13度でひんやりしています。連休後半から電車内で咳をする人が増えました。何事も無事に過ごせますようにと祈りながら、のぞみに乗り込みました。
珍しく寝違えて首の右側が痛いのに指定席はAなので、ちょっと辛いかもしれません。
でも、小倉駅まで4時間半の歓喜の車窓の散歩です。新幹線がゆっくりと動き出すとともに車窓の風景に集中しました。
*東海道新幹線と山陽新幹線の車窓の散歩*
ここ数年、何度も見慣れた新幹線沿線の風景ですが、以外に難関なのが多摩川までの風景です。
ずっと目を凝らしているのですが、2022年に歩いた西大井駅の南側200mほどのところにある原の水神池とその鎮守の森も、すぐに見落としてしまいます。
そこからは武蔵野台地の端が舌状台地になって複雑な起伏となって東京湾の方へと続いているので、どこを通っているのかわからなくなることがしばしばあります。
そしてもう一ついつも気になっていた小さな森はなんという場所だろうと、マップで確認すると「山王稲穂神社」と出てきました。マップを見るために画面に目をやったその数秒のうちに、雪谷の切り通しになってあっという間に多摩川になるのでした。
ああ、またあの大森のあたりからの複雑な風景を見逃してしまいました。
帰宅してからもう一度確認すると、神社ではなく「山王稲穂児童公園」のようです。
いずれにしても「稲穂」ですから、かつては田んぼがあったのでしょうか。いつか歩いてみたいものです。
あっという間にさまざまな街の風景や田んぼや水路をいくつもすぎていきます。こうした街や田んぼや線路を作るためにどれだけ正確な測量技術が求められていたのでしょう。
江戸時代の測量技術による各地の水路開削、伊能忠敬らによる正確な地図のための測量、ヨハネス・デ・レーケらによる河川改修のための測量あるいは明治期以降の鉄道敷設のための測量とか、すごいことですね。
だからこその1960年代の新幹線の実現でもあったのだと。
あっという間に田子の浦から新富士駅を越えて、黄砂と花粉症で断念した道が見えトンネルに入りました。
子どもの頃は5月の連休というと田植えの時期だった記憶ですが、沿線はさまざまな田んぼの風景です。矢作川から三河安城のあたりは麦秋へ、そして木曽川左岸の稲沢から祖父江ではこれから田おこしのところもあれば、水鏡だったり田植えも終わっているところもありました。
今年も無事に収穫できますように。
木曽三川のかつては輪中だった微高地も、車窓からだいぶわかるようになりました。
関ヶ原を越えると、いよいよ滋賀県です。天野川両岸は美しい水鏡の風景で、見惚れていると車体がぐーんと左へ偏りながら米原を通過しました。
愛知(えち)川左岸から五個荘の幻想的な風景に惹き込まれているうちに、大きな琵琶湖に沿ってまた車体が右へ左へと傾きながらトンネルに入り、琵琶湖疏水には囂々と水が流れて京都を過ぎました。
じきに桂川・木津川・宇治川が合流して淀川になり、かつての大和川はどのあたりに流れていたのだろうと思っているうちに、行基さんを思い出しながら武庫川を越えました。トンネルを出ると、明石の海が見えてため池の多いいなみ野台地です。
加古川から市川、揖保川、とそれぞれの治水や利水の歴史や美しい街を思い出しているうちに、吉井川を越え遠出の原点の岡山へ入りました。
半世紀前、祖父母は何月に田植えをし、どんな水路の管理があったのでしょう。知らないことばかりです。
*ランドマークの少ない区間へ*
ここから先、小倉まではまだ2往復したぐらいなので、ランドマークになる記憶が少ない区間です。気合を入れて風景に集中しましょう。
岡山駅には新幹線車両基地があるのですね。そこを過ぎるとかつては吉備の穴海だった場所を干拓した広々とした水田地帯になり、犬養道子さんのおじいちゃまの家の屋敷林が見えます。
高梁川を渡り、高梁川右岸の新倉敷のあたりまでの田んぼと集落に郷愁を感じながら見惚れているとトンネル区間が多くなり、途中遠くに笠岡湾干拓地の承水路が見えました。
トンネル区間を抜けると福山城のそばを過ぎ、戦後の長い混迷とばら園そして福山上水沿いの散歩を思い出しました。
またトンネル区間が多くなり、赤い屋根瓦の集落と美しい田んぼの風景が多くなってきたのは東広島のあたりでしょうか。歩いてみたいものです。どこが水源でしょう。
赤い屋根瓦の集落から、周防高森のあたりでは真っ黒な瓦屋根になりました。瓦の色とその地域の歴史が気になりますね。
新幹線が速いからかマップの表示もGPSも追いつかないことが多く、ただでさえ記憶している場所が少ないので、一瞬たりとも見逃さないように風景に集中です。
徳山の工業地帯をすぎ、懐かしい防府から厚狭のあたりまでの「開作」がトンネルの合間に見えます。
田んぼを作るための、千数百年もかけての干拓によって成り立っている先祖伝来の国土ですね。
小高い場所のような新下関駅を過ぎるとじきにトンネルに入り、下っていくのがわかりました。ここではGPSが止まるのでどこを通過しているのかよくわからないのですが、しばらく海底のような場所を走ったあとまた上り始め、「まもなく小倉」のアナウンスがあり、ふわりと視界が広がりました。今回の散歩の最終日は、ここを歩く予定です。
10時35分、小倉駅に到着しました。
いつの間にか、寝違えた首の痛さも忘れていました。
*ソニックで別府へ*
小倉駅の充実した駅うどんのお店の誘惑に駆られながら、7番線のホームへ。
慣れないのでどちらが博多方面か方向感覚を失っていると、後ろ向きのまま列車が入線してきてまた混乱。そうでした、ここから大分方面へ行くソニックは、博多から小倉まで座席が反対になるこに気づくまで少々かかりました。
さて、ここでのっぴきならない事態に気づきました。
PASMOをどこかでなくしたようです。品川駅の売店で使ったので、新幹線車内でしょうか。オートチャージではなかったのが不幸中の幸いですが、ほぼ満額入れていたので使われてしまうでしょうか。それとも誰かが届けてくださるでしょうか。
本当は途中、中津城のあたりを歩く予定でしたが、計画変更しました。
美しい周防灘沿岸の干拓風景もちょっと上の空になってしまいました。
駅で対応方法を聞き、SUGOCAを購入して気持ちを切り替えて、遠出を続行です。
ICカードを持つようになって20年以上、初めての紛失が自宅から遠く離れた九州だとは。まあ、人生こんなこともありますね。
心を落ち着けて再発行までの流れを冷静に考えつつ、でも逃してはいけない車窓の風景にも集中するという修行のようなことになりました。
周防灘沿岸の美しい風景が続きます。黒い瓦の美しい家々が緩やかな微高地にあり、広大な田畑が広がっています。どこも整然としています。
2022年に車窓から見て以来、いつこの地域の干拓の歴史を訪ねようかと楽しみにしていますが、いつまで体力と資金が持つでしょうか。
宇佐のあたりで山あいに入ると、しばらくマップは圏外になりました。ここでちょうど検札に車掌さんが来ました。私は紙の乗車券ですが、スマホのチケットだとどうなるのかなと考えているうちに別府湾が見えてきました。
*おまけ*
当日JRに連絡したあとも見つかったという連絡がなかったので、あきらめて自宅近くの駅で再発行をしたのが5日後の遠出から戻った時でした。
記名式だと残額がわかるようで、奇跡的に全額そのままで再発行と相成りました。
さらにしばらくして1,000kmも離れた警察署から連絡をいただきました。
そのまま落とし物として届けてくださる方がいて、一枚のカードでも確実に持ち主まで連絡してくださる警察の方がいる。すごいことですね。
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