散歩をする 409 小机駅からセンター北駅まで水を訪ねて歩く

今回の散歩の記録は、昨年末、あと少しで大晦日という日にふらりと出かけた散歩です。

なぜこのルートを決めたのだろうと思い出そうとしているのですが、まだ1ヶ月ちょっと前のことだというのにはっきり覚えていません。

 

12月初旬に利根川の両岸府中崖線沿いの水路を歩いたあとは、散歩に出かける余裕もない日々でした。

例年でも年末年始の医療体制の厳しい時期に向けて、リスクのある方の出産が安全にできるように調整するので、12月というのはなんだか緊急対応が増えて気忙しい時期です。

さらに昨年末は家族間で次々と感染、スタッフも発症、救急体制も限界、医薬品も出庫調整ばかりと綱渡りのような気分でした。

 

そうそう、なんとか乗り切って魂が抜けたような中で地図を眺めて決めたのでした。

 

 

*降りたことがない駅に立ち寄ってみよう*

 

ふだんは地図の川や水路など水色の線をたどって計画ができるのですが、ほんと、魂が抜けてしまったのかこの日は何も思いつきません。

新幹線でも眺めに行こうかな東海道新幹線の沿線をたどっていたら、ふとJR横浜線小机駅に目が行きました。

2021年に鶴見川の水源地を訪ねた後、その支流などをところどころ歩きました。

 

東急田園都市線長津田駅のそばを流れる支流の恩田川と鶴見川JR横浜線中山駅の少し下流で合流していますが、そのあたりから小机駅のあたりまではまだ両側に水田地帯が残っているようです。

 

そして新横浜駅から数百メートルのところにある日産スタジアムができた頃に近くを通った時には、まだ周囲は何もなかったような記憶があります。

鶴見川多目的遊水池整備事業」(1984年)についてはなんとなく知っていたのですが、鶴見川が氾濫したらあのスタジアムは湖に浮かぶボートのようになってしまうのではと妄想する程度でした。

 

そういえば小机駅も何度か通過したことはあるけれど、下車したことはありませんでした。

この辺りを歩いてみようとスタート地点が決まりました。

 

川のそばに小机城址があります。きっと小高い場所だろうと想像がつきますね。そこからなんとなく北へと地図を眺めていると、地下鉄ブルーラインのそばに水色の線沿いに公園が二つあるのに気づきました。

鶴見川左岸の台地に流れる川を利用したのでしょうか。

その公園を見てみたくなりました。

 

さらにセンター北駅の前に大塚・歳勝土遺跡公園があり、そこから地下鉄グリーンライン北山田駅まで、公園が点々と続いています。

 

北山田駅のそばにある横浜国際プールに行った記憶があります。2005年の第81回競泳日本選手権大会を観に行った時だったと思います。

周囲はまだ新しくでき始めたばかりの広々とした街という印象でした。

 

あのあたりがどんな地形なのかこの目でもう一度見てみようと、散歩のコースが決まったのでした。

 

 

 

「散歩をする」まとめはこちら

新型コロナウイルスに関する記事のまとめはこちら

事実とは何か 98 「義務ではない」が現時点の判断

目の前の生活と仕事に追われていると、いつの間にか「既成事実」が積み重なって「事実」かのように変化してしまうことがありますね。

時々しっかり確認しておかないと見失うことがあるので、今回もまた私の忘備録です。

 

 

「『厚労省が押し切ったな』マイナ保険証めぐり幻の"有料化案"」

 

 

幻に終わった"有料化案"

2月17日午前の閣僚後会見。

河野デジタル大臣は、来年秋に紙の保険証が原則廃止されることを受け、次のように述べた。

河野デジタル大臣

マイナンバーカードを保険証として使っていただくことが基本ですが、紛失をしてしまったとき、あるいはベビーシッターなど第三者が同行して資格確認をするような場合に、「資格確認書」を提供することといたします」

 

政府は、来年秋をめどにマイナンバーカードを保険証として利用する「マイナ保険証」に一本化する方針だが、河野大臣は、カードを持たない人のために「資格確認書」を発行すると発表した。

会見で河野大臣は、こう付け加えた。

 

河野デジタル大臣

「こうした資格確認書は無償で提供をするということにいたします」

 

「資格確認書」は無償、つまり手数料無料で発行する。政府内で検討されていた"有料化案"が幻に終わったことが宣言された瞬間だった。

 

河野大臣VS加藤大

 

「資格確認書」の有料化案というのは、デジタル庁を中心に出てきたものだ。2022年秋、河野デジタル大臣が「紙の保険証を廃止し、マイナ保険証に一本化する」と宣言したとき、「紙の保険証を廃止するのに、また別の紙の証明書を発行するのはナンセンス」「そもそも保険証廃止する必要ないのでは」、こんな声が相次いだ。また、デジタル庁内には「マイナンバーカードによって、公的・民間も含めて社会的なコストが下がる。カードを持ちたくない人は、そのコスト減の効果を少なくしている分だけ対価を支払う必要が出てくる」という意見があった。

カードを持たない・持ちたくない人に対しては、従来通りのサービスを提供する代わりに、より割高の対価を要求する、高速道路でのETC(電子料金収受システム)のようにすべきだ、という考え方だ。

複数の政府・与党関係者によると、河野デジタル大臣はこういった考え方に基づき、「資格確認書は有料とし、その有効期間もできるだけ短くすべき」と訴えていたという。

 

一方、同じ閣僚でも、加藤厚生労働大臣は、発行料は無料とすべきというスタンスだった。「保険料を収めているのだから、従来と同じ保険診療を受けることができるのは当然の権利」という主張だ。デジタル庁の中でも、一部の幹部はこのような考え方だった。

 

「有料」か「無料」か。有効期間は「1~3ヶ月程度」なのか、それとも「数年」とするのか。議論はしばらく平行線を辿ったという。

 

 

「罰金とすべきでない」流れを決めた自民党内の声

 

2月8日の朝8時。自民党本部で開かれた「総務部会・厚生労働部会・デジタル社会推進本部合同会議」。

この場で、「マイナンバーカードと健康保険証の一体化に関する検討会」における検討状況が示され、有料化案も話題に上った。

出席した議員の多くが反対したという。

 

出席した議員

「保険料を払っているので、義務でないマイナカードを取らなかったからと言って負担させるべきではない」

「カードを取らないから罰金、みたいに受け取られることをやってはいけない」

こんな意見が相次いだのだ。

この日を境に、有料化案は急速にしぼんでいく。

 

そして、17日の閣僚後会見。

加藤厚生労働大臣は、資格確認書の有効期間は「1年を限度として各保険者が設定」すると発表した。現在の紙の保険証についても「1年間は有効とする経過措置を設ける」という。

 

有料化の議論について記者から問われると、「議論すら存在しなかった」と言い切った。

 

加藤厚生労働大臣

「政府内でそういうことを議論していたわけでは全くありません。したがってこういう結論になるのは当然のことだと私は考えています」

今回の結果を受けて、関係者はこう呟いた。「今回は厚労省が頑張って押し切ったな」

 

 

普及を阻む"対面"の壁

 

カードの取得促進に向け、有料化という"ムチ”を封じられた政府。今後はどうやって取得率を上げていくのか。

一番のハードルとされているのが「対面」の壁だ。現在の制度では、カード申請はオンラインや郵送でもできるが、受け取りの際に必ず本人が役所を訪れ、対面で本人確認したうえで交付されることになっている。役所が開いているのは原則平日のため、社会人などには大きなハードルとなっている。

 

そこで今回政府は、特定の郵便局でオンラインによる本人確認を行なったうえで、郵送でカードが送れるよう、制度化を目指すことを決めた。また、新生児やカード紛失時の再交付、海外からの転入者などを対象に新たに「特急発行」の仕組みを、2024年秋までに創設する。これまでは申請からカードの受け取りまでは1ヶ月程度かかっていが、「特急発行」では本人が窓口で申請すれば最短5日間で郵送で交付できるようにするという。特に新生児については、出生届と一緒にカード申請することで生まれた赤ちゃんがすべてカードを取得できるようにできないか、検討されているという。

また、これまで代理人がカードを受け取ることは「病気、身体の障害その他やむを得ない理由のみにより役場に出向くことが困難であると認められるとき」のみ認められていた。この条件を大幅に緩和することで、例えば小中学生については本人確認書類で年齢を確認することで、保護者らが受け取ることも今後、可能にするという。

 

 

「ほぼ全国民」の目標はどこへ

 

マイナンバーカードの普及率は申請ベースで約8662万件、全人口の68.8%に達した(2月12日現在)。これは運転免許証を上回る数字だ。

 

岸田総理

「様々な工夫を重ね、昨年初めに、5500万件だっった取得申請を、8500万件、まで増やしました。今や、運転免許証を大きく超え、日本で最も普及した本人確認のツールです」

 

今年の岸田総理の施政方針演説でこう胸を張った。しかし、政府がこれまで掲げてきた目標は「2023年3月末までにほぼ全ての国民に行き渡らせることを目指す」である。去年10月の岸田総理の初信表明演説でも「概ね全ての国民への普及のための取組を加速する」としていた。その文言は消えてしまっている。

 

政府関係者は「先進国でもオンラインで本人確認できるツールがここまで普及した国はない」として、事実上目標は達成したとの認識を示しているが、政府が一度掲げた目標は重い。「ほぼ全ての国民」はどうなってしまったのか、岸田総理の説明が待たれる。

(TBS NEWS DIG、2023年2月18日)

 

少なくとも2月8日の時点では、議員さんたちの中でも「義務でないカード」という認識があることがわかりました。

 

加入している協会から年に一回送られてくる「医療費のお知らせ」が最近届きましたが、今使われている保険証が今後どうなるのかは書かれていませんでした。

さまざまな健保協会があるようですが、保険証を廃止というのは今までの体制を大きく変えてしまうことになるのでしょうか。

 

ところで、「従来の紙の保険証」という表現をしばしば耳にするのですが、私の保険証はだいぶ前からすでにプラスティック製のカードになっていますし、勤務先に受診される方々の保険証のコピーもほとんど「紙の保険証」は見かけませんね。

必要ならば、この健康保険証にICチップをつければまだよかったのにと思うのですけれど。

ただし、まずはあくまでも任意で。

 

保険証にしても運転免許証にしてもそれを発行する過程でたくさんの人が従事していたと思うのですが、その人たちの仕事は突然としてなくなってしまわないでしょうか。

なんだかあの割り箸の時代や最近のレジ袋やストローを一気に廃止して、それまでその産業を築いてきた人のことはどうなってもいいかのような雰囲気に似ていますね。

 

 

「急いては事を仕損じる」という戒めが思い浮かびますが、健康保険のしくみも歴史も私は不勉強のままでした。

 

 

 

「事実とは何か」まとめはこちら

マイナンバーとマイナンバーカードについての記事のまとめはこちら

 

存在する 32 名前と住所で存在を確認する手段がない

1990年代の終わり頃にインターネットが普通の家庭にも広がり始めてから、夢のような便利さを享受しているとともになんともいえない不安定さも感じます。

現実の存在と架空の存在を見極めることが大変になったというのでしょうか。

 

先日もiCloudの支払いについて「もうじき支払日がきますが、手続きしないと現在のタイプから変更されて支払額が増えます」というメールが来ました。

恐る恐る開くと、確かにAppleの相談のようなサイトで手続き方法が書かれているのですが、何か違うような気がしてそのままにしておきました。

 

翌々日、特に問題もなく今まで通りの額が引き落とされていたので、あれはなんだったのだろうとわかりません。

 

こういう場合に、これが本物のお知らせなのかネット上では送信してきた相手に確認する手段がないことが多いですね。

返信したらそのまま何かの詐欺の入り口に入ってしまうのか、判断に悩むところです。

 

通販の配達でもトラブルがあった時に相談のチャットへと誘導されたのですが、日本語のチャットなのにこんなに日本語ではないような会話は珍しいと思う噛み合わなさで、解決方法がわからずに途方に暮れたことがあります。

ひたすらあれこれ似たようなトラブルを検索したのですがわからず、その代金が無駄になっても仕方がないからともう一度発注したら、なんだかわからないまま解決しました。

あれはなんだったのでしょう。

 

こうしたお金や物の取り引きなのに、相手の住所や電話番号、メールアドレスなどが隠されていることが増えました。

トラブル対応の数も多いでしょうし、ほんと困ったクレーマーのようなケースもあるでしょうからこれも仕方がないこととは思うのですが、なんだか相手が見えないようで心もとないなあと今も慣れません。

 

30年ほど前だったら大事な連絡は郵便でも書き留めのような別便でしたし、電話番号や住所で相手を「信用」してのやり取りでしたが、ネットの場合の場合は感で相手を見極めているという感じですね。

 

*個人情報を隠したカード、どのように相手を確認するのだろう*

 

ところで、またマイナンバーカードで混乱するようなニュースがありました。

「"新"マイナカードを検討 政府 2026年を視野に」

 

マイナンバーカードの交付開始から10年を迎える2026年を視野に、政府が新しいカードの導入を検討していることが分かりました。

 

現在のマイナンバーカードは、カードの表面に顔写真や氏名、性別、生年月日が記載されていますが、こうした情報は内蔵されているICチップにも含まれています。

新しいマイナカードでは個人情報を見られたくない、もしくは性別を載せたくないなどといった声にも配慮して、カードの表面に、こうした情報を極力載せないことが検討されています。また、18歳以上の場合、「発行から10回目の誕生日まで」とされているカードの有効期限についても見直すことが想定されています。

 

政府は、現在のマイナカードの普及状況や関連法案の審議状況などを見極めたうえで本格的な検討に入る見通しです。

 

(TBS NEWS DIG、2023年2月16日)(強調は引用者による)

 

「新しいマイナカードでは個人情報を見られたくない、もしくは性別を載せたくないなどといった声に配慮して、カードの表面に、こうした情報を極力載せないことが検討されています」

それだと今の運転免許証のように、自分をすぐに証明したいときには使えなさそうですね。

 

 

その「カードリーダー」も、役所なら住所や税金関連の情報、警察なら運転免許や犯罪歴、医療関係なら受診記録など個々の情報だけしか読み取れないような特殊なカードリーダーが開発されるのでしょうか?

カードリーダーを持つ側には厳しく守秘義務が課せられなければ、とても怖くてカードを相手に見せられないですね。

 

自分を証明するカードなのにとっさのときに一枚のカードだけではダメで、カードリーダーが必ず必要になるということでしょうか。

ますますどんなシステムなのか想像がつかなくなってきました。

 

いやはや、相手を確認するのも自分の存在を証明するのも、その方法が急激に変化して複雑な社会になりましたね。

そして本当に証明できているのか、そこが私の根源的な悩みです。

 

インターネットを土台にした社会というのは生活の仕様を急に変更させられたり、内容を勝手に編集されたり、誰かに生活を操られているかのようなことがしばしば起きるし、生活が混乱しても問い合わせ先でさえないこともまだ信頼を置けない部分ですね。

 

一枚のカードから私の人生まで勝手に編集されなければいいけれど、というのは妄想でしょうか。

 

 

 

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マイナンバーとマイナンバーカードについての記事のまとめはこちら

 

水のあれこれ 282 府中用水や湧水が張り巡らされている場所を歩く

右手に府中崖線が続き、まるで雑木林の中の小川を歩いているかのような市川用水の水路です。落ち葉の香りが漂う師走の風景は、日の入りが短いこの時期に暗くなるまでめいっぱい秘密基地で遊んでいた小学生の頃の記憶が蘇ってくるようです。

 

水の流れといろとりどりの落ち葉に目を落としながら歩いていると、ふと目の前が開けて坂道と上板橋に出ました。

右手は住宅の間を崖の上へと道が通っています。地図で確認すると大山道(おおやまどう)でした。

 

歩道を渡った先は、水田地帯のようです。

もう市川用水沿いの遊歩道は終わりなのかなと渡ってみると、水田と水路のすぐそばを歩けるように遊歩道が続いていました。右手は、一段高くなって住宅が続いています。

途中に「古代の丘とハケ下の道」という案内碑がありました。

どこまでも、そしていつまでも大事にされているハケの下のようです。

 

遊歩道の途中から水路の柵が柵が高くなり、水路沿いがゴミ集積所になっている場所が増えて道の雰囲気が変わりました

どうやら府中市から国立市に入ったようです。

 

ずっと水面を眺めながら道なりに歩いていると、また右手が雑木林のようになり突然行き止まりのようになりました。

よくよくみると螺旋状の階段があって、崖の上から国立インターへと続く拡幅された国道20号線が水路の上に通っているようで、水路はまるで牢屋のような柵の中へと消えました。

やれやれ、反対の螺旋階段まで行くには信号のある交差点まで数十メートルの坂道を迂回しなければならないようです。

下ったり上ったりして反対側の螺旋階段を降りて気づきました。

水路より少し離れたところに、歩行者用のトンネルがあって地元の人はそこを通っていたのでした。

 

反対側にも水田地帯が広がり、右手は崖線の雑木林で地元の方の散歩の道になっているようで、結構な人とすれ違いました。

ここも崖線のすぐ下に水路が流れ、遊歩道になっていました。なんとも落ち着く風景です。

 

しばらく歩くと別の水音が聞こえてきました。

畦道の向こうに別の水路があって、豊富な水が流れています。あの府中用水とママ下湧水からの流れのようです。

しばらくそのそばで水の流れを眺めました。幸せな時間です。

 

谷保のあたりは宅地化が進んでいても地図では複雑に道が入り組んでいます。

実際に歩くと本当に道に迷うのですが、ふと水路や田畑が現れてハケの下の風景が残っています。

このままこの道や水路、そして崖線の緑が大事にされるといいなと思いながら、今回は日没が迫ってきたので時間切れです。

谷保天満宮の雑木林の坂道を登り、国立行きのバスに乗って帰宅しました。

 

昨年末にふと思い立って出かけた分倍河原駅から谷保天満宮までの湧水と水路めぐりでしたが、充実の散歩になりました。

 

 

 

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記憶についてのあれこれ 175 南武線と府中崖線の風景

京王線分倍河原駅を降りて方向感覚を失ったのは交差するJR南武線がまさかの崖線(がいせん)上で切り通しになっていたのが理由のようでした。

 

そこから崖線沿いにNECの敷地沿いにある市川緑道まで来た時に、今度は記憶が混乱しました。

右手はお城の石垣のような高い場所に小学校があり、その高台にJR南武線西府駅があるようですがここもまたほとんど鉄道の気配を感じません。

 

JR南武線は1990年代ごろから何度か全線に乗った記憶があるのですが、私の記憶ではこのあたりでたしか「駅で停車した時に車窓からNECの工場の広い敷地が見えた」のです。

「こんなところにNECの工場があるのか」と記憶に残ったのは、当時NECに関係のある知人がいたからでした。

 

ところが実際に西府駅の近くを歩くとNECの敷地は崖線の下で、南武線は高いところを通っていますから車窓から見えるはずがありません。

さらにWikipediaの西府駅を読んで愕然としました。この駅の開業が「2009年」となっています。

私の記憶は1990年代なので、駅もなかったことになります。

私が見ていたのはいったいどこの風景だったのでしょうか。

 

南武線の歴史と1960年代の風景*

 

Wikipediaの南武線を読むと、多摩川の砂利運搬のために1927年(昭和1年)に開業した際には、まだ多摩川右岸の川崎だけの路線だったようです。

翌年「大丸ー屋敷分(現:分倍河原)間を延伸」とありますが、あの大丸用水のある稲城長沼から南多摩あたりの右岸から左岸へと多摩川を越え、さらに1929年(昭和4年)に分倍河原から立川間が開業したようです。

 

ということはあの切り通しの線路はこの時代に造られ、崖線(ハケ)上へと南武線が延伸されたのでしょうか。

分倍河原から立川間の車窓の風景があまり思い出せないのですが、ここ数年府中崖線沿いにハケ下を歩いているのに、なんだか南武線が崖の上を通っていることがピンとこないのが不思議です。

 

NEC府中工場の沿革を探したところ、facebookの「社史:府中工場の建設(1964年)」(2014年1月24日)が公開されていました。

1964年5月、NECは三田、玉川、相模原につぐ第4の工場として、府中事業所を新設しました。

日進月歩のエレクトロニクス部門を担う生産拠点として、新しい敷地にどのような技術の進歩にも対応できるような「万能工場」を建設する方針を立て、それを東京都下の府中で実行に移したものです。

8月に府中事業所長となった渡辺武穂(のち専務取締役)は、新設当時の府中事業所の従業員の状況について、「社員はみな覚えていましたね。コンピューターにしても、無線にしても、放送にしても当時の日本電気の新しい分野の仕事が多かったですね。成否はやってみなければわからない、見方を変えれば大変クリエイティブな事業に取り組んでいたわけです。"俺たちの城を作るんだ"という意気込みがあったのです。(中略)事業所の町名はもとは本宿でしたが、「日新町」にしたのは今後の日本電気のイメージに合うということで、「日々新たに」を意味する漢字から引用したのが由来と記憶しています。

写真は建設中の府中工場と、稼働時の工場の様子です。

今は住宅なども多く立ち並ぶ府中事業場周辺ですが、当時は農地?だったのでしょうか。

 

周辺には何もない場所に、建設中の工場の写真があります。

「何もない」ではなく、府中用水からの水路が張り巡らされた田畑ですね。

 

そしてその写真の右上の方に、帯状の森が写っていました。

府中崖線がまだそのまま残っていた頃の写真です。崖線の上にはやはり農地が見えていますがほとんど住宅が写っていません。

南武線はその崖線の際を通っているのだと思いますが、その写真ではよくわかりません。

 

やはり私の西府駅のあたりの車窓の風景は記憶違いだったようですが、あれはどこだったのでしょう。

今度、もう一度南武線に乗ってみなければなりませんね。

 

 

 

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水のあれこれ 281 府中崖線の湧水へ

府中崖線は竹林や雑木林、そしてなだらかな場所は住宅地になって、御猟場道に沿って続いていました。

JR南武線はその崖の上におそらく切り通しになって通っているのだと思いますが、周囲は静かで鉄道の気配がありません。

 

左手の住宅地には水田が残っていて、御猟場道の遊歩道の途中にはその水田を眺められるような位置にベンチがあります。今度は田植えから稲穂が重くなるまでの季節にぜひここに座ってみたいものです。

「緑道・遊歩道案内図」がありました。昨年3月下旬に飛田給から押立の府中崖線を歩いた時にも見かけました。

 

御猟場道が終わるあたりで、かつてハケの上と下を結んでいたもう一つの坂道がありました。

清水坂(しみずざか)

 切り通しの坂道であるこの坂は、昔、この道の両側から清水がこんこんとわき出ていたことに由来するといわれています。

 坂道のある府中崖線(がいせん、俗にハケ)あたりは、地下水の作用による侵食谷(しんしょくこく)が発達しており、現在でも湧水を見ることができます。これらの湧水は、飲料水に利用されたり、また灌漑陽水としても重要な役割を果たしてきました。

 ちなみに、清水坂の下水管理設工事の折、湧水が多く大変苦労した話が伝聞されています。

 昭和六十年三月   府中市

 

今読み返しても「清水がこんこんと湧き出ていた」と「湧水」に心が踊るようです。

その水があの水田を生み出したのでしょうか。

 

御猟場道が終わるそのさきに右手が丘のようになった雑木林のような場所があり、真ん中に遊歩道が続いています。

ここが府中崖線本宿町緑地で、その入り口に「西府崖線の樹木マップ」「ハケって何?」「西府崖線/水と緑の回廊 ハケ・用水・湧水通信」などが貼られていて、地図でなんとなく選んだ場所だったけれどなんとすごい場所に誘(いざな)われたのだろうと思いました。

 

 

*市川緑道から西府町湧水へ*

 

府中崖線本宿緑地がいったん途切れるところに、案内図では鎌倉街道のようですが、片側2車線の都道18号が崖を貫通してハケ上とハケ下を結んでいました。崖線上にはマンションが建っています。

トンネル口からはひっきりなしに車が来るので、いったん迂回して歩道を渡り、今度は反対側の府中段丘本宿緑道へと向かいました。

連続した緑道かと思ったのですが、都道を境に名称も変わるようです。

 

右手は相変わらず高い場所が続き、お城の石垣のような場所の上に府中市立第五小学校があり、左手は広々とした平地にNECの敷地になりました。

ここからは石造りの水路の市川緑道が西へと続き、ゴミもない美しい水面を眺めながら歩くと、崖線沿いに休憩所の東家も整備されていました。

 

 

「市川緑道」の案内図がありました。

1. 西府町湧水

 府中崖線から湧き出ている、市内で常時見られる貴重な湧水です。

 府中市はかつて、崖線から湧き出す湧水が良質で豊富な土地でしたが、現在、湧出はここ一か所になっています。

 

2. 市川緑道

 多摩川の水や沿線の湧水を集めて流れる市川沿いに整備された緑道で、崖線の深い緑からは、絶えず野鳥の鳴き声が聞こえてきます。

 府中市の水と緑のネットワークづくりとして、府中用水を市川緑道の流れに接続する工事が平成19年3月末に完了しました。

 

この先に湧水があるようです。

左手は新しい住宅街でしょうか、崖線と住宅の間にある水路のそばを歩くと鴨がのんびりと泳いでいる場所があり、水音が聞こえてきました。

ハケ上への階段があり、その紅葉の残る崖の斜面から水が滲み出るように湧き出ていました。

 

湧水がある風景。

水を求めていた時代はほんの少し前まであったのだと、しばらくその水音に聴き入りました。

 

御猟場道からここまで1kmほどだというのに、なんとも変化に富んだ崖線下の美しい風景でした。

そしてところどころにある案内板で、その歴史や地理を学ぶことができました。

 

 

 

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散歩をする 408 高倉塚古墳から御猟場道へ

京王線分倍河原(ぶばいがわら)駅で下車しました。何度も通過したり南武線から乗り換えたりしたことがありますが、駅の外に出るのは初めてです。

地図でもよく眺めている場所ですからすぐに高倉塚古墳への道に出られると思っていましたが、改札を抜けた途端、なぜか方向感覚がおかしくなり慌ててGPSで確認しました。

 

 

*高倉塚古墳*

 

やれやれと歩き出すと右手は壁のように高くなり、しばらく細い歩道を歩くと「高倉塚古墳」への案内がありました。その右手へと結構な上り坂です。

 

上り切る一つ手前の道を曲がると、プリンのような形の小さな古墳がありました。

府中市指定文化財(市史跡) 高倉塚古墳

 府中崖線(ハケ)の斜面上に広がるこの周辺には、これまで確認されている古墳が25基あり、これらは高倉古墳群と呼ばれています。このうち墳丘が残っているものは4基あり、この高倉塚古墳は古墳群の中心に位置しています。古来より「高倉塚」と呼ばれ象徴的な存在だったことから中世以降には信仰の対象として保存されてきました。

 これまでの発掘調査で、墳丘構築工法が判明し、墳丘下層から6世紀前半とされる土師器坏(はじきつき)が出土するなどの学術成果があり、高倉古墳群を研究するうえで貴重な資料となっています。

 なお、付近の古墳群からは、土器・直刀・鉄鏃(てつぞく)・玉類が出土し、昭和の初め頃に出土した銀象嵌大刀(ぎんぞうがんたち)を含む大刀5振は、平成6年2月に市の文化財に指定されています。

 国内でも数例しかない上円下方墳の武蔵府中熊野神社古墳など、ぜひこの周辺の古墳を散策してみてください。

平成17年3月   府中市教育委員会

 

ひな壇のような住宅地で普通に家やアパートが隣接していますが、見晴らしも日当たりも良い場所ある古墳でした。

 

説明板の地図を見るとこの古墳が府中崖線の際にあって、これから歩く御猟場道は崖線に沿っている道のようです。

ここで、駅を出た時に突如方向感覚を失った理由がわかりました。

地図では南武線京王線の線路が交差しているので、外に出たらその南武線を見つければ良いと思っていました。ところが分倍河原駅もまた崖線の端にありJR南武線はこの古墳のすぐ先で深い切り通しを通っていたのが想定外だったのでした。

乗っている時には気づかないものですね。

 

*崖線を下りて御猟場道へ*

 

高倉塚古墳から数十メートルほど西へ歩くと光明院があり、崖線(がいせん)の上と下を結ぶ道路に出ました。車がひっきりなしに通っています。

 

ひっそりとこの坂についての説明板がありました。

光明院坂(こうみょういんざか)

 この坂道は、普通分梅道あるいは鎌倉街道と呼ばれる古街道です。

 沿道には浅間神社八雲神社、光明院といった由緒ある古社寺が点在しています。さかの名も真言宗光明院に由来します。別名を「根ツ子(ねっこ)坂」ともいわれますが、これは以前道が荒れていたころ、道の両側に木の根がわだかまっていたことによるといわれます。

 この坂下に広がる平地一帯は、元弘三年(一三三三)五月に新田義貞と北條泰家が合戦した分倍河原の古戦場として有名です。

 昭和六十年三月 府中市

 

地図では、坂を下ったところから崖線にそって西へと御猟場道が数百メートルほど続いています。

どんな道だろうと想像がつかなかったのですが、右手は高さ2~3mから数メートルくらいでしょうか、緩やかな斜面が続いています。住宅が建っている場所もあれば竹藪や雑木林が残っている場所もあり、遊歩道のように整備されていました。

ところどころハケ上への石段もあります。

 

このあたりには猟りをする場所があったのだろうかと想像しながら歩きました。

検索しても先人の記録は見つけられませんでしたが、「御猟場道」は「おかりばどう」らしいことはわかりました。

 

「まちねっと府中」の「分梅町」に現代の御猟場道の様子が書かれていました。

緑豊かな「御猟場道」、朝の8時前後には一部上場企業戦士達の通り道になっています。

これも大事な「その時代」の生活の記録ですね。

 

ただ私が幼児だった半世紀ほど前までは、ハケの下の水が豊かな地域と武蔵野台地の上の水の少ない地域との生活の差が歴然としていたようですから、「現代」とはいつのことを言うのかわからなくなりますね。

 

さて、この御猟場道の先に今も崖線からの湧水はあるのでしょうか。

 

 

 

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散歩をする 407 分倍河原駅から谷保駅まで府中崖線沿いを歩く

年末年始の人の社会のせわしなさが増す季節になると、反比例するように崖線(がいせん)沿いを歩きたくなります。

 

昨年の12月中旬の休日、また崖線の湧水を眺めたくなりました。

正午ごろでも日が傾きそうになるくらい昼の時間が短いので、あわてて地図を眺めました。ふと目に入ったのが「高倉塚古墳」でした。

その1ヶ月ほど前に奈良の古墳を訪ね歩いたばかりですからね。ただ違うのは、そこは多摩川由来の崖線の下にある古墳で、周濠はありません。

 

地図をたどるとその西側に「御猟場の道」道が崖線に沿うように通っていて、都道18号線と交差するあたりに細い水色の線と「府中崖線本宿町緑地」「府中段丘本宿緑地」とあります。

崖線下の水路ですから近くに湧水もあるはずと、さらに西へと追ってみました。

 

JR南武線西府(にしふ)駅の前のNECとの間で、西側から流れてきた水路が分水しているようです。

そこから先は市川緑道としてしばらく暗渠が続き、NECの敷地の西の端あたりでは谷保天満宮の前を通る水路と、南側からくる水路が合流しているように見えます。

 

2018年5月に矢川緑地から谷保までの湧水と水路、そして美しい田畑の風景に圧倒され2021年の大晦日には立川の根川用水から府中用水、谷保堰まで歩き再びママ下湧水を訪ねたのですが、その先がここになることとつながりました。

 

地図や航空写真ではわからないその崖線と湧水の存在を確かめたくなり、お昼過ぎに家を出ました。

日没まで3時間弱。

急がなければと思いつつ、いやいや心静かに湧水を眺めにいくのにあくせくしてはいけないですからね。

 

ということで、またまた2ヶ月遅れの散歩の記事がしばらく続きます。

 

 

 

「散歩をする」まとめはこちら

ハケや崖線の散歩のまとめはこちら

記録のあれこれ 139 引き返すタイミングが書かれた記録

毎日さまざまなことの膨大なニュースが飛びかうので取捨選択が大事ですが、時には「もっと早く読んでいればこんなに遠回りしなくてよかったのに」というものもありますね。

昔だったら、図書館で重い新聞の束から見つけなければいけなかったニュースも、今はネットのおかげで簡単に見つけることができるので本当に便利です。

 

昨日のマイナンバーカードの迷走の理由がわかったニュース記事を自分の忘備録として記録しておこうと思います。

 

政府関係者が明かすマイナンバーカード"最大の失敗" 実質義務化背景に岸田総理の強い思い

 

マイナカード最大の失敗はネーミング?

 

マイナンバーカード最大の失敗は、"マイナンバーカード"という名前をつけたことだ」

以前、ある政府関係者が私にこう語った。どういうことか。

政府関係者

「本来マイナンバーカードは、カードのICチップを利用した、全国民が持つ身分証明書となることが期待されていた。『デジタル時代のパスポート』と言われるのはそのためで、マイナンバーは使わないし関係がない。しかし、「マイナンバーというものは他人に漏らしてはいけない」「重要情報です」と事前に宣伝してしまったため、そんな大事なものが書いてあるカードは持ち運べないというイメージがついてしまった」

 

全国民が無料でICチップ付きの身分証明書を取得できる、というのは世界でもほとんど例がない取り組みであり、デジタル社会で優位に立てる、そんな思惑があったということだが、マイナンバーが足を引っ張った、という解説だ。

 

ちなみに現在、政府は「マイナンバーを他人に見られても大丈夫です」「マイナンバーだけ、あるいは名前とマイナンバーだけでは情報を引き出したり、悪用することはできません(河野デジタル大臣のブログより)」と強調している。

 

そんな"負のイメージ"からスタートしたマイナンバーカードだが、全国民にカードを「取得させるべく汗をかいてきた2人の総理がいる。菅前総理と岸田総理だ。

 

マイナカードと菅前総理

 

菅義偉前総理

「河野さんがデジタル大臣でよかったよね」

 

政府が打ち出した、2024年秋にも紙などの保険証を廃止し、マイナ保険証の取得と"実質義務化"する方針。感想を聞かれた菅前総理は周囲にこう漏らした。

 

菅氏は官房長官時代、マイナンバーカードと保険証の一体化を打ち出したことで知られる。

 

実は、その菅氏、カードの配布が始まる前は「全国民に配布するのは無理だ。普及は難しいだろう」などと否定的だった。

 

しかし、その数年後、マイナンバーカード事業を一からやり直すことも考えたものの、すでに事業に数千億円が費やされていることを知り、それならば有効活用しなければ、と考えを改めたのだという。

 

菅総理(当時)(2021年3月31日 衆院内閣委にて)

「特に設置の際は5000億ぐらいかかっていました。そうしたお金がかかっていて、確か10数%の利用率だったんです。国民の皆さんに申し訳ない、そういう思いの中で、何が一番早く、また国民の皆さんにお役に立てるかと考えたときが、保険証だったんです」

総理大臣時代には、マイナンバーカードと運転免許証の一体化についても本格的に乗り出し、自身の秘書官だったこともある中村格警察庁次長(当時)に「一体化の早期実現」を命じた。結果、当初は「2026年度中」とされていた一体化の目標時期が「2024年度中」と一気に2年前倒しされることになった。

 

しかし、その菅氏でさえも、現在使われている、紙などの保険証の廃止には踏み込まなかった。

 

関係者によると、「当時は医療機関マイナンバー読み取り機がほとんど普及しておらず、現場からも強い反発の声があったから」だという。

 

こうした経緯があるだけに、冒頭の菅氏の発言は、発信力があり、多少の反発にひるむことなくマイナンバーカード普及の旗を振り続ける河野氏の行動を評価したものだ。

 

"実質義務化"背景に岸田総理の強い思い

 

実際、岸田総理が8月の内閣改造河野氏をデジタル大臣に起用したのは、マイナンバーカード普及促進をにらみ、その突破力に期待したからだった。

 

菅前総理、岸田総理2人の仕事ぶりを間近で見てきた政府関係者は、「岸田さんにとってのマイナンバーカード普及というのは、菅さんにとってのワクチン接種。それくらいの熱意を持って総理は臨んでいる」と解説する。

 

その熱意はどこからくるのか。岸田総理には苦い記憶がある。

 

2020年春、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、政府与党はすべての国民に一律10万円を配ることをきめた。しかし、給付を実施する自治体の窓口は処理しきれずに混乱し、給付が遅れるなどした。批判の矛先は当時、自民党政調会長だった岸田総理にも向いたのだ。

 

総理周辺

「国民からの申請を待つことなく、政府から一律に給付する仕組みは日本にはない。これを実現させるためにはマイナンバーを完全普及させるしかない」

 

総理周辺は、岸田総理がすべての国民にプッシュ型でサービスを提供できるツールとしてのマイナンバーカードを強く意識しだしたのはこの頃からだったと証言している。

 

しかし、なぜ今、マイナーカード"実質義務化"に踏み切ったのか。

 

 

"これ以上の上積みは難しい"と判断

 

マイナンバーカードの交付率は、配布開始6年半あまりで50.9%(10月27日現在)に達した。申請数なら7200万枚を超えていて、年内に運転免許証の約8100万枚到達が視野に入ってきた。免許証を保有しているのは全国民の約64%(取得できるのは満18歳以上)。ちなみに新型コロナワクチンの3回接種率は約66%(10月27日現在・生後6ヶ月以上が対象)である。ご存じのようにワクチン接種は義務ではない。

 

政府関係者によると、政府がマイナポイント付与という"アメ"から、紙などの保険証廃止=カード取得の実質義務化という"ムチ”へと舵を切ったのは「お願いベース」ではこれ以上の上積みが難しいと判断したところが大きいという。「どこかで退路を断たないとなかなか進まない(政府関係者)」という考えだ。

 

ただ、現行の法律上、マイナンバーカードの取得はあくまで任意となっている。実質義務化をするならばマイナンバー法の改正をすべきでは、という批判は免れない。また、安倍元総理の国葬と同様、突然、トップダウンで意思決定を下すのは乱暴だという声も出ている。

一方で、他の決定事項においては「検討使」とか「判断が遅い」などと非難されている岸田総理は、双方向から批判される珍しい政治家と言える。

 

"誰一人取り残さない"デジタル社会は実現するか

 

マイナンバーカードで、医療機関を受診することによって、健康・医療に関する多くのデーターに基づいた、よりよい医療を受けていただくことができるなどのメリットがあるほか、現行の保険証には顔写真がなく、なりすましによる受診が考えられるなど課題もあります。こういったことを考慮して、保険証を廃止していくという方針を、明らかにした次第であります。」

 

岸田総理は、28日の記者会見でも"マイナ保険証"のメリットと紙の保険証廃止の意義をこう訴えた。カードを持たない人への対応などのため、関係省庁による検討会を設置する方針も表明した。

 

マイナカード"実質義務化"という岸田総理が踏み出した一歩が、将来的に「レガシー」と呼ばれるのか、「天下の愚策」と結論づけられるのか。今後の岸田総理の説明や行動ひとつひとつにかかっている。

 

(TBS NEWS DIG、2022年10月29日)

 

惜しいですねえ。

数千億円で失敗を認めて引き返しておけば、そこであらためて「全国民が無料でICチップ付きの身分証明書を取得できるという世界でもほとんど例を見ない取り組み」を百年の計の視点から練り直したら、こんなに世の中がカード一枚をめぐって分断されなくてもよかったかもしれないのに。

 

 

どの分野でも失敗を認めて引き返したり見直すことは大事なリスクマネージメントですが、政治家の功名心のために失敗に失敗を重ねているだけの話に見えてくる、それが私の中のマインナンバーカードへの躊躇の理由のように思えてきました。

母のマイナンバーカードの申請に奔走していた頃は、さまざまな手続きが簡略化されるカードに口座も紐付ける選択があって、自分の最期はこの一枚があれば他の人の手を煩わせることが少なくなるような「自分が自分である存在証明」があればいいなと思っていたのですけれど。

 

そんなうまい話というか技術そのものがまだ、世界中で確立されていない夢のような話なのかもしれませんね。

 

 

そして未曾有の感染症拡大の中でも日本は行動制限やマスク着用を義務化しないで国民へのお願いで乗り切ったというのに、なぜ任意のはずのマイナカードと保険証はいきなり義務化の話になっちゃうんでしょうね。

そのあたり、もっと深く追求してくださる記者さんが出てくるとありがたいですね。

 

 

 

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マイナンバーとマイナンバーカードについての記事のまとめはこちら

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あの日(2022年7月8日)から考えたことのまとめはこちら

つじつまのあれこれ 36 便利さに目をくらまされて政治家の迷走が見えなくなる

自分の存在証明とは何か、そしてそれを政府がどのように管理するのか、紙で管理していた時代からコンピューターで管理するために混乱はまだ続くのだろうと思います。

 

ただ、あまりにもお得感チケット購入とかあさっての方向の便利さが強調されて、反対にきちんと健康保険料を納めてきたのにマイナカードでなければ診療時に余計にお金がかかるとか、一体この国は何をしたいのだろうといぶかしいですね。

 

最近、「諸外国ではマイナンバーカードのようなものを作ったものの廃止した」という情報があって、実際の状況はどうなのだろうとその根拠を探していました。

 

海外の事情はわからなかったのですが、昨年10月29日の「政府関係者が明かすマイナンバーカード"最大の失敗”実質義務化背景に岸田総理の強い思い」(TBS NEWS DIG)にこんな箇所を見つけました。

 

全国民が無料でICチップ付きの身分証明書を取得できる、というのは世界でもほどんど例がない取り組みであり、デジタル社会で優位に立てる、そんな思惑があったということだが、マイナンバーが足を引っ張った、という解説だ。

 

えっ?たしか「先進国はどこでもマイナンバーカードを使っている」かのような触れ込みでなかったでしたっけ?

そうかこんな思惑が、今の迷走の理由なのかと腑に落ちた感じです。

 

だからこんな意味がわからないニュースも出てくるのですね。

また、政府は、マイナカードの申請率が運転免許証を上回ったことから、「3月末までにほぼ全国民に行き渡ることを目指す」との政府目標は事実上達成されたと宣言することを検討しています。

「マイナ保険証持たない人に『資格確認書』 政府が無料発行の方針を調整 以前は政府内に有料とする案も…異論相次ぎ」(TBS NEWS DIG、2023年2月13日)

 

最近のマイナンバーカードの迷走というかつじつまの合わなさの理由がようやくみえてきました。

あとは、それを求めているのが誰でなんのためか…ですね。

 

 

「デジタル社会の実現に向けた重点計画<工程表>」(デジタル庁)の「誰一人取り残されないデジタル社会の実現」が、2025年度までに達成となっていました。

人の生活をこんなすっきりとした工程表で計画してその実現のためには強権的な手法もいとわないなんて、怖いですね。政治家の皆さんはどんな「生活」をされているのでしょう。

 

 

「誰一人取り残されない」の意味が、ますます怖いですね。

 

 

 

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