発達する 37 記憶と記録がつながる楽しさ

久しぶりの「発達する」です。

このタイトルを始めた2016年はちょうど両親がそれぞれの最期の時期を迎える頃で、片や人生の始まったばかりの新生児を観察するのが私の仕事だったので、人の生まれる時から死ぬ時までという両極端な時期を観察していたことで思いつきました。

 

人の生活史を「観察する」看護を仕事としてきてよかったと思いました。

感情をいったん脇に置いてその事象はなぜ起こるのかその行動はなぜ起こるのか、拙速に答えや方法論を求めずに考えるあるいは葛藤することが大事なことだと、三十数年ほど仕事の中でちょうど見えてきた時でした。

 

*「老い」の経験が格段に増えた時代*

 

子ども時代というのは誰にでももちろん経験があるので多少は自身の経験を振り返ることは可能ですが、「老い」というのは先に歩む人たちの姿からしか学ぶことはできません。

私の祖父母は父方の祖父を除いては80代まで生きたので、この世代の中では長命でした。

1947年(昭和22)の平均寿命は男性が50歳女性は53歳だったものが、1990年代にはそれぞれ75歳と81歳とわずか43年ほどで高齢者の定義が大きく変わった時代です。

 

思い返すと1980年代に看護職になった当時、入院する「おじいさん、おばあさん」というのは60代か70代で、それ以上の高齢者を看護する経験もあまりありませんでした。

1980年代に看護と介護の境界線に翻弄されたのも、ヒトの社会の中で初めて経験する高齢化社会の葛藤だったのだと今になればわかります。

 

そしてそこからの30年ほどは、実際に高齢期を生きる人の経験が格段に増えた人類の中でも驚異的に変化した時代とも言えそうです。

 

 

*老いへの嫌悪感*

 

1990年代、私が30代の頃に長いこと会っていなかった祖母が入院し、一晩だけ付き添いを頼まれたことがありました。身内にも「看護のプロ」だからと安心して任されたのですが、夜中に祖母の手を払いのけるという自分でも予期しない行動をしてしまいました。

 

10年前に書いたその記事では「祖母への嫌悪感」が蘇ったとしているのですが、本当は「老い」への嫌悪感だったのだろうと今思い返しています。

ヒトの社会とは「老い」や「死」を忌み嫌ってきた話がたくさんありましたし、80歳になった人がどんなことを感じて生きているのか「先人の記録」がほとんどない中での葛藤でした。

 

 

*「老い」とは失うことではない*

 

次に直面したのは、両親が老いの時期を迎えてどうやったら両親の生活と私の人生を両立させ、無事に両親を見送ることができるかということでした。

 

「重荷のケア」と表現したように、子どもの私が親を見守る側に逆転し、その生活習慣でさえ知らないことばかりになりました。

私が良かれと思って考えたことは、父母が求めていることとは大きく違うことがたくさんありましたが、現実の生活では「ケアする側」の方がどうしても強い立場になります。

 

そんな葛藤の中で、少しずつ書き留めた両親のことや祖父母のことが増えました。

「重荷のケア」に、70代半ばの母が大雪の中で適切な判断で無事に運転して帰宅できた日のことや心臓手術の合併症を乗り越えたことを書いたように。

あるいは、認知症の父もまた驚異的な器用さで絵を描いたり、過去の人生の積み重ねの発露のような場面を見ることがしばしばありました。

 

それがこの発達するを書くことにつながりました。

 

子どもから大人への成長だけでなく、生を全うするまで、最期の最期までヒトは発達していくのだと。

 

 

*老いはまた楽しからずや*

 

最近は、両親や祖父母の記憶を訪ね歩くことで、全国津々浦々の落ち着いた街並み美しい田んぼをたくさん見る機会が増えました。

 

そしてその美しい風景にある長いそれぞれの歴史を知る楽しさがあります。10年前には思いつきもしなかった、歳をへることでわかる楽しさとでもいうのでしょうか。

最近は絶望的なニュースばかりですが、自分が生きた時代の葛藤もまたこの風景を築き上げていくのだという希望が不思議と湧いてきます。

 

 

「老いる」というのはできないことや失うことが増えるのだというイメージだったのは、実際にそれに立ち向かっている人に接する機会が少なかったからだとわかりました。

 

両親の80~90代までの姿を知ることで、老いることへの嫌悪感は無くなりました。

もちろん死ぬまで生活は続く不安はあるものの、わずか四半世紀で介護の専門性が築かれたその底力に信頼感もあります。

 

記憶と行きつもどりつしていると、表層的な不安に煽られることなく、こうして人類初めて乗り越えている高齢化社会もまた負の遺産では決してなく大きな遺産となるのではないか、そんなことを考えながらの記録が増えてきました。

 

そしてそれは祖父母や両親のように、市井の人たちの一人一人が一生懸命に生をまっとうした事実という大きな遺産なのだと。

 

 

 

 

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