陸羽西線にいつか乗りたいと思っていたのは最上川沿いを走ることもありますが、陰陽連絡線のように、日本海側と太平洋側を横に結ぶ路線に全て乗ってみたいというのも理由です。すっかり「鉄」の魅力に取り込まれていますね。
2019年に伯備線に乗って初めて知った「陰陽連絡線」という用語ですが、この場合は山陰と山陽を結ぶという意味のようです。
小学校の授業で日本列島は背骨のように高い山が真ん中を貫き、日本海側と太平洋側を隔てていることを学びました。
地図を見ると深い緑の山々が続いて、両方の海岸沿いに細長く平地がありますが、その両側を行き来するのは大変そうというイメージが子どもの頃からありました。
日本各地を訪ねるようになって、そこを結ぶ路線が結構あることが見えてきました。
東日本だと、仙山線とか石巻線とか磐越西線とか大船渡線とか山田線とか釜石線とか米坂線とか、東西に結ぶ路線です。
まだ乗っていないのが、陸羽東線、北上線、磐越東線、花輪線あたりでしょうか。
東日本や九州は東西に結び、関西だと南北に結ぶ感じですね。
縦横無尽に路線網が整備されているようで、なんだか肋骨のように見える路線です。
でもよくよく見ると「背骨」も一本ではなく二手に分かれていたり、イメージしていた「真ん中の背骨の山で分断されている」というわけでもなさそうです。
*「内日本」から「裏日本」そして、日本海側へ*
そういえば小学生の頃はまだ「裏日本」という表現が使われていた記憶がありました。
いつの間にか差別的な用語になり、日本海側という言葉に置き換わりました。
ほとんど日本海側や東北地方へ行ったことがなかった私は、「差別する側に立っていた」と何か罪悪感のような気持ちを引きずりながら「裏日本」の言葉があった時代を感じていました。
1980年代でも出稼ぎや病院内での付き添い婦さんが日常的でしたからね。
でもよくよく考えると、日本海側だけでなく太平洋側もそういう状況でした。
「裏日本」に対する言葉はなんだったのだろうと、ふとWikipediaの「裏日本」を読んでみました。
裏日本(うらにほん)は、日本の国土において、本州の日本海に面する地域を指す呼称である。現在は一般に日本海側(にほんかいがわ)と呼ぶ。
かつては、天気予報などで地域を指す言葉として普通に使われていたが、NHKでは新潟県から苦情が寄せられたため、1960年代末頃から差別的・侮蔑的であるとして「裏日本」という用語を使わなくなり、現在のテレビ・ラジオや大手新聞等で使用されることは基本的にない。また民放や地方紙などでも1970年代ごろから徐々に使われなくなっていった。
これは良い社会の変化ですよね。
病名に地名や人名を使わないようになったのも同じく、地名も感情を刺激する呼名よりもより客観的なものの方が良いかもしれません。
「裏日本」に対して「表日本」という表現もあったようですが、こちらはあまり記憶にありませんでした。
*背骨のような場所を越えてみると*
日本の背骨のような場所を結ぶ路線に乗ると、「地理的・気候的特徴」(Wikipedia)を感じるとともに、それを乗り越えてきた歴史も知ることとなりました。
新潟も「トンネルを越えると雪国だった」だけではなく、「地図にない湖」があり、そこは沼地(潟)が広がっていたという時代はごく最近まであったわけで、信濃川の流れを変え排水させ、今のような風景へと変わっていったことを知ると、「裏日本」なんて呼んでいたのは歴史を知らなかったからだと痛感します。
さらに「近代以前」に以下のように書かれていました。
近代以前には「表日本・裏日本」という言葉は無く、「裏日本」に該当する地方は、「表日本」に該当する地方と大きな差はなかった。それどころか、かつては「内日本」と呼ばれ、当時「外日本」と呼ばれた「表日本」以上に栄えていた時代があった。
肋骨のような路線で背骨を越えると、あちこちに落ち着いた街が存在している理由でもありますね。栄枯盛衰の繰り返しとでもいうのでしょうか。
たまたま今は太平洋側が栄えている時代ですね。
それぞれの地域の歴史を垣間見るたびに、ほんとうに日本も広いなあと思いますね。
そして肋骨のような路線がある理由から、その歴史を遡る。またまた行きたい場所が増えてきました。
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