政治や経済が黒っぽいし、色彩のない、戦争へと突き進む社会が再び近づいているかのような、そんな鬱屈した社会ですね。
今日のタイトルはそれを意味したというより、2017年ごろに感じた黒っぽい服が好まれるようになった違和感がさらに最近増したことについてです。
7年前はまだ、リボンまで全身黒ずくめの人はごく一部だったことと、冬に多かったぐらいでした。
通勤に着るコートはクリーニング代の値上げもあって汚れが目立たない黒が好まれるのでしょうか、冬が近づくと駅周辺を歩く人が次第に黒っぽくなり、春になるとさまざまな花が一斉に咲くかのように明るい服の色調になっていました。
ところが最近はますます真っ黒な人が増え、装飾品から靴まで黒一色で葬儀に行くのかそれとも自分の中で他の色を絶対に使わないという決まりを作っているのかという人が激増しました。
そして春になって少しその割合が減るくらいで、黒以外には白を組み合わせるくらいでしょうか、そしてとうとうこの猛暑日の続く夏になっても黒を着る人が街中にいて黒っぽい色彩です。
黒と白でなければ寒色系でしかも無地のものでしょうか。
1980年代ごろの、華やかなさまざまな色調やデザインが自由に溢れていた時代がうそのようです。当時の記憶があるので、なんだか今は社会全体が沈み込んでいるように見えてしまいますね。
着るものは好みであり自由ではあるのですが、なぜこんなに黒が溢れている風景になのか、そしてふだん全身真っ黒ずくめの方は葬儀の黒との境界線はどうなっているのでしょう。
もしかしたらこれもまた服が大量生産で安く作られるようになったことでデザインとか色彩を出す技術が失われてしまったのではないか、そして着ている人もモダンと思わせられているだけでそれ以外選択の余地がない生活なのではないか。
生かさず殺さず、国民を「資源」としてしか見ていない人たちによって、若い人を戦争に駆り立てるような政治からくる無意識の人生への失望感が、この黒い社会の正体でなければよいのですけれど。
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