仕事とは何か 21 正確な歯車の一つになる

新幹線の通過と岐阜羽島駅のホームを飽きもせずにホテルの窓から眺めながら、こんなことをメモしていました。

 

ホームでの安全確認。ホームを歩く人にもしている。

慎重に、確実に、数分ごとに列車が入線する直前に出てきて指差し確認をしている。

それにはどれだけの知識と経験と、失敗に基づくリスクマネージメントの伝達があるのか。

指差し確認の後、待合室確認、ゴミ捨て。小さなことをきちんとする。

手を抜いてもよいが、生命の危険はそうしたちょっとしたことで起こりうる。

目をつぶって見逃す人と、目をつぶらずにきちんとする人と。

以前はそうしたことが歯車の一部のような気がして、それでいいのかという葛藤があった。

今はむしろそれが大事、どのような仕事でも。

 

以前だったら、「以前」というのは20代とか30代の頃でしょうか、こうした指差し確認を始め「決められたことをするのはなんだか歯車の一部になったような気分」に感じていたことでしょう。

怖いもの知らずで、前途洋々としていて、自分の万能感のようなものが多かれ少なかれある年代ですからね。

「社会や職場の歯車のような生き方」への反発はそんな感じなのだろうと、過ぎてみてわかるこの頃。

 

「指差し確認」一つとっても、ヒヤリとしたことを見逃さずインシデントを認め報告して、他の施設のヒヤリハットから同じ過ちを繰り返さないように、全国の施設の試行錯誤が体系化されて手順が標準化されていくシステムが背景にあって、それが専門性なのだというあたりまで自分の中で整理されました。

 

最近は「より正確な歯車の一部になる」ことこそ仕事の目標だったのだと、反省も込めて思います。

思い込みや信念や自己流を良しとしていては、真の「ヒューマンエラー」の理解には辿りつかないですからね。

 

ホテルの窓からさまざまな仕事を眺めて考えることも、散歩の醍醐味になってきました。

 

 

 

*おまけ*

 

この下書きを書いた頃に、「家政夫のミタゾノ」の中で「社会の歯車になれないから、夢とか言っているんだろう」というセリフが聴こえてきました。ああ、なんという偶然。ブログを書くようになって時々、こういう「書いたことと同じことを同じタイミングで見かける」ことが増えました。

分母が増えれば偶然も増えると思いつつ、鳥肌が立ちました。

 

もしかしたら、今は社会の中ではあの「自分が大事、自分は素晴らしい、自分は大きな可能性がある」という自己啓発が社会に巣食うようになった時代のちょうど反動が起き始めているのかもしれないですね。

もちろん「夢」は大事なんですけれど「他人」が目に入らなさすぎ、そして古代から繰り返す「成金の失敗」を省み始めた時代かもしれませんね。

 

 

 

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