散歩をする 531 高梁川河口左岸の干拓地を歩く

とうとう5ヶ月遅れに突入してしまいましたが、5月、ゴールデンウィーク明けに出かけた散歩の記録もいよいよ3日目です。

吉備の穴海の干拓の歴史と現代までの用水路や堰の歴史をたどることができた充実の2日間でした。

 

さすが、晴れの国岡山で好天に恵まれた3日間ですが、東京では雹が降ったり荒れ模様で気温も低いようです。

 

3日目の朝、テレビをつけたらどこかの棚田の田植え風景を放送していました。5月初旬の岡山はまだ田おこしが終わったばかりという感じですが、今度は田植えの風景を見てみたいものです。5月下旬でしょうか、それとも6月の方が良いでしょうか。

 

旅先で観るのを楽しみにしている「こころ旅」はなんと板柳で、1988年(昭和63)に完成した配水塔の建設に父親が赴任して携わっていたという手紙が紹介されていました。

2年前に歩いた美しい岩木川沿いの風景と、排水させるための長い困難があったことを思いだしました。

残された人生で、あの岩木川岩木山そしてりんご畑が広がる美しい風景をもう一度訪ねることはできるでしょうか。

 

 

*正方形の田畑から菱形の田畑の境界線*

 

今回の散歩の最終日は、水島臨海工業地帯との境にある田んぼを訪ねます。

2018年に福田歴史民俗資料館を訪ねた時から、いつかこのあたりを歩いてみたいと地図を眺めていました。

 

水島臨海鉄道にも乗ってみたいと改めて沿線を眺めていると、おもしろいことに気づきました。

あのごぼう畑がある地域は田畑や住宅地がきれいに正方形の区画ですが、線路の反対の東側はやや斜めの区画が続き、さらに福田歴史民俗資料館がある県道274号線の東側は、もっと斜めの菱形の区画が広がっています。

 

用水路の水を無駄なく使うためでしょうか?

この辺りは享保年間に完成した干拓地ですが、その後徐々に干拓地を広げていくことで年代が異なるこためにこんな区画の違いがあるのでしょうか?

 

そして1960年代に水島臨海工業地帯ができた頃から、水田や用水路にはどんな変化があったのでしょう。

 

ちょっと歩いただけではわからないとは思いつつ、その風景を実際に見てみたくなりました。

 

計画では水島臨海工業地帯から福田公園まで歩き、さらに古新田地区から福田神社を訪ねるというものでしたが、2日目に足にまめができたので無謀かも知れませんね。

 

 

 

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