周産期関係
こちらの記事に書いたように、私は外科系看護に関心がありました。今から30年以上前のことです。 なぜ外科系に関心があったのか自分でも思い出せないのですが、手術室のあの緊張した雰囲気と、麻酔器や人工心肺を使って、目の前の人が意識もなくなり動かない…
「アドバンス助産師とは」についてはまだ続きを考えているのですが、昨日の記事の最後にこう書きました。 標準的な業務が明確にされていないから、それが周産期医療から逸脱しているとも認識できないのではないでしょうか。 この標準化が遅れている業務のひ…
週刊医学界新聞の「今こそ、助産師像を描く必要がある」というインタビュー記事の最後の方に、「"ALL JAPAN"での取り組みを」と書かれています。 2013年7月に出された「助産実践能力習熟段階(クリニカルラダー)活用ガイド」にも、この「ALL JAPAN」という…
前回の記事で週刊医学界新聞のインタビュー記事に、アドバンス助産師の位置づけについて以下のように書かれていることを紹介しました。 今回、認証するレベル3は、責任を持って自律的に助産ケアを提供し、院内助産システムに従事できるだけの実践能力をもつ…
医学書院の「週刊医学界新聞 第3118号」(2015年3月23日)に、「今こそ、助産師像を描く必要がある」というインタビュー記事があります。 「『助産実践能力習熟段階(クリニカルラダー)』レベル3認証制度の開始迫る」というサブタイトルで日本看護協会常任…
「アドバンス助産師」と聞いて、まず思い浮かんだのが「助産師と高学歴化」の記事に書いた「上級助産師」でした。 私が助産師になった80年代終わりは、まだ専門学校か短大専攻科に進むしか助産師への道はありませんでした。その後、急速に看護教育の大学化が…
「アドバンス助産師」について、昨日紹介した日本経済新聞6月7日の記事では以下のように書かれていました。 分娩介助100例以上、妊婦健診200例以上などの経験に加え、新生児蘇生法や分娩監視装置に関する研修の受講が条件。 認証された助産師は「アドバンス…
看護協会の会員なので、毎月「協会ニュース」が送られてきます。 ざっと助産師に関することは目を通していますが、6月号には気になった記事がありました。 ひとつは平成27年度通常総会での協会の「重点政策・重点事業」です。「少子超高齢化社会に対応する…
世の中の感じ方は反動から反動へと変化して、最終的に中庸へと落ち着いていくのかもしれないと思うようになったことをこちらの記事に書きました。 最近、妊婦健診に通う方々に、「お産や産後に何かこうして欲しいとかご希望はありますか?」と尋ねても、「い…
産科病棟や産科診療所というのは、医療機関の中でも電話相談が最も多い部署ではないかと思います。いえ、はっきりとした統計があるわけではありませんが。 妊娠中の症状の問い合わせ、お産が始まったかもしれないという連絡、そして産後のお母さんや赤ちゃん…
2008年と2014年の助産師業務要覧では、今まで考えたこともないことが助産師の応召義務の解釈として書かれていました。 それは私のように病院・診療所に勤務する助産師の、時間外の勤務や呼び出しです。 2008年の助産師業務要覧には以下のように書かれていま…
こちらの記事」で二十数年前の助産学の教科書、そして2008年と2014年の助産師業務要覧に書かれている助産師の応召義務について紹介しました。 特に最も新しい2014年の業務要覧には、以下の文章がつけ加えられています。 開業助産師の場合には、地域や在宅か…
医師の応召義務についての議論は2000年代によく目にしましたが、その解釈についてどうとらえたらよいのかは部外者、というより当事者ではないので理解は不十分なままです。 ただ、Wikipediaの応召義務の説明を読むと、時代の変化がわかり興味深いと思いまし…
病院や診療所内での急変や救急対応はそれなりに日常的なことなのですが、勤務場所を離れた時に急病人の対応をした記憶は、案外少ないものです。 記憶にある限りでは2回、いや3回かもしれないというぐらいもう記憶はあやふやです。 おひとりはプールで泳いだ…
ニュースを直接見たわけではないのですが、先日、国際線の飛行機の中で出産があったことを知りました。 周産期関係者のみならず他の診療科医師を初はじめ医療従事者の大半は、こうしたニュースを聞くとまずは自分がその場に居合わせた状況を想像して、じんわ…
先週の北海道や東北地方の大雪のニュースで、吹雪は予測するのが難しく、その予測方法の開発に防災科学技術研究所が取り組んいることを伝えていました。 先日の伊勢湾台風の記事を書く時に知った研究所です。 小学生の頃過ごした山間部の地域では、積雪1mぐ…
前回の記事で私が生後2〜3日目の赤ちゃんの死亡に遭遇したのは、1980年代終わりの頃でした。 当時はまだ、臨床では乳幼児突然死症候群という言葉はありませんでした。 今思えば、乳児死亡率も下がって「健康な赤ちゃんが亡くなる」ことは身近には感じられ…
ついさっきまで元気に泣いたり笑ったりしていた人が、突然亡くなる。 それは残された人に深い悲しみだけでなく、何かをし足りなかったから一人の命を死においやってしまったという罪悪感を残します。 何年たっても、何十年たってもその罪悪感は薄まるどころ…
昨日に引き続き、小児科医二木(ふたき)武氏の「母乳が足りなくても安心」から、1970年代から80年代あたりの授乳についての考え方の変化を紹介したいと思います。 「母乳信仰」といった表現は、お母さんたちひとりひとりの思いを十把一絡げにしてしまうので…
1980年代初頭に看護職になって以来30年あまりを医療現場で働いてきましたが、案外と自分が成人するまでの時代について知らないという事を痛感してきました。 1960年代から70年代の日本の医療はどんな状況だったのだろうという知識は、今でこそ「歴史」として…
規則授乳と自律授乳という授乳方法が、明治以降、どのように変化しながら世の中に広がって来たのかを前回の記事で紹介しました。 時間ごとに授乳する規則授乳は明治初期から広まり、「昭和20年頃までにきわめて常識的な授乳方法になった」にもかかわらず、…
「規則授乳」という言葉は、すでに明治時代から広まり始めていたことを昨日の記事で紹介しました。 ただ、それは翻訳された育児書の中で紹介されていたという事実であって、必ずしも社会にその方法が取り入れられたという意味ではないようです。 この規則授…
昨日の記事で1960年代初めの頃の母子手帳の内容を紹介しました。 私が生まれた1960年代の初め頃というのは、「我が国の分娩・妊娠の危険性は?」(国立成育医療センター、久保隆彦氏)の「我が国の分娩場所の推移(自宅と施設)」(p.4)にあるように自宅での…
助産師になってから、自分が生まれた頃の1960年代初頭の出産や授乳についての社会の雰囲気を知りたいと思い、何度か母に質問したことがあります。 ところが「妊娠中は腰痛がひどくて大変だった」「あなたが生まれた日はすごく寒くて大変だった」ということと…
時代というのは反動から反動を繰り返すことが見えるのが半世紀ぐらいかもしれないということをこちらで書きました。 自分自身が反動から反動へと繰り返した結果、最近、「中庸というのが大事だな」と思うことが多くなりました。 「こっちのほうが絶対によい…
人生半世紀ぐらい生きると、時代というのは前に進んでいるというよりは、反動から反動へと動いている部分も多いとの思うことがいろいろとあります。 たとえば最近、街を歩く若い女性の服装をみると、あれは私たちが10代から20代頃に「新しい」と取り入れてい…
1990年代初めの頃に「双子の赤ちゃんに同時に母乳を飲ませる」方法を何かの機会に知った時は、「目から鱗的」でした。 授乳時間も短縮できるし、お母さんたちには吉報に違いないと。 今考えると、あれもラ・レーチェ・リーグあたりが出所だったのでしょう。 …
少し間があきましたが、こちらの記事で「母乳育児」という言葉の広がりやその推進運動により、それまでは「根拠は明らかではなかったが止めた方がよい」と思われていたことがいくつか見直されるきっかになったことをいくつか書きました。 「妊娠と授乳の継続…
液状乳児用ミルクのキャンペーンについての記事に、Meekさんからアメリカの資料や乳業会社の状況についてコメントを頂きました。 だいぶ時間がたってしまいましたが、コメントを本文で紹介することも快諾してくださりMeekさんありがとうございます。 物ごと…
「母乳育児」という表現がここ十数年ぐらいで広がったのとともに、より正確な医学的知識が確立された部分もあります。 そのひとつが、「母乳と薬」に関してです。 以前は、授乳中のお母さんが他科を受診して内服薬などが処方されると、その間は「おっぱいを…