存在する 37 私とは誰か

最近では災害や事故があると報道機関よりも先にSNSで動画が伝わるというのに、大津波の警報後、能登半島の状況が映し出されるまでに半日以上かかりました。

 

今回の豪雨では最初は状況が動画で伝えられていたのですが、その後また通信に被害が起きたようです。

 通信網では、NTTドコモの携帯電話サービスが輪島、珠洲両市と能登、志賀両町で利用できないか、利用しづらい状況が続く。豪雨による停電で基地局が使用不能になったり、電柱に張った光ケーブルが断線したりしたため。ドコモの全国の拠点から従業員が応援に入り、復旧作業に当たっているが、道路の寸断などで被害状況を確認できない基地局もあり、復旧時期は見通せないという。

(「能登豪雨 インフラ復旧 長期化も 山地多い地形 作業難しく」中日新聞、2024年9月25日)

 

全国を散歩していると、平時でさえもGPSがずれたり圏外になったりすることはしばしばあるし、時には写真やメモがごっそり消えるという魑魅魍魎のいるデジタル社会です。

 

豪雨のニュースを追っていた時に、濁流があっという間に押し寄せ得てきて持っていたスマホも流されてしまったと話す住民の方の姿がありました。

 

最近ではスマホの中に大事な情報がたくさん入っているので、私は手帳にも記録をとっておくというアナログな方法もそのまま続けているのですが、そのどちらも流されたり紛失したら、そしてインフラそのものが使えない時には「私」をどうやって証明するのかなとこれらのニュースから考えていました。

 

そして、その私が生きてきたあるいは存在してきたことの証をまとめた手帳は、本当に「私の存在」を証明するものなのか。

それ以前に、「私」とはいったいなんなのか。

ぐるぐると存在の証明の渦に巻き込まれています。

 

 

*ふだんは「顔パス」で十分*

 

 

むしろこのスマホを流されたという方は、この地域では「どこどこの誰々さん」だとすぐに存在を認めてもらえるでしょうし、医療機関や行政に関することでも顔パスで十分なことでしょう。

 

高齢者施設に入所して人間関係が少なくなり存在感が薄れていくかのように見えた晩年の両親でさえ、長いこと付き合いのあった地元のお店や郵便局の方々が訪ねてきてくれていたし、「どこどこの誰々さん」ということがしっかりと覚えられていたようです。

 

むしろ娘の私なんかよりも、もっと父母の人生を知ってくださっていたのでしょう。

 

そして新型コロナで1年半ほど面会ができなかったときに娘の私が一瞬、母とは認識できないほど変貌していましたが、その間身の回りの世話をしてくださった方々には容貌が変わろうと「どこどこの誰々さん」でちゃんと連続して母が「存在」していました。

 

 

*人間関係が希薄に見えるようでも誰かによって記憶されている*

 

母が住んでいたのは人口10万ほどの中核都市で、半世紀ほど前の私が高校生の頃に比べると人口は3倍ほどになって鉄道の本数も増えているのに駅前は閑散としているような地域です。

 

実家に帰るたびに新しい住宅も増え、人口に反比例して隣近所との関係が薄れていく中でも、晩年の両親にはそれぞれその存在を心に留めてくれていた人がけっこういることがわかりました。

むしろ晩年になって、他の人の世話を受けながら、過去からのつながりが明らかになってくるという感じでしょうか。

 

さらに私自身も、かれこれ40年ほど隣に誰が住んでいるのか、顔さえも覚えていないような集合住宅を転々としながら生活してきたのですが、案外とお互いに存在を覚えられていくものだと思うようになりました。

 

私の生活に深く立ち入ることがなくても、日々、買い物をするお店や美容院とかかかりつけのクリニックとか、あるいは荷物を配達してくださったり集合住宅の保守点検や管理をしてくださっている方々とか。

あるいは近所の別の集合住宅の人でたまたま顔見知りになって、会話をすることはないけれど挨拶する方とか。

さらには商店街などでいつも見かける人も覚えていきますし、きっと私も覚えられていることでしょう。

数えればけっこうたくさんですね。

 

人の存在を証明するのもまた人なのだと思うこの頃です。

 

大概の場合、「私とは誰か」の証明にカードである必要はないのかもしれませんね。

 

 

 

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