助産師の世界
前回の記事で、「助産師基礎教育テキスト第3巻 周産期における医療の質と安全」(日本看護協会出版会、2009年)の中に書かれている新生児訪問についての記述を紹介しました。 その中に「新生児訪問・全戸訪問(こんにちは赤ちゃん事業)」(p.193)と書かれて…
思い込みの強い代替療法や医療への忌避感を強めやすいさまざまな民間療法的なものや食事療法が助産所で積極的に取り入れられていることの問題点は、今までも書いてきました。 助産所に通うことになるきっかけは、多くの方はご自分で調べ、選択し、それなりの…
ちょっとしたいい話やアドバイスのかたちで思い込みや妄想が助産師の中に広がりやすく、またお母さん達へ勧めやすいのは、その助産師個人の問題というよりはこちらに書いたように助産師を育てるシステムの問題が一番大きいのではないかと考えています。 助産…
前回の記事で分娩介助の経験数が大事であることを書きましたが、今日は少し矛盾するようですが、「数だけではないよ」という話です。 <「個人的体験」から「客観的な視点」への境界線> 自分自身を振り返って、あるいは新卒の助産師を受け入れてきた経験か…
以前勤務していた総合病院でも現在の診療所でも、時々、助産師の中途採用があります。 もちろん、私も施設を移れば中途採用される立場になります。 その時に受け入れ施設側として「この助産師はどの程度仕事ができるか」というポイントは重要です。 それが、…
ラダーというのは梯子(はしご)という意味ですが、看護では資格取得後の到達目標を段階的にとらえていける目安としての「クルニカルラダー」という言葉が使われ始めたのは1990年代半ばごろだったような記憶があります。 昨年、助産師のクリニカルラダー…
最初に「助産師の世界」という言葉を使って記事を書いのはこちらでした。以降、気づいたら、「助産師の世界」のタグのついた記事がいっぱいになっていました。 (右欄の「カテゴリー」の「助産師の世界」をクリックすれば記事一覧が出ます) 1990年代後…
1980年代半ばに東南アジアの難民キャンプで働いていた時に、カナダとオーストラリアから派遣されていたシスターの助産師と一緒に働く機会がありました。 私の業務とは無関係でしたが、自分自身の関心から分娩の外回りの介助を経験させてもらいました。 難民…
「裸の王様に服を着せるのは誰か」で、「ところが搬送の機会になるほどの異常も起こらず、自宅での出産は無事に終わりました」と書きました。 これを読んで、「ほら、やっぱり自宅分娩だって大丈夫じゃない」と思った方、特に助産師がいたら、裸の王様の予備…
また昨日の続きです。 裸の王様シリーズは、裸の王様に服を着せるのは誰かから始っています。 今回は集団思考に陥りやすい「先行する条件」の最後の部分、「刺激の多い状況に置かれると集団思考に陥りやすい」について考えてみようと思います。 wikipediaの…
昨日のつづきです。 「集団思考」の中に書かれている「先行する条件」と「集団思考の兆候」も、助産師の中に裸の王様とその予備軍を生み出している状況そのものだと思いました。 先行する条件 (1)団結力のある集団が、(2)構造的な組織上の欠陥を抱え、(3)刺…
昨日の記事で引用したwikipediaの「裸の王様」で、最後の方に「関連項目」の中に「集団思考」がリンクされています。 集団思考 集団で合議を行う場合に不合理あるいは危険な意思決定が容認されること、あるいはそれにつながる意思決定パターン あ、やっぱり…
久しぶりの「助産師の世界」と「今日はちょっと黒」のタグです。 「今日はちょっと黒」のタグを初めて使ったのは、「記録に残しておきます」の記事でした。そちらを読んでいただければ、このタグはどのような時に使うのか、何となく伝わるかもしれません。 …
日本看護協会の「分娩施設における災害発生時の対応マニュアル作成ガイド」の「災害に関する助産師への教育」の中には、今までのの記事で紹介した「フリースタイル分娩」「院内助産」以外に「早期の母乳栄養確立に向けた援助」という項があります。 今回はそ…
日本看護協会が出した「分娩施設における災害発生時の対応マニュアル作成ガイド」の「分娩施設」とは、どのような施設のことを指しているのでしょうか? こちらの記事で、「看護管理」2012年12月号(医学書院)で引用された「助産師数別の分娩機関数」のデー…
今年(2013年、平成25年)1月31日付けで、日本看護協会から「分娩施設における災害発生時の対応マニュアル作成ガイド」が発行されました。 あくまでも対応マニュアルの作成ガイドですから、詳細な部分は少なく、マニュアルをつくるための頭の整理的な内容に…
「写真でわかる助産技術」 (監修 平澤恵美子、村上睦子、インターメディカ、2012年3月) サブタイトルが「・・・妊産婦の主体性を大切にしたケア、安全で母子に優しい助産のわざ・・・」とあります。 「医療介入とは」の記事を書くために書店で見つけたもの…
助産婦だけで分娩を取り扱う助産部門があった母子健康センターは、農山漁村やへき地地域だけでなく、実は都内にもかつてありました。 1970年代終わり、看護学生の時に都内23区内にある母子健康センターを見学したことがあります。 分娩も扱っていました。 19…
産後ケアの話題から少し離れて、助産婦だけで分娩を担っていた母子健康センターの助産部門について考えてみたいと思います。 「日本で助産婦が出産の責任を負っていた頃」で紹介した伊関友伸氏のブログで、丹波地方の母子健康センターについて書かれた部分を…
残された産科施設で分娩を受け入れるためには早期に退院をしてもらう方法を取り入れるところが増え、それにともなって「産褥入院」という言葉が聞かれ始めたのは2000年代終わりの頃だったと記憶しています。 「助産雑誌」2010年4月号(医学書院)でも、「特…
こちらとこちらの記事で紹介した「鑑定からみた産科医療訴訟」(我妻 尭氏著、日本評論社、2002年)の中には、訴訟例の実際の胎児心拍陣痛図(CTG,cardiotocogram)がいくつも掲載されているので参考になります。 なぜ私がこの本を購入したのかというと、2002…
約280日という限られた妊娠期間においてのみ発育し、児娩出直後剥離して排出される胎盤の機能ほど多彩な働きを示す器官は、他臓器にはみられない。 私にとって胎盤とは、まさにこの記述に書かれたものそのものでした。 いつ頃だったか記憶にないのですが、こ…
助産師学生の頃、初めて分娩実習に出る前の緊張感というのは人生の中でもそうそうないほどの緊張だったように思います。 特に臍帯を切断する手順は、学生同士でも何度もゴムチューブを使いながら練習した記憶があります。 <臍帯の血流を止める> 当時の教科…
へその緒を誰が切るのか。 現在の日本では医師・助産師は法的に認められた医療行為で、救急隊員はやむない場合、つまり臨時応急の手当てとして臍帯切断が許されていると法的に理解しています。 でも実際には夫や子ども、あるいは産婦さん本人が「へその緒を…
胎児と新生児の左右のあれこれを書いてきました。 こちらの記事までで紹介してきたように、整体的な考えの中には左右対称がよいことという考え方が強いように感じられるのですが、人の体はそもそも左右非対称が『自然』なのではないかと考えてみたくなったか…
中井久夫氏は中国医学、漢方、アユールヴェーダなどの非宗教的体系的・非近代医学は「看護の概念を発展させず、その面は一般に家庭看護に頼ってきたようである。したがって病院も発達しなかった」(「看護のための精神医学 第二版」中井久夫・山口直彦著、医…
明治時代、あるいは大正・昭和初期に近代産婆の資格をとろうとした女性には、それまでのトリアゲバアサンとは大きく異なる職業意識があったのではないかと思います。 「出産と生殖をめぐる攻防 産婆・助産婦団体と産科医の100年」(木村尚子著、大月書店、20…
ここ数年、助産所のHPを定点観測するようになって、ずっと気になっていた言葉がありました。 「営業」という言葉です。 ずっと病院と診療所で働いてきた私には、医療の世界ではなじみのない表現でした。 病院は「営業中」とはいいませんから。 現在でも、助…
一世紀というのは不思議な時間の長さです。 日本の代替療法の変遷の記事で、代替療法と近代医学に線引きが行われ現代医療が形作られてきたことを紹介し、「今、私たちが普通に病院のシステムと考えているものができて、たかだか50年ほどに過ぎないわけです」…
100年という長さは、不思議な長さだとよく感じます。 特に半世紀を生きてしまった私にとっては、一世紀前というのは大昔なのかそれとも近い昔なのかなんだかわからなくなることがしばしばあります。 二十代の頃の私にとっては一世紀前というのは「大昔」でし…