次の遠出の計画を立てるために地図を眺めていたら、水田地帯に見慣れない表示がありました。
クリックすると「東屋 休憩施設」とあります。
ここ10年ほど都内の川や湧水の散歩から田んぼや用水路まであちこちを歩くようになり、最近ではさらに交通費節約のために数駅分歩くようになりました。
1万歩を過ぎる頃になると、どこかに腰掛けて休憩したいなあと思います。
じきに、ほんの数百メートル歩いても休みたいという年代になりますからね。
10年ぐらい前だとまだ都内では、むしろベンチを撤去したり座りにくくしたりという社会の雰囲気でしたが、最近は落ち着いた木製のベンチがけっこう設置されているところが目に入るようになりました。
ありがたいと座らせてもらって水面を眺めたり、周囲の植物を眺めるだけで元気になります。
これももしかすると高齢化社会のすてきな遺産かもしれませんね。
*東屋を建てるのは休憩だけではないのかもしれない*
遠出をすると、意外な場所に東屋があることを知りました。
たとえば山中の深良用水沿いにあった東屋とか、日生(ひなせ)の市民会館そばの海を眺められる東屋とか、信濃川右岸の矢代田駅前の水田を見渡せる東屋とか、利根川の堤防の上の東屋とか、散居村の一角にある水路を眺められる東屋とか、奈良のため池のそばの東屋とか、西大滝駅前のそばの千曲川の川面を眺められる東屋とか。
「東屋」のまとめも必要ですね。
いつの間にか「東屋(あずまや)」という言葉を知っていたのですが、どちらかというと「庭園など格調のある場所」に造られたイメージでした。
最近は、あちこちに公園や遊歩道が整備されて、誰もが一休みできるすてきな東屋を見かけます。
いい時代になりました。
私の人生の中で最初と言って良いほど「東屋」が印象に残ったのは、30代に入った頃に東南アジアの漁村のニッパ椰子で建てられた東屋でした。
一日中そこに座って海を眺め、風の音を聞きながら、過去から未来へ、理想と現実の葛藤を考えていたのでした。
時に、現実の残酷さから目を逸らすために無心になろうとしながら。
で、いつの間にか心地よい昼寝の場所になっているのですが。
さて、その「意外な場所にある東屋」というのは、住民の散歩のコースや観光のためでもなさそうな場所にありました。
それがマップに表示されるようになって、「地図の正確性」だけではない何かもっと重層的な深みが増えたと感じました。
その水田の真ん中に表示された東屋を、絶対に訪ねよう。計画が決まりました。
あ、今日の内容は「こんな地図があるといいな」というより、「こんな地図があるといいなと思っていたことが一つ実現した」という内容でした。
あの用水路名が表示されるようになったように。
*おまけ*
それにしてもどうやって正確に東屋を把握して地図に表示するのでしょう。
すごい技術ですね。
そしてこちら側は世界のすみずみまで衛星写真を見ることができる平和な生活でも、あの懐かしいニッパ椰子の東屋は爆撃の標的にもできてしまうことが怖いですね。
そしてその精度の高い地図を眺めながら、爆撃したあとの土地に観光地を作ろうなんて思う大統領が出てくる時代も。
「平和な時でなければ地図づくりはできない」、あくまでも平和利用ために地図が進化していきますように。
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