水の神様だろうと勝手に思い込んだ水前寺成趣園の出水神社でしたが、成趣園を出てその南西を流れる水路に沿って歩いていると橋のたもとに小さな祠があり、「水前寺・出水・江津・札所100ヶ所巡り」という案内がありました。
6番札所 水神さんと鵜渡堰記念碑
当時の村長であった久野清蔵さんは有志と共に、豊富な湧水を利用して農業の発展と食料確保を目的として、村と田畑に水を送る為の堰と洗濯場を作り、併せて水の恵みに感謝し水害や水の事故から村民を守るために水神様をお造りになった。
以来、地元の人々は先人の偉業を讃え、子々孫々に伝えるために毎年8月1日に水神様祭を執り行っている。
尚、鵜渡橋(うとばし)を境にして上流を藻器堀(しょうけぼり)川、藻器川を加瀬川の源流とする。
説明板がなければ見過ごしていた小さな木造の祠と堰でしたが、92年前につくられた水神様でした。
*藻器堀川を地図でたどる*
2年以上前からこの水前寺成趣園のあたりを訪ねる計画を立てて、この水路はどこにつながっているのだろうと地図で辿っていました。
JR豊肥線水前寺駅の近くで南西から北東へと直角に曲がっているのは、あの車窓から見えた下り坂の地形とつながりましたが、細い流れはずっとずっと続いて途中で白川左岸へ合流する白川の支流と交差する箇所があり、そばに保田窪五丁目公園があります。
さらにまだまだ北東へと水路は描かれて、途中の住宅地で忽然と消えていました。
地図では名前もない水路でしたが川の上に川、川の下に川があるところまで歩いてみたい、水源までたどってみたいと妄想の散歩をしていました。
「藻器堀川」というのですね。
とても読めない川の名前ですが、どんな由来があるのでしょうか。
そしてちょうどこの立ちどまった場所が加瀬川の境になり、あの下流の干拓地へとつながっているようです。
小さな水路でしたが、成趣園の湧水などが流れ込んでじきに川幅が広くなりました。
「水の恵みに感謝し水害や水の事故から村民を守るために水神様をつくった」
一世紀前の風景はどんな感じだったのでしょう。
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