米のあれこれ 144 「米遣いの経済」

昨年7月の本郷台地のへりを下ったり上ったりした散歩の記録を書いていたら、そうだった「文京区に田んぼがあった」と驚いて思わず購入した資料があることを思い出しました。

さらりと目を通していて積読になっていました。

 

「平成13年度特別展 小石川と本郷の米物語ー商う・作る・食べるー」(文京ふるさと歴史館)です。

久しぶりに引っ張り出してみたら、6年前には目に入らなかった「はじめに」にこんなことが書かれていました。

 米は古くから日本人の主食であり、日本人の生活には欠くことのできない食物です。食生活の多様化により、米の消費量は減少しているものの、今でも米がもっとも重要な食物であることに変わりはありません。

 米の重要さは、時代をさかのぼるとさらに大きくなります。とりわけ江戸時代は、武士への給与も原則として米で支払われ、「米遣いの経済」と言われるほど、米は経済や生活と密接に結びついていました。それだけに、米商人は他の商人と比べ、社会の中でより重要な地位を占めていました。江戸時代、文京区域には300軒近い米商人がいたことがわかっています。しかし、その大部分が廃業し、その歴史を記した資料もほとんど残っていません。今回の特別展では、数少ない江戸の米屋に関する資料を展示しながら、米商人たちの実像を描いていきます。

 また、人びとは「作る」そして「食べる」という場面でも米と接しました。今では考えられないことですが、江戸時代から大正時代にかけては文京区にも田んぼがあり、米が作られていました。また、米の利用の仕方も、昔と今では大きく変わりました。この特別展が米と人びとの関わり方を改めて考えるきっかけになり、さらに郷土の歴史に思いをはせていただければ幸いです。 

 最後に、資料の所蔵者をはじめ、特別展の開催にご協力いただいた皆様に厚くお礼申し上げます。

 平成13年10月           文京ふるさと歴史館

 

平成13年(2001)、経済減速の時代とはいえ、1993年の米騒動も喉元過ぎれば何とかで飽食の時代でした。

2019年にこの資料を購入した時点でも、頭ではお米を大事と思っていても、本当にこの文章を理解していなかったのだと思いますね。

 

 

*「米遣いの経済」*

 

ちょうどかつては税だったお米とその取引を考えていたときに、「米遣いの経済」という言葉が目に入りました。

私が高校生の頃にはこういう表現はなかったような。

知らないことばかりですね。

 

「米遣いの経済」でググったら、AIが教えてくれました。

米遣いの経済(こめづかいのけいざい)は、江戸時代に米が年貢の徴収手段だけでなく、諸物価の基準や価値尺度として機能した経済体制。石高制に基づき武士の給与が米で支払われ、大阪・江戸の米市場が全国の経済を左右した。享保以降、米価の変動により武士が困窮し、次第に金銭経済へ以降した。

米遣い経済の概要と特徴

・基準通貨としての米:江戸時代、米は「お米」と同じ役割を果たし、すべての物価の基礎となった。

・石高制の確立:土地の生産力を米の量(石高)で表し、領主は農民から年貢として米を徴収した。

・武士の俸禄(給料):武士の給料は「俸禄米」として米で支給された。

・物流と集積地:大阪の「蔵屋敷」に全国から年貢米が集まり、そこから全国へ流通した。

経済の仕組みと登場人物

・札差(ふださし):武士が蔵で受け取った米を換金する作業を代行した業者。

堂島米会所:大阪に誕生した世界的に見ても初期の先物取引市場。米の相場を調整し、全国の経済に影響を与えた。

・商人(豪商):年貢米の販売や金融を行い、実質的な経済的実権を握った。

 

ああすごい、「AIは間違うこともある」とはいえ一瞬でおおよそのことを知ることができました。

 

*「米遣いの経済」がなぜ衰退したか*

 

堂島米会所:大阪に誕生した世界的に見ても初期の先物取引市場」、2000年代から米の先物取引を推奨してきた人が書いたものからなず見かける一文ですね。

米の先物取引が歴史的にもそんなに良いシステムであれば、「経済学」としてとっくに認められそうなものなのに

でも「失敗」の歴史はなかなか見つからないものです。

 

「米遣いの経済」で検索したら、AIが教えてくれました。

米遣い経済の限界と衰退

米価の変動と武士の困窮:米価が下がると、米を売って現金を得る武士の生活が苦しくなった。

金銭経済の浸透:物流の発展とともに金・銀・銅(三貨)の流通が拡大し、次第に「米」から「金」の経済へ以降した。

終焉明治維新後の地租改正により、税の納入が金銭に統一されたことで、実質的に終焉を迎えた。

 

米遣いの経済は、現代のデリバティブ取引の起源ともなる高度な市場システムを生み出したが、最終的には時代に即した金銭経済へと転換していった

 

 

その後、日本でも明治時代に投資のための株式が導入されたものの、日本では、こうした米相場の投機の伝統を強く受けて、近代の株式市場が形成された結果、投機色が引き継がれ短期売買で「株をやる」というイメージが定着してしまったようです。

この金融庁の「投資と投機とどう違うか」を何度も読むうちに、やはりこれは「米の先物取引」の失敗を伝えようとしていたのだと思えてきました。

ちょうど、米の先物取引を上場させようという動きがあった時期ですからね。

 

一旦は認可が見送られた米の先物取引が、一転して2024年8月に相場師が価格を決める米の世界になり、農林水産省のホームページにも「米の先物取引とは」ができました。

あんまり、話題にはされないですけれどね。

まあ大混乱と国民の不平不満が暴発しないようかわすことが、「政治・経済」の優先順位でしょうか。

よほど、この失敗には触れられたくない話題なのだろうなと、かえって思うこの頃ですね。

 

でも、この国の農業には歴史があちこちに記録されていますからね。

「米遣いの経済」の教訓が活かせなかった令和の米騒動、またどこかの資料館でその歴史に触れることができることでしょう。

 

 

 

*おまけ*

それにしても10年前になんとなく思いついた「米のあれこれ」でしたが、まさかあちこちの干拓地や用水路や溜池を回ったり、先物取引の歴史を勉強するようになるとは。

思えば遠くに来たものです。

そして生涯、学習ですね。自分が生きてきた時代の年表を正確にしていくために

 

 

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