昨年10月下旬にJR相模原線倉見駅から新幹線の線路沿いに歩き始めた散歩ですが、年内に武蔵小杉から倉見までの区間を歩き切りたくなりました。
多摩川から相模川のあいだですね。無謀なようですが、何回かに分ければなんとか歩けそうです。
小さな川でつくられた渓谷のような斜面にぎっしりと住宅が立ち並ぶ場所が何度か続き、そのあとは急に人里離れたような畑地や森林になり、しばらくすると平地に水田や工場、そして自動車道の高架橋が見えてあっという間に相模川を渡ります。のぞみに乗ると次の停車駅は名古屋ですから、目にも止まらぬはやさで風景が後方へと流れていく感じです。
で、いよいよ最後の区間、高座渋谷から鶴ヶ峰駅のあたりまでです。
2019年に境川遊水池を訪ねたので境川と小田急江ノ島線の沿線の風景の記憶がなんとなくありますが、高座渋谷駅は倉見駅から歩いたときに途中時間切れでバスに乗って到着してそのまま小田急線に乗ったので、駅周辺を歩いたことがありません。
小田急線と東海道新幹線が交差する場所ですが、そういえば高架橋がなかったような。
曖昧な記憶が気になり、ここを散歩のスタートとすることにしました。
境川も新幹線の車窓から見えているはずなのに、どの川なのか記憶がありません。
よく見ると、団地が川沿いに続いています。あの1960年代ごろからコンクリートの防水堤のような役割を持った団地でしょうか。
*ここがあの定住のための最初の団地だった*
新幹線がすぐそばを通るのであればむしろ水害の心配は少ないかもしれないと思いながら地図を拡大してそのあたりを眺めていて、あっと気づきました。
パッと見ただけで二つもベトナム料理店があります。
1975年に初めて日本に難民が「上陸」して長崎の大村難民レセプションセンターに「収容」されたあと、ようやく1980年に定住のための施設がつくられたのですが、そのうちのひとつ「大和」はここだったのだ、と。
1980年代初めにインドシナ難民問題に関心が出て、80年代半ばにはフィリピンにあるインドシナ難民キャンプで2年間ほど働いたというのに、恥ずかしながら日本に定住した方々が住んでいる「大和」はどこなのか正確に知らないまま過ぎてしまいました。
小田急線の大和駅はもう少し北側なので、そのどこかという程度でした。
1980年以来、どれだけの新幹線がこの団地の間を通過していったのだろう。
日本に初めて難民として定住した方々が生活しているそばを、私自身40年ほど気づかずに何度も通過していたことに忸怩たる思いが募ってきました。
そういう意味でも、ここを散歩のスタートとすることにしました。
日が短い12月下旬ですから歩ききれないかもしれませんが、相鉄線二俣川駅まで相模原台地と多摩丘陵を流れる小さな川がつくりだす場所を歩いてみることにしましょう。
40年前に定住するためにここに住んだ方は、どんな風景の変化を見てこられたのでしょうか。
「散歩をする」まとめはこちら。
新幹線の車窓から見えた場所を歩いた記録のまとめはこちら。
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