世界はひろいな 61 東部日光線の車窓の散歩

4月下旬、鹿沼の用水と幻想的な風景を訪ねる散歩に出かけました。

ちょうどローマ教皇の葬儀のニュースが伝えられていました。年をとるということは、その時代を知る方がまた一人いなくなる寂しさと失ったものの大きさを感じることが増えますね。

 

 

7時半ごろに家を出て北千住駅に向かいました。世間ではゴールデンウィークに入ったのか、日曜日でも電車や駅は空いています。

これなら特急リバティの指定席も大丈夫だろう、窓側の席でのんびり休日の車窓の散歩ができそうと思ったら、昼前まで全列車満席でした。まあ、そうですよね、観光地に向かう列車ですから。

計画より1時間以上遅れて目的地到着となりますが、急ぐことのない散歩なので快速と各停を乗り継いでいきましょう。ただ、ロングシートだと風景を眺めるのがちょっとつらいですけれどね。

 

東武鉄道は子どもの頃から記憶にある鉄道ですが、当時の私は武蔵野台地を走る西武線のほうが馴染み深い路線でした。

2003年の東急田園都市線半蔵門線そして東武鉄道が相互乗り入れで、鶴見川と多摩川そして利根川を越えて走る長距離線になり「栗橋行き」を見かけるようになりましたが、なかなか東武鉄道に乗る機会はありませんでした。

 

最初に乗ったのは2017年に見沼代親水公園を訪ねた帰りに西新井大師に寄った帰りだと思います。

初めて乗る路線というのは都内でもなんだか緊張しますね。それぞれの路線によって街の雰囲気が違うからでしょうか。

2018年には利根大堰関宿水門から渡良瀬遊水地を訪ねるのに利用し、以来、東武アーバンクライン、東武東上線東武伊勢崎線などだいぶ沿線の車窓の風景を覚えました。

 

それでも東武日光線板倉東洋大前以北はまだ未踏の地です。どんな風景が広がっているのでしょう。

 

北千住駅を出発し綾瀬川を越えてしばらくすると、越谷駅のあたりから古利根川と元荒川にはさまれた地形が続きます。かつて河道を変えながら流れていた大小の河川が荒川と利根川になるまでの気が遠くなる歴史を感じる地名が各所に残っていますね。

春日部のあたりで古利根川に近づき、東武動物公園の辺りにはたくさんの池があるのは氾濫原の名残りでしょうか。まだまだ歩いていない場所がたくさん見えてきます。

東武動物公園駅で満席のスペーシアが通過していきました。本数の多いリバティ号まで一つの空席もないというのが、やはりゴールデンウィークですね。

 

幸手駅を過ぎると、右手に権現堂川の堤防が見えてきました。利根川東遷事業の歴史を知るためにも大事な場所ですが、まだ歩いていません。

 

*いよいよ東武日光線へ*

 

あっという間に南栗橋駅に到着し、ここで東武日光線に乗り換えました。

そしてこんなに大きな川を制して鉄道が当たり前のように安全に通過していけるようになった歴史を知らなさすぎた、と思いながら利根川を越えました。

何度見ても美しい川ですね。

 

鉄橋を渡ると右手には渡良瀬川の堤防の土手が緑色に美しく続きます。左手は渡良瀬川の旧河道でしょうか、蛇行する田川のそばに水鏡の広がる水田地帯です。4月下旬、もうじき田植えでしょうか。

田んぼと新緑とそして集落の家には大きな鯉のぼりが泳ぎ、年を経るにしたがって得難い風景だと思うようになりました。

 

柳生駅は2018年に久しぶりに渡良瀬遊水地を訪ねた時に下車し、道の駅のそばを歩いたのですが、地図で見るとそのすぐそばに埼玉県、群馬県、栃木県の県境が入り組んであるようです。どんな歴史があったのでしょう。

 

このあたりから少し丘陵地帯にはさまれたような場所に板倉東洋大駅があったような記憶があったのですが、イメージとは違う平地が続いていました。確かに微高地はあるのですが、広々しています。そして水が入る直前の田んぼが見えました。

 

渡良瀬川を渡るとしだいに起伏が多い地域になりました。この辺りでは麦が青々と育っていました。

この時には気づかなかったのですが、渡良瀬川左岸の田畑の中を「蓮花川」という川が流れているようです。美しい名前の川はどこが水源だろうとあとで地図をたどっていくと、途中、何度か直角に流れを変えながら、両毛線岩舟駅の東側の田んぼの中で忽然となくなりました。

そこが「水源」なのでしょうか。

ほんとうに、複雑に水路を整えて築き上げてきた田畑で農業は成り立っているのですね。

 

西側の山が近く感じられ、一面、麦畑の風景が続きます。遠くに雪山が見えるのは日光のあたりでしょうか。

丘陵地帯の林の中の切り通しを抜けると、また麦畑とところどころ太陽光パネルが見えます。

「静和」駅の近くは、落ち着いた新旧の住宅が並んでいました。

また一面の麦畑ですが、今までの地域よりは薄黄緑色で麦秋が近づいているようです。

左手の小高い山は「太平山ハイキングコース」があるようです。

 

どこまでも豊な田畑と住宅地が続いています。

ふと、「国の借金」ばかり強調されるけれど、多くの国民もまたローンで家を建て、ローンで自動車や電話や家電を購入し、事業を起こし、そして少ないながらも貯蓄もして堅実に生きてこうした豊さを築いてきたからこその今までの経済力だったのではないかと。

なんだかこのところの「孫子に借金を残すな」が胡散臭く思われてきました

 

気を取り直して風景に集中しましょう。

 

列車が北東へと向きを変えて栃木駅につきました。駅周辺の落ち着いた街並みと巴波川(うずまがわ)の歴史を懐かしく思い出し、美しい瓦屋根の風景を眺めているとまた北へと大きく向きが変わりました。

新栃木駅」を過ぎると、「合戦場」「家中」と面白い地名と広々とした風景が続きます。この辺りも麦畑が美しく、しだいに思川が近づいてきました。

日光のあたりの雪山もさらに近くなり、東武金崎(かなさき)駅のあたりは美しい田園風景で、田んぼに墓地がある地域のようです。

 

思川を渡り、両岸の美しい風景から楡木(にれぎ)駅のあたりでは西側の山が近づき、久慈や久地の「かたち鯨鯢に似たり」を思い出す山の形でした。

 

思川左岸は緩やかな段々になり、山側に水路が続いているのが見え、線路との間の田んぼはこれから田おこしに入るようです。

同じ東武沿線でも田んぼの風景は微妙に違いますね。

どうやら思川が市境のようで、いつの間にか目指す鹿沼市に入っていました。

 

山に自生した藤の花が咲いているのが見え、その間に整然とした田んぼと大谷石で建てたような蔵と鯉のぼりが沿線に見えます。

樅山(もみやま)駅を過ぎて、先ほどの山側の水路がぐんと近づきながら並走し、新鹿沼駅に到着しました。

 

どんな街と水路、そして歴史がある街でしょうか。

駅を出たら、大きなイチゴのオブジェがありました。

 

 

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