事実とは何か 90 「台風情報がほとんど住民に伝わらなかった」

山口県下の開作を襲った周防灘台風についてWikipediaを読むと、その被害は甚大だったようです。

 

台風の影響で、周防灘・有明海八代海・鹿児島湾などで高潮が発生したが、中でも周防灘で発生した高潮は、台風の通過が大潮の満潮と重なったことからひときわ規模が大きくなり、沿岸部での被害も特に甚大となった。反対に、有明海側などでは大潮の干潮時と高潮の発生が重なったため、それほど大被害にはならなかた。また、周防灘の沿岸には干拓地が多く、工業都市が海岸低地に発達していたことや、過去の災害経験が少なく防災設備力が不備であったこと、太平洋戦争中の気象報道管制下であったため台風情報がほとんど住民に伝わらなかったことなどが、高潮被害を拡大させた原因になったと言われている。さらに山口県では、県西部を流れる厚東川での堤防の決壊により、被害が拡大した。

 

周防灘台風による死者・行方不明者の数は合計で1,162人にのぼり、うち被害が最も大きかった山口県内での死者・行方不明者が794人(559人負傷)と大半を占めた。加えて、全壊家屋33,000戸、流出家屋3,000戸、船舶の流出・沈没4,000隻となった。しかし、これほどの大被害がもたらされたにも関わらず、この台風について大きく報道されることはなかったほか、中央気象台が精力的に行なった調査報告である「秘密 気象報告第6巻」は、一般の人々の目に触れることもなかった。この調査報告は、台風研究(特に高潮について)において有力な資料であるにも関わらず、「秘密 気象報告」があることすら知られていなかったため戦後になってもあまり利用されなかった。

(強調は引用者による)

 

 

戦時中の機密事項でさもありなんと納得しそうになったのですが、第二次世界大戦後でも1950年代までは死者数が多い台風被害があり、その後激減した時代に入ったことを考えると、たとえ情報が伝えられたとしてもなすすべもない状況や時代だったのではないかと、ちょっと引っかかりました。

 

 

*戦時下でも台風情報が伝えられていた*

 

Wikipedia「周防灘台風」の脚注に、気象予報士饒村曜(にょうむら よう)氏の「伊勢湾台風以来の高潮被害となった17年前の八代海等の高潮とその後の対策」(YAHOO! JAPAN ニュース、2016年9月24日)と「気象報道管制の誤解 太平洋戦争中でも台風情報はラジオ放送されていた」(同、2017年8月13日)がありました。

 

後者の記事では以下の文章から始まっています。

太平洋戦争中でも国民に台風情報

 太平洋戦争が終わった8月15日前後に、マスメディア等で様々な特集が組まれています。

その中で、太平洋戦争中の気象報道管制で「住民に気象情報が全く伝わらないため被害拡大」と、よく云われ、多くの人がそれを信じています。

 しかし、昭和17年8月の周防灘台風では台風という言葉は使っていませんが、台風情報がラジオや新聞で報道されています。

具体的なラジオや新聞の報道内容が続いています。

 

ただし、戦時下の報道管制があったことも書かれています。

 天気予報などの気象情報は、戦争遂行のためには必要不可欠な情報です。このため、戦争になると、少しでも自国を有利にするため、自国の気象情報を隠し、相手国の気象情報の入手をこころみます。これは、昔の話ではなく、今でも状況は同じです。世界各地の気象情報が自由に入手できるというのは、平和の証なのです。

 真珠湾攻撃が行われた昭和16年12月8日の午前8時、中央気象台の藤原咲平台長は、陸軍大臣海軍大臣から口頭をもって、気象報道管制実施を命令されています(文書では8日の午後6時、表1)。

(中略)

 こうして、気象無線通報は暗号化され、新聞やラジオ等の一般広報関係はすべて中止されました。

ただ、例外として、防災上の見地から、気象情報管制中であっても、暴風警報の発表は、特例により実施されることになっており、全てが禁止されていたわけではありません。

 

そして戦時中の特例暴風警報は、「原因を言わず、危ないということだけを国民に知らせる」ものであったそうです。

 

1960年代から70年代でも、暴風雨の中では停電や新聞の遅滞は当然のようにあったので、「情報が伝えられなかった」というよりは、「情報は出したが、うまく伝わらなかった」あるいは「情報は伝わったが、なすすべもない状況だった」という方が正確なのかもしれないと、この脚注の記事を読んで思いました。

 

 

脚注には、山口県文書館の「周防灘台風ー公文書にみる被害と復興ー」があり、以下のように書かれていました。

 先述の『秘密気象台報告』第6巻では、この台風が襲来した際の警報発表・伝達経緯が検証されており、結論として、中央気象台から出される特例暴風警報が遅すぎたこと、暴風による通信途絶があったこと、地方の測候所が独自に出せる地方暴風警報と特例警報の情報が異なり混乱を招いたことに加え、「山口縣の如く測候所所在地に縣應庁所在地の異なるところは警報傳達に幾分連絡の缺けたる點があった」と指摘しています。

 

 

*微妙なニュアンスが陰謀論を広げ、回収不能となる*

 

「秘密気象報告」というと、なんだか「政府は都合の悪いことを隠している」「世の中にはもっと違う真実がある」と思いたくなりますね。

詳細はよくわからないのですが、「政府は隠していた」というニュアンスでこの台風についても長いこと語り継がれていたのでしょうか。

 

ところがその報告にはうまく伝わらなかった原因が分析されて書かれていたのに、なかなか戦後も利用されることがなかったということのようです。

 

山口県公文書館の資料が出されたのが2015年(平成25)5月のようですから、一旦広がった受け止めかたが訂正されるには、途方もない時間が必要ということかもしれませんね。

 

とりわけ今のような「未曾有の」と言える状況では、情報につまずきそうになるので気をつけなければならないと思いながら読みました。

 

 

 

「事実とは何か」まとめはこちら

失敗とかリスクに関する記事のまとめはこちら