水路の美しい撫川城址と庭瀬城址を歩き、「蓮ハ平和の象徴也」の歴史を歩くことができて満足して庭瀬の西側にある足守(あしもり)川の堤防近くの田んぼへと向かいました。
地図では足守川左岸から撫川城址までの水路があり、その水路と山陽本線の間にはさまれた場所は田んぼのようです。
灰色の瓦屋根の美しい住宅と白鷺がのんびりと佇む田んぼの間をゆったりと流れる水路のそばに木の案内板があり、地元では「法万寺川」と呼ばれていることがわかりました。
田んぼの向こうを貨物線や山陽本線の黄色い列車が通過していきます。
どこを写しても美しい風景です。
次に山陽本線に乗ったら、この田んぼと水路を見逃さないように車窓に集中ですね。
ここから足守川の堤防の道を対岸を眺めながら歩きました。
山陽本線の線路を越えて南へ少し歩いた対岸に六間川が合流した場所があるはずですが、土手に生い茂った草木でよく見えませんでした。
2023年9月に酒津から東西用水の八ヶ郷用水沿いに歩き、帰宅してからその分水路を東へとたどっているうちにこの六間川を見つけました。
地図では山裾に沿ってしばらくまっすぐ流れたあと、中庄の倉敷市立北中学校の北西で六間川とサイホンで交差し、山陽自動車道の近くでその六間川に合流しているように見えます。
ところが、六間川はその東数kmの足守川(あしもりがわ)から分かれて西へ流れ、八ヶ郷用水と交差するあたりから南へと流れて瀬戸町で倉敷川と合流し児島湾の干拓地を潤して海へと流れ込みますから、八ヶ郷用水とは水の流れが逆のはずです。
地図に描かれている川の合流部は、「足守川に流れ込んでいる」のかそれとも「足守川から取水しているのか」が気になったままでした。
実際に歩いてみたらわかるかと思ったのですが、わかりませんでした。
そこから数百メートル下流で庭瀬からのいくつかの水路の水が合流し、さらに六間川からの分水路も合流する複雑な場所があります。そこにかかる久江橋を渡って足守川の左岸へと歩きました。
川風が強くなる中で、カワウと鴨が水辺に並んでいます。どこからか野ばらの香りが漂ってきました。
平和でのどかな風景ですが、かつては遠浅の海だったこの場所を、どうやってこのような水田地帯と用水路に築き上げて来たのでしょうか。
*「余水・悪水のたまり場」*
岡山の六間川について検索してみましたが、この川の歴史が書かれているものがほとんど見つからず、コトバンクに一つありました。
六間川 ろっけんがわ
現倉敷市東部の沢所(さわしょ)といわれた低湿地の排水のために開削された悪水吐川。沢所は撫川村(なつかわむら)(現岡山市)を南北に流れる足守(あしもり)川と、中島(なかしま)村辺りとの間の東西に広がる低湿地をいう。十二ヶ郷用水と八ヶ郷用水の余水・悪水のたまり場であると共に、足守川が天井川であるため排水不良の土地であった。「備中誌」によれば同所の開発は天正年中(一五七三〜九二)より行われているが、本格的な開発は江戸期に入ってからである。
(日本歴史地名大系)
用水だけでなく排水も大事ですね。
それにしてもぼっと歩いていたので、足守川が天井川だったことにも気づきませんでした。
干拓地から沼城へ、そして水路を網羅して水田へ。
あの美しい田園と川の風景からは想像がつかない、気が遠くなる水の歴史でした。
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