的な方向になりました。
やはり「うまい話」はないですね。
スマートフォーンができてたかだか十数年、すごく便利で進化していき日常生活では必需品になりましたが、さまざまなトラブルに対してのリスク分散がまだまだ必要なのに、その大元の通信会社などが潰れた時にはどうなるのだろうとか不安があるのに、一気にスマホでなんでも手続きという方向に進むのはリスクがあり過ぎるように思えるのですけれど。
さらに、日常不可欠の通信機器を持つための高額の費用と通信料金は個人持ちですからね。せめて軽減税率の対象になってもおかしくないと思いますが。
そして電話と最低限のメールだけしか使わない人でも、スマホを持たざるを得ない社会になりました。
社会全体に給与が抑えられていて、物価やら日常生活を維持する費用や社会保険料がどんどんと増えていくのに、なんだか元気なのが「ポイント会社」のような気がしますね。
給与が右肩上がりだった時代、正規雇用が当然で社会保険への信頼があった時代、そして銀行の利子がそれなりにあって将来の生活設計もたてられた時代には、ポイントなんてしょぼい話だったのですけれど。
あちこちからうまい話で搾り取られているような、そしてあくまでも妄想ですが、国の手法があのような団体と似ているような気がしてきました。
「搾取」とは、「階級社会で、生産手段の所有者が生産手段を持たない直接生産者を必要とする労働時間以上に働かせ、そこから発生する剰余労働の生産物を無償で取得すること」。
この場合、「生産手段」というよりも政治経済的手段でしょうか。
日々、搾り取られ日常生活を牛耳られという感じですね、いやはや。
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