2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧

境界線のあれこれ 59 <感情のもっていき方、自己と他者>

数年前に出会ったニセ科学の議論の中で、「気持ちの問題」という言葉を聞きました。 納得しやすい表現というのは注意も必要ですが、当時の私にはいくつも合点がいく言葉でした。 父の伝えたかったイデオロギーも「気持ちの問題」であり、父もまた自分自身の…

境界線のあれこれ 58 <合理性と不合理性>

霊感がある母は因縁やらたたりを信じたり、民間療法にもはまり込む、一見、不合理な思考と行動が多い反面、データーを記録するのが好きという合理性もありました。 私が子どもの頃から母は、家計簿をきちんと毎日つけていた記憶があります。 それはずっと70…

夏だけ生活スタイルを変えるのはやめてほしい

朝6時台の通勤電車の静寂が好きと先日書きましたが、決してこの時間帯の通勤が好きでも、この時間帯の電車が人が少ないわけでもありません。 3つの路線を乗り継いで、8時半の申し送りに間に合うように出勤するには、この時間しかないのです。 この生活スタ…

世界はひろいな 28 <きゅうりはどのように食べられて来たのだろうか>

昨日の記事で、少し気温が上がり始める3月になると急に生野菜を食べたくなることを書きましたが、記憶を辿ってみると、これもそんなに以前からのことでもないように思います。 20年ぐらい前でもキュウリはまだ季節感があって、1年中食べていたわけでもないし…

目から鱗 7 <キュウリの切り方>

水温む季節になると、気温はそれほど上がっていないのに突然、生野菜を食べたくなります。 それまでの白菜や小松菜の季節に、贅沢ながら少し飽きてしまったかのように。 その中でも特に、柔らかい春キャベツとキュウリを食べたくなります。 キュウリは一年を…

ヒメオドリコソウ

ここ10年ぐらいで、初めてその存在に気づいて名前を知った植物にヒメオドリコソウがあります。 その辺の空き地にはどこでも生えていそうなのに、なぜこんなにきれいな色のグラデーションに気づかなかったのだろうと、なんだか人生の時間を無駄にしたような…

記憶についてのあれこれ 64 <リスク>

言葉はどのように生まれ、どのように広がっていくのでしょうか。 私たちが今、日常で当たり前のように使っている言葉も、1世紀前いえ半世紀前でもその言葉自体が存在していなかったものもあることでしょう。 それを思い起こすのが、「経済」という言葉です。…

記憶についてのあれこれ 63 <フキ>

水温む季節になると、急にたくさんの草花が咲き始めて「ここにこんな植物があったのか」と驚かされます。 また、その成長の早さもつくしのように一晩でまるで「びよーん」という音がしそうなくらいで、「今年こそは土からで始めるところをみようと思ったのに…

ケアとは何か 11 <ケアする側の声はイデオロギーになりやすい>

介護や看護、保育といったケアに「イデオロギー」というのは唐突感がありますが、昨日の記事で紹介したイデオロギーの<定義と特徴>のように、「世界観」「先入観がある」「闘争的な概念」というあたりがなるほどと思うところがあります。 周産期ケアのこの…

記憶についてのあれこれ 62 <「イデオロギーに入り込むな」>

幼稚園児だった私に「無とは何か」と問いかける父でしたが、もうひとつ記憶に鮮明に残っている言葉が「イデオロギーに入り込むな」でした。 看護学校に入学するために家を離れる直前のことだったと記憶しています。 年頃の娘が進学のために実家を離れるので…

ケアとは何か 10 <「ケアされるとはどんな体験か」>

「ケアとは何か2」で紹介した、「ケアの社会学ー当事者主権の福祉社会へ」(上野千鶴子氏、2011年、太田出版)の序文に以下のように書かれています。 7章「ケアされるとはどんな経験か」は、「ケアとはどんな労働か」以上に、さらにめったに論じられる事が…

ケアとは何か 9 <ケアを受ける当事者になるということ>

前回の記事で、厚生労働省の「人手不足で『施設の統合』検討」というニュースに感じたのは、資格を取得した後に長い時間をかけて形成される専門性への視点が弱いことでした。 では、ケアの専門職の専門性とは何でしょうか? 究極の目標は、「その人がして欲…

ケアとは何か 8 <ケアの専門性とは>

医療の末端で働いている私にとっては、厚生労働省の方針や方向性は身近であるようで案外よくわかっていない部分です。 というか、厚生労働省の構造とか、どのように政策が決められて行くのかなどほとんどわかっていません。 10年前の産科医療崩壊と言われた…

行間を読む 45 <「私とは何か」>

「無とは何か」 この問いを半世紀ほど、考え続けています。 半世紀前と言ったら自分がまだ幼児の頃で、父に問われたのでした。 幼稚園児にこのような問いをする父によって、私はおよそ子どもらしくない何かを抱えてしまったように思っていました。 そして、…

世界はひろいな 27 <500年に一度の地震に耐えられるお墓>

「100年に一度の洪水」についての記事を書いていた時に、電車の広告で「500年に一度の地震に耐えられるお墓」だったと思いますが、そんな永代供養の広告を目にしました。 お墓もリスクマネージメントの影響を受ける時代になったのでしょうか。 私の両親は50…

記憶についてのあれこれ 61 <秩序のある空間>

30年以上前、看護学生として精神科の閉鎖病棟に実習に行った時の記憶はうっすらとしかありません。 たしかリクリエーションで患者さんたちとソフトボールの試合をしたことと、受け持ちの患者さんのそばで話の聞き役になることでした。 私の受け持ちはルービ…

記憶についてのあれこれ 60 <質素で贅沢な空間>

父が入院している認知症の介護療養病棟は、60人ぐらいの方が生活をされています。 廊下には写真や絵などがかけられていますが、居室にいくとベッドだけが置かれています。 通常の病室のように、床頭(しょうとう)台やサイドテーブルもありません。 父のベッ…

水のあれこれ 9 <水を溜める>

子どもの頃はけっこう頻繁に断水があって、「水を溜める」ことが大事でした。 家中にあるバケツや鍋、ヤカンを総動員して水を汲み置く作業を、家族全員でしていた記憶があります。 当時はトイレは汲取りでしたが、現在だったら水洗トイレを流すための水を溜…

行間を読む 44 <聖書は失敗学>

前々回の記事で引用した霊感の「聖書の霊感」に以下のように書かれています。 神によって開明され、示された真理を「記述」するに当たって、記者に対して与えられた聖書の干渉のことである。人は過ちを犯す者であるが、そのような人間が、神の真理を書き記し…

思いこみと妄想 17 <夢と願望と妄想>

最近、めっきり夢をみなくなりました。 あ、「夢と希望」の夢ではなくて、睡眠中の夢の方です。 小さい頃に見た夢で鮮烈に記憶に残っているものがあります。繰り返しみることが多かったので、記憶に残っているのかもしれません。 それは火事の夢でした。少し…

思い込みと妄想 16 <「霊感がある」>

私の母は「自分には霊感がある」と信じています。 「ある日集会に出ていたら、そこにおばあちゃんとそっくりの人が目の前に座っていた。息が止まるほど似ていた。家に帰ったらおばあちゃんの訃報が届いた」 霊感があることのエピソードとして、今も1年に1回…

思いこみと妄想 15 <「からだ」と有能感>

昨日の記事のような「自然や季節に感動する」話というのは、自分で書いていても少し危ないなと感じる話題です。 私は本当に自然の前に自分なんてちっぽな存在だなと感じてしんみりと感動するのですが、反対に「自然と偉大な自分」の万能感に向く可能性もあり…

水のあれこれ 8 <水ぬるむ>

先週、2月の下旬に入って、水道水が今までよりも温かく感じられるようになりました。 春が近づくことは、光の明るさでも感じるのですが、1月はまだまだ寒さが厳しいですね。 2月下旬も朝の冷え込みはまだまだ真冬という感じなのですが、毎年、この水道の温度…

水のあれこれ 7 <水を制御する>

小学生の頃過ごした地域では、美味しい水道水に恵まれていました。 山が多いと降雨量も増えるために豊かな地下水があったこととともに、雪解け水もその美味しい水という豊かな恵みを与えてくれました。 雪から水へ変化したその雪解け水も、量が多ければ生活…

災害時の分娩施設での対応を考える 21 <吹雪と出産>

先週の北海道や東北地方の大雪のニュースで、吹雪は予測するのが難しく、その予測方法の開発に防災科学技術研究所が取り組んいることを伝えていました。 先日の伊勢湾台風の記事を書く時に知った研究所です。 小学生の頃過ごした山間部の地域では、積雪1mぐ…

水のあれこれ 6 <魚を呼び寄せる>

波消ブロックの記事で紹介したWikipediaのテトラポッドの説明に、「魚礁(ぎょしょう)」という言葉がでてきます。 テトラポッド自体やその周辺の捨て石などが魚礁の役目を果たすことから、根魚など魚種が豊富であることが多く、格好の釣り場となっているこ…

記憶についてのあれこれ 59 <静寂>

朝6時台の通勤電車の中は、それなりに混んでいるのに物音ひとつしないかのような静寂があって、結構好きな空間です。 いつ頃からか、人がワイワイとしゃべっている空間が苦手になりました。 たぶん、女の子たちがグループになっておしゃべりが多くなる思春…

景観と気持ち

前回の記事で、アレックス・カー氏が「日本に必要のない過剰な公共事業」「規制が不十分なことによる日本の醜い景観の一例」として高速道路の高架を挙げていることを引用しました。 私にとってはこちらの記事の<街の明るさ>に書いたように、高速道路が開通…

行間を読む 43  <景観と生活と>

昨日の記事で紹介したWikipediaの「消波ブロック」の「景観上の議論」にこんなことが書いてあって、なるほど1990年代の公共事業についての市民運動にはこういう流れもあったのか、とその時代の雰囲気を思い返しています。 消波ブロックの設置は、独特の形状…