2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧

数字のあれこれ 5 <ミルクと濃度>

不定期の記事になりそうと書きつつ、数字の話が続いています。 今日はミルクの濃度についてです。 脱脂粉乳と牛乳に書いたように、薄い水のような牛乳が学校給食で始まった世代なので、むしろ脱脂粉乳が濃くて美味しく記憶に残っています。 あの1960年代に比…

事実とは何か 7 <鳥瞰(ちょうかん)と虫瞰、俯瞰と仰瞰>

4月14日の夜8時過ぎ、東京でドスンと地震を感じました。 ガタガタという揺れではなく、ドスンと縦に揺さぶられる感じで、わずかの揺れの割には何か気になってテレビをつけました。 三鷹を震源とする震度2程度の地震だったのですが、そのままなんとなくテレビ…

数字のあれこれ 4 <数字に表せないにおい>

「数字で表す」ことでとても印象的なものが、バーコードの出現でした。 今は当たり前のように、レジで機械でバーコードを読み込んで精算していますし、時々読み取れない時には、店員さんがそのバーコードを読みながら手で打ち込んでいく様子も当たり前の風景…

にんにく

今年も幻想的な風景の時期になりました。 その父の面会の帰りはちょうどお昼頃になるのですが、バス停の近くにある韓国料理店から香ばしい香りがします。 ニンニクを炒めたような香りです。 この香りをかぐと、私は季節に関係なくそのまま気分は東南アジアに…

数字のあれこれ 3 <確率と気持ち>

1、2、3・・・。 この数字を見てもそこには何の感情も沸きませんが、「被害者は無視できない数にのぼり、1947年と1948年の強力痘苗だけに限定しても、犠牲者はおよそ600人と推計されており、天然痘のこの2年間の患者数405人を越えてしまった」という文章…

数字のあれこれ 2 <数字で表現する>

なぜ数字について書いてみたくなったかというと、どの当事者になるかで引用したWikipediaの種痘後脳炎の以下の箇所からでした。 (前略)その被害規模は無視できない数にのぼり、1947年と1948年の強力痘苗だけに限定しても、犠牲者はおよそ600人と推計されて…

数字のあれこれ 1 <数字>

種痘後脳炎について考えているうちに、また不定期に書きそうな新たなタイトルを思いつきました。 「数字のあれこれ」 私自身は本当に数字が苦手。 その数字が苦手な私が何十年も家計簿をつけているのは、「自分を誉めてあげたい」レベルだと思っています。 …

行間を読む 56 <種痘の接種制度の変遷>

種痘とその副反応である種痘後脳炎についてほとんど知らなかったことに気づいたので、今回もまた自分自身の勉強ノートのような内容です。 検索していたら、「種痘研究の経緯 ー弱毒痘苗を求めてー」(平山宗宏氏、2008年、小児感染免疫)という論文が公開さ…

事実とは何か 6  <どの当事者になるか>

天然痘と予防接種である種痘について、あらためてほとんど私は何も知らなかったと感じながら、昨日の記事を書きました。 予防接種には副反応の問題が必ず起こるのですが、種痘の副反応については全く記憶になくて、今回、「種痘後脳炎」という言葉を初めて知…

記憶についてのあれこれ 96 <天然痘>

「後日また続きを考えて書いてみますね」と言ったままになっている記事が多く、書く書く詐欺になってしまってすみません。 朝、目が覚めるとふと今日書きたいことが浮かんでくるのですが、いざパソコンの前に来ると一行も書けないことがあります。 そんな時…

ケアとは何か 15 <ケアの独善性>

1970年代末に看護学生になったのですが、1年生で「患者中心の看護」という言葉を学んだように記憶しています。 この「患者中心の看護」というのは、アメリカの看護師アブデラによる看護理論からきているようです。1960年に出され、日本では1963年ごろから医…

水のあれこれ 40 <解放される>

水の中にいる楽しさは、解放感ともいえるかもしれません。 子どもの頃は海やプールの水の冷たさが、夏の暑さからの解放感でした。 ぶるぶると震えては熱い地面で体を温め、そしてまた冷たい水に戻っていくあの楽しさ。 東南アジアのエメラルドグリーンの海の…

水のあれこれ 39 <自分に合った水がある>

先週のテレビ朝日の「GEt SPORTS」で、「競泳生活27年の集大成」というタイトルで松田丈志選手の特集がありました。 27年。 そうですよね、競泳選手として日本選手権の決勝や国際大会に出場してからの十数年の前に、長い長い練習期間があったのですものね。 …

ケアとは何か まとめ

「ケア」ってなんだろう。 私が看護師になった1980年代初頭から、ずっと意識してきた言葉でした。 最初の頃は、「キュア(医師の治療)」に対して、社会から一段も二段も低く見られている「ケア(看護)」へのむなしさのようなものでした。 それに対しては日…

境界線のあれこれ 67 <ケアの中の善意と暴力性>

小学生の頃に読んだ、雪舟が柱に縛られながら涙でネズミの絵を書いた話は、子供心に恐いものでした。 半世紀前の日本の社会にはまだ虐待とか体罰という言葉は広がっていなかったし、私が恐いと感じてもそれは「厳しいしつけ」の意味でした。 私も何かの理由…

気持ちの問題 21 <何に対して苛立っているのか>

このブログを訪れて読んでくださる方には、「私」はどう映っているのかなと気になります。 文字で表現すると、日頃の私自身の葛藤や戸惑いもうまく整理されていくため、あたかもそこにはいつも考えて行動している「私」がいるかのような錯覚に、私自身が陥り…

水のあれこれ 38 <抵抗を味方にする>

競泳日本選手権が終わりました。 12年間、競泳大会の会場に足を運んで来た中で、いつにも増して印象に残るレースが多い大会でした。 と言っても、会場に行けなかった日の録画は、まだすべてを見ていません。 結果は知っていても、どうしても見られないレース…

水のあれこれ 37 <あらがわない>

泳ぐことや競泳の記事がいつのまにかたくさんになったので、新たに「泳ぐ」というタグを作りました。 右の「カテゴリー」の「泳ぐ」から過去記事を読むことができるようにしました。 「泳ぐ」とは一見無関係のタイトルが出てきて、中にほんの一言だけ泳ぐこ…

事実とは何か 5 <見ているものが違う>

医療に対する社会の受け止め方に少なからず差異が生じるのは、「見ているものが違う」のだろうなと感じることがしばしばあります。 「そう見えているのか」と、こちらも認識の相違に驚くという感じです。 出生当日から1日目ぐらいの新生児はなかなかおっぱい…

境界線のあれこれ 66 <どこからが「拘束」なのか>

少し間があきましたが、「『○○に良い方法』と身体拘束」と「『安全のための抑制』から『すべきでない身体拘束』へ」の続きです。 医療の中でも、まだ同意書まではもらっていない身体拘束の場面があります。 たとえば、分娩台への批判でよく聞かれた「足を固…

水のあれこれ 36 <泳ぐことを学ぶ機会があるということ>

私が小学校5年生まで過ごした小学校は寒冷地のため、プールはありませんでした。その代わり、冬には天然のスケートリンクで毎日のようにスケートで遊んでいました。 小学6年生になって少し標高が下がった地域に転校したのですが、その学校には50mの立派な屋…

水のあれこれ 35 <泳ぐことを学ぶ意味はあるか>

昨日の記事で紹介した野口智博氏のブログに、「震災から5年」という記事があります。 東日本大震災当日、津波が街を飲み込んでいく様子に、「あの波の中で、先生泳げますか?」と尋ねられた野口氏が、「無理だ」「自分たちがやっていた水泳教育なんて、こん…

水のあれこれ 34 <水の中の「技術の自由度」>

昨日から競泳日本選手権が始まりました。 オリンピック選考会を兼ねている大会は、独特の緊張感と期待が会場中に感じられます。 辰巳国際プールへの満開の桜並木の道を歩きながら、12年間のさまざまなシーンを思い出していました。 初日の最初の競技は、男子…

境界線のあれこれ 65 <「安全のための抑制」から「すべきではない身体拘束」へ>

新生児や乳児をぐるぐる巻いても、「それは身体拘束である」という認識がたぶんまだ社会にはないのだろうと思います。 だから、「英国のキャサリン妃が使ったスワドリング」といった感じで、好意的に受け止められ広がっていくのでしょう。 でも、同じように…

境界線のあれこれ 64 <「○○に良い方法」と身体拘束>

先日、「正しい寝かせ方で姿勢のきれいな赤ちゃんに」の記事にアロマさんが、ご自身の体験をこのコメントあたりから書いてくださいました。 アロマさん、ありがとうございます。 抱っこしないとぐずったりギャン泣きの赤ちゃんもいるのだと思います。 周囲の…

新生児のあれこれ まとめ

ブログタイトルの「水の中」は、こちらの記事に書いたように、誰もが水の中(羊水)から生れ出たことを意識しています。 日々、その水の生活から陸上で生きる劇的な瞬間に立ち会う仕事をしていますが、私自身が新生児のことをわかっているつもりでわかってい…

「お肌の曲がり角」よりも「デンタルケア」

私は半世紀ちょっと生きてきて、今のところ幸いなことに大きな病気にはかからずに済んでいます。 20代、30代というのは受診することもなく、医療費とは無縁の生活でした。 毎月結構な額が天引きされる健康保険料を見ては、もったいなく感じていました。年金…