木曽川左岸を歩いた1日目の散歩が無事に終わり、ホテルにチェックインしました。
ここからまだ1日目の楽しみが残っています。
窓の下には東海道新幹線岐阜羽島駅のホームが見え、頻繁に通過する新幹線や通過待ちで停車している新幹線を眺め放題です。
iPhoneのマップと照らし合わせなながら輝いている街灯や工場の赤いランプ、あれは「航空障害灯」というのですね、などがキラキラと輝いているのはどこなのか確認すると、なんと名古屋市街から四日市の工場地帯まで見えることがわかりました。直線距離だと20~30kmはあるでしょうか。
間に何も遮るものがないのが、木曽三川が生み出した濃尾平野なのだと改めて感じました。
*念願の岐阜羽島に滞在する*
2023年1月にまだ途中下車したことがない東海道新幹線の駅周辺を歩いてみたいことと、宝暦治水の薩摩工事着没者の墓を訪ねるために、わずか45分の滞在でしたがでしたが子どもの頃から親しみを感じていた風景を歩くことができました。
初めて新幹線に乗ったのは大阪万博へ行く時でしたから1970年でした。
当時の車窓の風景の記憶はもちろんほとんどないのですが、1箇所だけ残っているのがこの岐阜羽島のあたりです。
見渡す限りの水田地帯が広がっているのが祖父母の田んぼと重なり記憶に残ったのですが、もう一つ、「羽島」という地名も祖父母の地域にもあったのでそれで記憶に残ったのかもしれません。
以来、東海道新幹線に乗ると岐阜羽島のあたりは食い入るように眺め、いつか歩いてみたいと思っていました。木曽三川を知る以前から。
そのうち玉川上水や川を訪ね歩くようになって、「羽」というのは、川沿いに出っ張った地形を表すことを知りました。
地図で見ると、岐阜羽島駅のあたりは現在は長良川左岸の出っ張った場所のようにも見えます。でもなんだか違うなあ、なぜ「羽島」なのだろうという疑問がそのままになっていました。
かたや祖父母の田んぼがあった倉敷市内にもある「羽島」は、現在の地図だと山と山に囲まれた場所で大きな川もなく、江戸時代の干拓の前は遠浅の干潟だった地域のようですから何を持って「羽」とつけたのでしょう。
地名ひとつとってもその由来をたどるのはほんと、難しいものです。
ここ数年、木曽三川の歴史を追って地図を眺めているうちに、私自身がよくわかっていなかった輪中の境界線が少しずつ見えてきました。
輪中と輪中の間には川が流れていますから、「ああ、それで『羽』が使われるようになったのかもしれない」と思いました。
木曽三川の輪中を歩き尽くすと豪語した散歩ですが、結果、ちょっとやそこら歩いただけではわかりませんでしたね。
岐阜羽島はどこが「羽」なのか。
やり残した宿題、またその地域を訪ねる口実ができました。
「水のあれこれ」まとめはこちら。
新幹線の車窓から見えた場所を歩いた記録のまとめはこちら。