氷見新開から禎瑞新田まで歩き、さらに中央構造線との境界線の街まで無事に歩き切ることができました。
地図を見ながら計画を立てていた時には、絶対に無謀で途中で断念するに違いないと思っていたのですが、美しく落ち着いた雰囲気と水の音に背中を押され続けました。
まだ歩けそうですが、ちょっとお腹が空きました。
悩んでお店を逃すと夕食まで食べられないこともしばしばあるので、こういう時には見つけたお店に入るのが正解です。
チェーン店でしょうか、うどん屋さんがありました。
四国で多いセルフのお店ですが、茹でるのは店員さんがしてくれるようです。地元の方がサクサクと注文して流れていくのを見て、スタバでコーヒーを注文するような緊張感ですね。
1月でも歩いたら暑くなったので、冷やしうどんにかき揚げと大好きな蓮根揚げ、そしてお稲荷さんを頼みました。
子どもの頃の夏休みに祖父に連れて行ってもらった倉敷駅前のうどん屋さんを思い出す味と柔らかめのうどんです。年々、うどんは母方の関西風を食べたくなってきました。
13時ちょうど、すでに21000歩を歩いて疲れた体に染み渡りました。
さあ、もう少し歩きましょう。
*加茂川左岸の水路を歩く*
西条市を流れる加茂川は鉄橋から見ただけでも惹き込まれる美しい川でしたが、あちこちから水の音が聞こえる西条市のその「うちぬき」が加茂川の伏流水だということを知りました。
干拓地というのは水の確保が大変なイメージが強かったのに、西条の干拓地はこの加茂川の伏流水が潤しているということが不思議です。
是非ともまた加茂川沿いを歩いてみたいと地図を眺めていると、河口に向けて最後の大きな蛇行のあたりに右岸へと水路が描かれ、そのそばに西条農業高校があります。
左岸はこの蛇行した羽の部分にあたり、右岸より少し上流に取水口があってそこから水路があるようです。
干拓地ともまた違う風景があることでしょう。
この両岸を見てみたくなりました。
さすがに氷見地区からはバスを利用し、東光バス停で下車しました。
目の前にひこばえが緑色一面の田んぼがあり、真冬だというのに左岸の水路には滔々と水が流れています。そして灰色の屋根瓦と木壁の家々、なんと美しい風景でしょう。
石鎚山と手前の瓶が森山でしょうか、太陽に反射して黄色く浮かび上がるように雪山が見えています。
水路をたどって緩やかに上っていくと複雑に分かれた場所があります。そこから西側は山道になり、そばに「土居構跡」がありました。
土居構跡
土居構とは古い城郭の形式である。此処は約六百余年の昔、新居宇摩二郡を支配した河野通直が築造したと伝えられる主峯高峠を中心に麓に加茂川の急流を繞らした城塞の拠点として、偉容を誇った高外木城主の平生の居館の跡である。
時代は移って石川氏がこれに拠ったが、天平十三年(一五八五)の兵乱に建物等一切焼亡して僅かに石垣芝生の犬走等のみ残存している。
寛永十九年(一六四二)久門政武が中野村庄屋をして入居し、子孫継承して今日に至っている。寛文のはじめ建築した家屋は其の後改造を累ねながら猶(なお)旧態を保っている。書院の庭園は江戸初期民家の代表的のものとして推奨されている。
本部を囲む巨木老樹を含む植物群は、旧時よりの居住者の生活様式を類推し得る意義深いものがある。
赤い屋根のどっしりとした日本家屋が古い門がまえの向こうにありました。
江戸時代の干拓以前は、このあたりも海に近かったのでしょうか。
近くの伊曾乃神社を訪ねたかったのですが、時間もなくなってきたので先を急ぎます。
水路沿いに田んぼを眺めながら歩いていると加茂川が近づいてきました。
歩行者用の橋があるようです。
その名も「伊曾乃橋」で、山の方から流れていくる加茂川が美しい風景です。
橋の途中に説明板があり、この場所と思われるところを大勢の人が渡り、その両岸にも鈴なりの人が映るセピア色の写真でした。
▪️御城下と神社を結ぶ伊曾乃橋
伊曾乃神社の参道は門内だけではなく宵部落を通り、この橋を渡って常心に至る道である。伊曾乃神社のお旅所から常心を経由して西条の城下に達する、つまり城下と伊曾乃神社を結ぶルートが昔からの広い意味での参道である。
その点でこの橋は、昔から言われているように「伊曾乃渡し」の「伊曾乃橋」である。
落ち着いて歩ける歩行者専用の橋があるなんて素敵と思ったら、伊曾乃神社への参道でもあったようです。
*加茂川右岸へ*
橋から400~500mぐらい上流に取水口があるようです。しだいに疲れてきたのでちょっと遠く見えましたが、山の合間から流れてくる美しい加茂川に癒されました。
西条農業高校のグラウンド沿いにてくてくと堤防を歩き、武丈公園に到着しました。
「大町福武用水路 改修記念碑」と彫られた大きな石碑で、右岸側の用水路名を知ることができました。
公園はきれいに整備され、散歩をする人、川面を眺める人など、ゆったりとしています。
そうそう「公衆便所」と古めかしい案内でしたが、中は驚くほど清潔に清掃がされていました。
右岸側の取水口はよくわからなかったのですが、ここから下流へ2キロほど水路沿いの街をバス停まで歩きましょう。
堤防から降りると、緩やかに蛇行する道と芳しい木の香りが漂う住宅地です。
地蔵堂があったり古い門構えが残っていたり、今もお店をされている古い家とか、新しいものは古くなり古いものは新しくなる代替わりをよく手入れしながら乗り越えている街は歩くだけでも楽しいものですね。
下校する中学生の自転車軍団に囲まれながら、水路ぞいに横道に入ってみました。
西条市総合文化会館の裏手の大きな湧水地につながる地域で、田んぼの中の蛇行した道と灰色の瓦屋根の家に、ふと半世紀以上前の祖父母の家の周囲を歩いているようななんとも懐かしい気持ちになりました。
時代の波に飲み込まれずにこうした家並みが大事にされますようにと祈りながら歩くと、交通量の多い道に出て、現代に引き戻されたのでした。
思い切ってもう一度訪ねてみて大満足の一日が終わりました。
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