今日のタイトルは誰か偉い人が言ったことではなく、私の思いつきです。
偉そうですみません。
Wikipediaの長良川河口堰の説明文の変化について考えているうちに、ずっとずっと前からこの葛藤があったことが目の前に現れた感じがしました。
ブログを書くにあたって、けっこうWikipediaを引用したり、リンクさせてもらっています。
Wikipediaは学問的なことには引用するものではないことも理解した上で、それでもおおよその内容につじつまがあっていたり、よくここまで歴史を記録している人がいたものだと感動することが多々あります。
あるいは、奥三面ダムのように2015年では検索しても見つからなかったのですが、その経緯がわかる記録が追加されていきます。
専門家以外にも社会には地道にその経過を記録している人がいることに、なんだか感動することもたくさんあるのがWikipediaですね。
自分の感情や信念とは距離を置き、何が事実なのかを逡巡しながら記録を残す。
その葛藤が行間に見える時、信頼できるものだと直感しています。
おそらく、自分が書いたものに間違いがあれば訂正を加筆できる人であろうという信頼とも言えるでしょうか。
*行間に「運動」が見える記述には注意する*
私自身がいつ頃からWikipediaを活用するようになったのかあまり記憶にないのですが、Wikipediaのウィキペディアを読むと、2001年に英語版が始まったようです。
検索すると百科事典のように知りたいことがすぐにわかるので、すごいものができたと驚きました。
ただ当時、自分自身の仕事に関連したことを検索すると、「ああ、これは・・・」と思うことがしばしばで、書いてあることとは別の視点を考えることが必要だとわかりました。
例えば母乳栄養の現在の版には以下のようなことが書かれています。
母乳栄養(ぼにゅうえいよう)とは、栄養のために母乳を乳児に授乳すること。粉ミルクによる人工栄養と対となる。乳児に栄養を与える手段として最善であり、特に女性の乳房の乳首を直接吸わせることが望ましいとされている。
もちろん「この記事には複数の問題があります」という注意喚起がありますが、どれだけの人が、何が問題なのかを思い浮かべられるでしょうか。
私がWikipediaを検索して最初にこの「別の視点をもたなければ」と強く認識したのが、「母乳栄養」の初版(2007年8月)の頃でした。
2000年代に入る頃から次第にそして強固に、母乳育児推進運動が臨床にも影響を与え始めたのですが、その運動に賛同している人たちが書き込んだものだろうと思いました。
2007年8月には母乳という単独の説明も増えました。
母乳(Breast milk)とは、自身の赤ちゃんのためのヒトの女性の胸で生産される乳である。
ヒトだけでなく、他の哺乳類も「母乳」ですけれどね。
何がこの動きに欠けているのか。
それはなかなか飲まない赤ちゃん、あるいは飲ませるものが足りない状況の中で、何か栄養があるものを飲ませて成長させることに人類はずっと苦労してきた歴史、ダナ・ラファエル氏が常時離乳していると表現した授乳の歴史、葛藤の歴史がすっぽりと抜けていることでした。
同じ2007年に厚生労働省から「授乳・離乳の支援ガイド」が出されましたが、これは日々お母さんや新生児と葛藤していることへの道しるべとしては現実的だと思います。
ところが、臨床ではむしろ教育で取り入れられてしまった母乳推進運動の考え方の方が広がりやすいようです。
まあ確かに煮え切らないような葛藤よりは、「これが答え」と言い切ってくれる方が頭に入りますからね。
そんなことを、先日の長良川河口堰のWikipediaの記述の変化と重ね合わせているうちに、今日のテーマが思いついたのでした。
「行間を読む」まとめはこちら。