つじつまのあれこれ 64 20年前のアンケートに答えた人は何処へ

選挙が終わると、急に世の中の雰囲気が変わることがありますね。

そして、ようやくあの日(2022年7月8日)以来の政治経済の失敗が少し見えてきて何かが変わると思うような波だったのに、老獪な人たちにまたしてもやられている感じ。

 

びっくりしたのは「米を増産」という歴史に残るような大転換の政策を、瓦解寸前の内閣が押し通したことでした。

しかも「コメ需要実績38万トン上振れ、3年連続で生産を上回る」(2025年7月30日、KYODO)とそれまでの「見通しが外れたと政府が過ちを認め」、「農林事務次官が『コメは足りていると申し上げてきたが誤っていた』と、自民部会で謝罪」(2025年8月8日、KYODO)というニュースでした。

 

生産量や流通量の把握の仕方が不正確であったならそれを改善すれば良いとは思いますが、「政府は今年6月までに備蓄米を36万トン放出し、結果的に需要の上振れ分とほぼ同量を埋め合わせた」(7月30日)と書かれているのは、あまりに都合の良い計算ですね。

 

米価が上がり、お米が棚から消えているというのに、外食産業や中食産業は平常運転だし、さらには5月にはおにぎり屋さんがブームなんてニュースがあるのは、足りないというよりも流通の偏りが問題なのだろうと感じますね。

だから現大臣が散々JAを批判して「価格破壊」「熱いマーケットに水をさす」と猛スピードで備蓄米の放出をしたはずなのに。

 

そしてなぜ農林水産省事務次官自民党部会に謝罪するのだろう

謝り責任をとるべきは、総理大臣や農林水産大臣が国民やJAや流通業者に対してではないかと思うのですが、なんだか社会全体にスルッとこの事態を受け入れてしまっているのはつじつまが合いませんね。

 

何より、歴史や実測値の正確な記録をしてきた農林水産省の人たちは無念極まりないだろうな、と。

 

 

*「お米の投機的な扱いの影響を預言した人たち」は今何処へ*

 

さて、かれこれ1年、お米の話題を追ってきました。

天候不良や生産者減少による生産量に加えて需要が増えたことが一因としても、なぜ昨年から急に2倍近くになったのだろう。

 

ニュース記事のコメント欄を読んで、さまざまな実際の様子を知る機会になりました。

ただ、どんな米価の決まり方があるのか、いまだにその答えがわからないままです。

「需給で決まる。それが市場原理」というその「市場原理」を知りたいのですけれど。

 

ずっと引っかかっているのは2000年代の米先物取引への意見で、およそ20年ほど前の意見だというのにまるで現代を預言したような内容です。

 

ところが昨年以降、そのアンケートの回答者である「農業者」「集荷者」「JA」のいずれも公式に「先物取引への意見」を出した様子は見当たりません。

あの意見を書かれた人たちは今どこでどうしていらっしゃるのでしょう。

 

反対に「これ(先物取引)を否定するなら無知蒙昧(むちもうまい)。金融も経済も知らない、世界を相手にしない集団でしかない」と政府を罵倒してまで先物取引を進めた人たちが、「ほら良いシステムではないか」と評価しているような意見も見あたりません。

相変わらずの農水省やJAに対する批判だけ。

 

これまた農水省の方々は無念極まりないだろうな、この歴史を後の世でどのように記録するのだろうと気になりますね。

 

 

*20年の間に変化したこと*

 

最近では先物取引についてのコメントがあると、「まだ、そんなことを言っている。周回遅れ」といった書き込みがされるようになりました。

もう「天候異常や農家の高齢化で、生産量が減ったから米の価格が上がったのは仕方がない」という雰囲気ですね。

 

 

もしかすると巷に「資産運用」という言葉があふれ、「個人の貯蓄を投資に回し、リスクマネーの供給を増やすことで、日本経済の成長力を強化すると誰も彼もが投資の敷居を低くしていった政府の思惑通りなのかもしれませんね。

 

20年前には投機的な話に慎重だった人たちも、少しでも利潤を得ることが資産運用と思うようになった。

反面、「国債の利子は孫子の借金」と思い込まされ、経済成長が止まった社会は贅沢を求めた自分たちのせいだから増税や年金の先送りや減額もやむなしと思い込まされ、株とか投資には無関係に生きてきたアリには、浦島太郎のようにこの社会の変化を理解できなかったのかもしれません。

 

田んぼや用水路に沿って歩くとそこかしこに歴史の記録がある日本の農村ですから、コツコツとお米を作ってきた人の中にはあまりに安い生産者米価に、投機的とわかっていても米価を急激に上げる流れに参加し始めた人もいるのだろう。

 

農家さんと一口にはいい表せない微妙な空気の変化があるのかもしれません。

 

ちょっとつじつまがあってきました。

 

 

*おまけ*

最近は稚拙とも思える政策や経歴で政治家を目指す人が多いですね。中には法に触れる犯罪や社会的な失敗をしていても、数年もしないうちに立候補している風潮はなんだろうと思っていました。

その世界では有名人が当選し、一度政治家の肩書きがつくとまたまた有名人を死守できるのでしょうか。

そして呆れるような失敗をしても過ちを認めたり謝罪することもなく、議員という立場にしがみつくのはなぜだろうと思うことが増えました。

 

まさか、地域のため国のためというよりは議員報酬を元手に「資産運用」なんてことはないですよね。

相場師気質の政治家がいつの間にか政治を牛耳っているように見えてきて、嫌な世の中の雰囲気になりました。

 

 

 

 

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