落ち着いた街 123 生地(いくじ)から黒部漁港へ

地図で見つけた「生地鼻」の地域は富山湾に由来する被災が多かったことを学びました。

「富山湾が一番美しく見える海岸」は住宅の2階まである頑強な防波堤が続き、防波堤ぎりぎりに建つ住宅もありました。「平成20年の高波」では海水を被ったのでしょうか。

電柱には「ここは海抜3.3m、海岸から20m」という表示と避難場所が書かれていましたが、「海抜」はよく見かけますが、「海岸から何メートル」は初めてです。

 

「鼻」の地形にそってゆるやかにカーブする道の先に、真っ黒な瓦屋根と雪山姿の立山連峰が浮かぶように見えました。

 

*蛇行した道へ*

 

次の目的地の黒部漁港までは、住宅地の蛇行した道を歩いてみましょう。

海沿いによく見かける、家々が肩を寄せ合っている風景です。どの路地もきれいに掃き清められ、大きな木は少ないけれど玄関先に花が美しい家々や、ここも真っ黒な瓦屋根のどっしりとした家があちこちに残っています。

 

蛇行した道には消雪パイプが整備され、路面が少し茶色くなっています。どれくらい雪が降るのでしょう。

消雪パイプに初めて気づいたのが2019年に上越新幹線の車窓から見えた茶色い道路でした。水が豊かだからできる技術だと思ったら消雪で地下水を使うために水不足が懸念されている地域もあったり、「溶ければ水になるもの」ですからその排水はどうするのだろうと、何も知らないことばかりだと愕然として以来あちこちの消雪パイプが気になっています。

 

蛇行した道沿いは閉店しているお店が多いようですが、「水飴屋」の看板を見かけました。懐かしいですね。子どもの頃は、上等なおやつでした。

静かですが人の出入りはけっこうあり、バス通りも兼ねている道で毎時間バスがあるようです。

漁港が近づくと、良い香りがして干物屋さんがありました。あちこちの漁港のそばを歩いた記憶が一気に蘇る香りです。

 

*黒部漁港へ*

 

マップで見た通り、海岸をくり抜いたように奥まったところにある黒部漁港の水路が近づいてきました。

水路にかかる橋の反対側に「生地中橋 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」と大きな看板があり、その西側に続く道に湧水が集まっている通りがあるようです。

 

マップではもう一つ、黒部漁港の不思議な場所に気づきました。水路は橋だけでなく「地下通路」で結ばれているのです。海風が強いのだろうか、それとも雪のためでしょうか。

地下道の上を漁船が通過するなんてどんな場所だろうと思ったら、本当に道路の地下通路のような出入り口がありました。

 

奥まった場所には漁港の建物がありましたが、到着したのは10時だったので、誰も見かけず静かでした。

 

*背戸川の遊歩道へ*

 

水路のそばに、立山連峰を背景にした黒部漁港を眺められるベンチがありました。

こんな風景を毎日見ることができるなんて、羨ましいです。

ベンチがあるだけで、自分が住んでいるところを落ち着いて眺めることができそうですね。

 

水路へは東側から川が流れ込んでいて、遊歩道になっているようです。計画ではこのまま黒部漁港の南側にある名水公園へ行くつもりでしたが、遊歩道の石畳にスミレが咲いているのを見つけて誘われました。

想像以上に澄んだ水が流れている川です。

「背戸川」の説明がありました。「せど」と読むようです。

 暴風雨と満潮が重なった時は、町中橋や二ツ川の水が逆流し、稲田が水浸しになった。田村前名が十二貫野に来ていた椎名道三に助言を求めた。弘化三年(一八四六)と嘉永四年(一八五一)にかけて背戸川の堀川事業が行われた。その結果、生地村と生地新村の南部と東北一帯の淀川の害がなくなった。現在、源兵衛橋から見る川の流れは、水郷を連想させる静寂さがある。

 

地図で見ると、あの大きな工場の近くの水田地帯から流れてきた川がぐいと曲がって黒部漁港の水路へと合流しています。このあたりにかつて「淀川」が流れ、暴風雨と満潮が重なった時には大きな被害がでていたということでしょうか。

 

遊歩道沿いには厳しい冬を乗り越えたことを喜ぶかのように、たくさんの花が手入れされています。

川の歴史を知るからこそ川を大事にする、そんな雰囲気を感じました。

 

 

*「清水庵の清水」*

 

川のそばにはやはり真っ黒な瓦屋根で大事にされてきた家があり、外には自噴井戸でしょうか、水が惜しげもなく流れています。

もう少し歩いてみたくなりました。

 

少し先に、また説明板が見えます。

遊歩道の住宅地側に、長細いステンレスがはめ込まれた洗い場がありました。

「清水(しみず)庵の清水(しょうず)」、呪文のようですね。

計画の段階で訪ねてみたいと思ったけれどどのあたりかわからなかった湧水です。スミレの花がいざなってくれました。

 

清水(しみず)庵の清水(しょうず)

 この清水は、約三百年前、元禄二年の夏、俳聖松尾芭蕉が越中巡遊の途中、日蓮宗の経妙寺(清水庵)に足を止め、庭にこんこんと湧き出る清らかな水を見て、道場の名を「清水庵」と命名したことに由来しています。黒部峡谷奥深くある鷲羽岳(2,924m)を源流とし、日本一深い黒部峡谷を下り、愛本から広がる黒部扇状地の地下深く伏流水となって、生地地区に湧き出している。

 湧水量は毎分600リットルで、生地最大の湧水量を誇り、水温は1年間を通して11℃前後で、夏は冷たく、冬は暖かい。住民に欠かせない生活用水です。

 

近所の方でしょうか、洗い物に来られました。

会釈をして、邪魔にならないように説明板を読みました。

 

 

*湧水が自噴する扇端の地域と生活*

 

 

清水(しょうず)の里「生地」について

 生地は、歴史的に漁村の町として栄え、古くは北前船による日本海貿易の拠点でもありました。現在は、全国的に珍しい内陸型の黒部漁港が整備され、漁業基地として発展しています。地理的には、黒部川扇状地の扇端に位置し、黒部川の膨大な伏流水が海岸付近で海水圧と拮抗するため生地の全域で自噴しており、昭和60年には環境庁の全国名水百選にも選ばれました。

 生地では、この自然の恵みともいえる湧水を清水(しょうず)と呼び、11ヶ所が「共同洗い場」として町内等により管理されています。また、各家でも豊富な清水を生活に利用しており、個人宅のも含めると約600ヶ所に湧水があります。

 「共同洗い場」は、湧水口から3~4層に区切られ、上の層では野菜等の食べ物を洗ったり、冷やしたりし、下の層では洗濯するなど合理的に利用され、一日中憩いのような場となっています。

 この清水の水質は、炭酸をよく含む軟水で、水温が低く有機物の少ないさわやかで美味しい水です。また清酒、蒲鉾などの特産品や生地で獲れる魚介類の味を際立てるほか、美肌効果もあるという、まさに名水中の名水である。

(強調は引用者による)

そばには「洗い物使用者の名前」が掲げられていました。

 

衛生観念ひとつとっても、社会の失敗や葛藤から合理性が理解されて「新しい生活」のルールを築くのは時間がかかりますね。

現代人から見れば当たり前のような「3~4層に区切って使い方を決める」までに、どんな歴史があったことでしょう。

 

それにしても、目の前の風景がよくわかる簡潔な文章ですね。

「黒部川の膨大な伏流水が海岸付近で海水圧と拮抗する」、今回の散歩で知りたかった答えを知ることができました。

この国はこうした正確に記録する文化が息づいているのだと圧倒されながら、黒部漁港の方へと戻りました。

 

 

 

「落ち着いた街」まとめはこちら

スミレのまとめはこちら

魚や漁師や漁港のまとめはこちら