散歩をする 581 筑後川中流域右岸の車窓の散歩

期せずして訪ねることができた水神社で山田堰の歴史を読むことに没頭してしまい、西鉄甘木駅へ向かうバスの時刻が迫ってきました。

 

本当は堀川沿いに歩いて三連水車の里バス停からそのバスに乗る計画でしたが、間に合わなさそうです。

そして水神社の反対側にある恵蘇八幡宮も訪ねたかったのですが、こちらは見上げるような石段で挫折しました。

恵蘇ノ宿(えそのしゅく)バス停まで国道381号線を歩いて、そこからバスに乗ることにしましょう。

「恵蘇」どこかで目にしたような気もするのですが、検索してもかつて広島に「恵蘇郡」があったことぐらいしか見つけられません。ここの地名の由来はなんだろう、帰宅してからも気になったままです。

 

さて、バス停は柿の果樹園のそばにあり、親指ほどの青い実がなっていました。その向こうに広がる畑の先を堀川が流れているはずです。

この地区が寄贈したと書かれた小さな小屋にベンチがあり、ありがたく休憩させてもらいました。

料金表を見ると、ここから終点の朝倉街道までは運賃1000円のようです。甘木バス停までは510円で、旅先だと気が大きくなりますが、やはり都内と比べると格段に高い公共交通機関の料金は現代の参勤交代のようですね。

「使うと安くなる」とか「電車もバスも無料」という国々との発想の違いはどこから来るのでしょうか。

 

バスが来ました。キーンときいた冷房に生き返りました。乗客は私1人です。運賃が高いから乗客が減るのだろうか、それとも乗る人がいないから運賃が上がるのだろうか、そんなことを考えていると、これ以降の区間は頻繁に乗客が乗り降りするようです。

 

筑後川方面を眺められるように左側の椅子に座り車窓を眺めました。

どこまでが堀川用水の受益地なのかまったく見当もつかないまま、朝倉市内を北西へと走り、筑後川からは遠ざかっていきました。

ところどころに立派な水路があり、田んぼや日本家屋がある安定の田園風景です。

ふと、祖父母が沿道の家から出てきそうな錯覚に陥りました。

 

8年前の豪雨でどのあたりにどんな被害があり、そして今の風景になったのでしょう。

ずっと気になっていた朝倉の街をすこし見ることができました。

25分ほどで車窓の散歩が終わり、甘木バス停で下車しました。

 

 

西鉄甘木線筑後川右岸地域を眺める*

 

市街地の中を10分ほど歩くと西鉄甘木駅の駅舎が見えてきましたが、タッチの差で大牟田行きが出発してしまいました。

100mほど先に甘木鉄道甘木駅があります。どちらも行き止まり線で、しかもわずかに駅舎が離れているのはどんな鉄道の歴史なのだろうと興味深かったのですが、暑さと朝から何も食べていないので行ってみる気力が削がれました。

 

30分に一本ですから、駅のベンチで休憩しましょう。

 

西鉄甘木線はここから久留米駅まで、筑後川中流域右岸の田園地帯を通ります。

そちら側が見えるように、左側のロングシートに座りました。

地図で眺めていて気になっていた大堰駅を通過すると、住宅地からしだいに一大穀倉地帯とでも言えそうな広々とした風景になりました。金島駅のあたりは麦秋と、何の栽培でしょうかビニールハウスが立ち並んでいます。

 

金島駅を過ぎると、それまで南下するように走っていた甘木線が西へと向きを変え、筑後川から2~3kmのあたりを走っているようです。

古賀茶屋駅すぎました。

「古賀」というのでこのあたりも干拓地なのだろうかとちょっと気になっていた駅ですが、車窓からはあまりわかりませんでした。ただその読み方が「こがんちゃやえき」だったので、思わずメモしたのでした。

 

「1915年(大正4年)10月15日:三井電気軌道駅の駅として開業」(Wikipedia)とありますから、110年もの歴史がある駅でした。

「三井」なので財閥系なのかと思ったら、「初代社長となった北野町の素封家で北野町長を務めた鈴木利十が中心となって設立」(Wikipedia)とありました。ほんと、日本全国の鉄道は地元の人によって築かれたものが多いですね。

「上り列車は『借金々々』下り列車は『足らん足らん』と走る」とまで冷やかされた「辛苦是経営」を思い出しました。当時の人は「公共性」をどう思い描いていたのでしょう。

 

検索しても「古賀茶屋」の歴史は見つからなかったのですが、車窓からはこのあたりから北の佐賀の背振山のあたりが近く見えるようになりました。

 

 

*車窓の風景から急遽、計画を変更する*

 

ただ、福岡県は晴天なのに佐賀の方が霞んでいます。

黄砂とも違うかすみ方で何だろうと眺めているうちに、野焼きだと気づきました。

ということは、明日はやはり雨でしょうか。

 

4月下旬に決めたこの遠出の計画ですが、最初は5日間晴天の予報でした。まあ、10日前なのでかなり不確実ですね。連日天気予報をチェックしているうちに、しだいに雨マークが出始め、この3日目のあたりで本降りになりそうな予報になってきました。

それでも朝と夕方でもまた予報が変わるので、「どうか雨雲が消えてせめて曇りか小雨になりますように」と祈っていたのですが、この車内でチェックしたら本降りの予報でした。

 

翌日の天気に気を取られていたら、いつの間にか筑後川を渡り始めていて、車窓の風景を見逃してしまいました。

 

計画ではこのあと安武駅で下車して周濠のある御塚・権現塚史跡を歩く予定でしたが、急遽予定を変更しました。

車窓から広々とした古墳を眺め広川を渡ると、すこしずつ懐かしい柳川のクリークの風景になりました。

 

筑後川中流域から下流域へ、風景ががらりと変わります。

念願の柳川のクリークを歩きましょう。

とある駅で下車しました。

 

 

 

*おまけ*

当日撮った写真の中に、「甘木地区ガイドマップ」がありました。よくよく見直すと、甘木鉄道甘木駅西鉄甘木駅の間に「日本発祥の地 卑弥呼の里の石碑」があります。しまった。這ってでも行けばよかったですね。

そして二つの鉄道が小石原川を渡ると、ぐんと近づいて並走する場所があります。

どんな地形なのでしょう。

「清水が豊富に湧き出たといわれ、安長寺のお浄めの場所でした。干ばつのときには雨乞いの祈願も行われていました」という龍泉池もあるようです。

マップからまたやり残した宿題が増えました。

 

 

 

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