小金がまわる 18 数円で詐欺罪を犯すところだった

10月1日は真夏を思わせる暑さでした。

日陰だと涼しい風があって秋を感じるのですが、陽射しを避けるものがない道を歩いていると、1時間ほどでちょっと頭がぼーっとしてくるような陽気でした。

 

ああちょっとひと休みして冷たいものを飲みたいと思っていたら、イートインのあるお店がありました。

暑さと疲れで頭がくらくらしながらお店に入り、アイスコーヒーと小さなお菓子を購入。

椅子に座って食べて元気が出てきたときに、目の前の張り紙に気がつきました。

「店内で召し上がる方は消費税10%です。購入前に声をかけてください」と。

 

そうだった!今日からでした。

父と散歩をしていた頃はしょっちゅう利用していたイートインでしたが、最近はすっかり使うこともなく、増税前の話題でこのイートインと持ち帰りの消費税の違いを耳にしてももはや自分のことではなくなっていました。

 

ウッと喉につかえながら慌ててレジに行って、「ごめんなさい。店内で食べることを言わなかったので8%で計算されていますよね。差額を払います」と店員さんに謝ったところ、「大丈夫です。次回、購入前に伝えてくだされば」とのことでした。

 

消費税増税の初日ではさまざまなトラブルが予想されるでしょうから、購入時には「店内ですか、持ち帰りですか」と積極的に聞かないようにしたり、8%で買ったお客がイートインにいても注意はしないようにとかお店側も対応していたのかもしれません。

 

金額にすれば3~4円ぐらいだと思いますが、罪悪感です。

検索していたら、法的責任も出てくるようなことが書かれていてびっくり。

今まできちんと税金を支払ってきたのに、消費税が上がってからも上がった分だけちゃんと払っていたのに、なんだか初めて犯罪を犯したような気分になりました。

 

散歩をしていると、コンビニやスーパーのイートインは盛況です。

杖や歩行カートを頼りに数mも休み休みゆっくり歩いているような高齢の方だと、買ったついでにそこで食事も休憩もとれる癒しの場なのだろうと思います。

 

イートインはいまや庶民の味方なのですから、「イートインは軽減税率(というか据え置き)です」としておいたら、もうちょっと増税に対する印象もよくなったかもしれないのに、なんだか作戦が下手ですよね。

 

このややこしい増税のために、お店の方々も対応が大変だろうなと初日に感じました。

 

そして数円に感じた罪悪感なのに、これからは所得税を上回る可能性があり、年末調整にも無関係な税金を取られていくことになるのかと思うとホント、憂鬱ですね。

「国の借金のために」「少子高齢化で財源がないから」、消費税は増税は仕方がないと想うひとが周囲でも多いので、当分はこの社会の雰囲気は変わらないのでしょうね。

 

 

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観察する 64 アジメドジョウ

九頭竜川上流域で採れたアジメドジョウは、水でよく洗いぬめりを落として片栗粉か小麦粉をつけ、確か塩で味付けして唐揚げにされていました。

映像の中では、ドジョウのイメージのままの茶色い細長い10cmぐらいの体に濃い茶色の丸が横にいくつか入っているように見えました。

 

そうだ、「くらべてわかる淡水魚」で調べてみようと、本を引っ張り出しました。

すぐに見つかるかと思ったら、似たような写真・絵と異なる名前がたくさん載っています。

ドジョウの仲間 

小型の淡水魚。日本産の種はすべてにヒゲを持つ。普段は水底に腹をつけて静止して過ごし、泳ぐときにだけ体を浮かせる。日本には外来種2種類を含めて29種・亜種が知られています。

 

母はドジョウを身近に子供時代を過ごしたようですが、高校生まで水田が近くにある場所で育ったのに私はドジョウをその地域で見たことがありませんでした。

むしろ浅草や渋谷のドジョウ専門店の方が有名で、初めてドジョウを食べたのは1970年代終わり頃にそのお店で物珍しさから食べた1回きりです。

 

ドジョウを描けと言われたら、茶色い細長い体を描いて筆が止まることでしょう。

そうか、日本にいるドジョウはヒゲを必ず持つのですね。

ごくたまに鮮魚コーナーにドジョウを見かけるのですが、金魚のようにビニール袋に入れられた中で泳いでいるイメージでした。ドジョウも動かない魚だったとは。

 

さて、その本には「ドジョウ属」「シマドジョウ属」「ホトケドジョウ属」「フクドジョウ属」の「2亜科4属」だけの掲載でした。「2亜科」ってなんのことだっけとわからないけれど飛ばして、写真を見比べました。

 

アジメドジョウはアジメドジョウ属で、もしかしたらマイナーなので掲載されていないのでしょうか。

「シマドジョウに似ているが、目を通る線状の模様がないことで見分けられる」とさらりと書いてありますが、ただでさえ目がしょぼしょぼするので写真を見てもわかりません。

ああ、もっと目が良かった頃に分類のすごさに気づけばよかったとがっかりです。

 

ちなみに「くらべてわかる淡水魚」によれば、「ドジョウ類の見分け方」には「属の識別ー顔つき、尾ビレの形を手がかりに」とあっさり書いてあります。

簡単そうですが、例えば「ドジョウ属」は「丸顔」、「シマドジョウ属」は「ほっそりした顔」、「ホトケドジョウ属」は「上下に押しつぶした顔」、そして「フクドジョウ属」は「頭の高さと横幅が同じくらい」と書かれていて、私にはさっぱり違いが見分けられません。

 

ドジョウを身近に生活されてきた方々は、いつもこの顔や姿を眺めて、他の地域のドジョウとの違いを正確に見分けられるようになるのでしょうか。

「これはアジメドジョウ」と、あの九頭竜川流域に暮らす方々が当たり前のように分類名を口にするようになったのはいつ頃なのだろう。

魚一つとっても、ほんと、知らないことだらけです。

 

私はただ川や山、水田の風景が好きで見てまわっているけれど、同じ風景を見てもある魚や水草、動物などの生態が思い浮かぶ人たちもいることでしょうね。

 

 

 

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シュールな光景 11 「雑菌」をどうとらえるか

大好きな空芯菜ですが、先日はパッケージと生産地が変わっていました。

これも安定供給のための産地リレーのひとつなのだろうとありがたく購入し、家に帰ってから何気なく空芯菜の包装を読んだら、こちらの「活性液」を使用した土壌で育て、「野菜の食味、品質、日持ちが最高です」と書かれていました。

 

10年ほど前にその話題を知ってもそれほどは広がらないだろうと思っていたら、学校のプール掃除に使用したり川に撒いたりすることが、好意的に報道されることがありました。

 

空芯菜の包装の説明にちょっと食思を失いそうになりましたが、空芯菜は美味しくいただきました。私には他の産地との違いまではわからないのですが、日持ちが良いのも 野菜の包装材料の進化のような気がしています。

 

食べ物の周辺の「菌」の話題といえば最近、偶然見た番組で、果物と蜂蜜と水を入れ数日ほど置いて「発酵」させたものが紹介されていました。

あの「おしゃれなジャーサラダ」と話題になった時期の危機感を知らないのかもしれません。

そして同じ時期に、千葉では家中にカビ発生と伝えられていました。

 

もう一つ、ちょっと愕然としている話題が、同僚から耳にした月経カップというものです。

それ自体は使いたい方が使えば良いのですが、その管理の方法でした。

使い捨てではないので煮沸消毒をするという話に、感染予防対策が広がった1990年代より前の時代に戻ってしまったのかと驚いています。

私の感覚では、血液・体液のついたものは使い捨てが原則、消毒も煮沸消毒なんてありえないというほどまで変化しているのですが。

せめて、その日限りの使い捨てぐらいの方が安全ではないかと気になるし、自宅で生理用品を鍋で煮沸していることを想像したら、ちょっとシュールだなと感じました。

 

まだまだヒトと菌との関係は、合理的なものにはならなそうですね。

 

 

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食べるということ 43 北陸で食べ忘れたもの!

散歩や遠出をしても水のある風景を見ることができれば満足なので、計画の段階でもあまり「絶対にこれを食べよう」といった強い思いもなく出かけて、その時の気分で食べたいものを食べています。

結局、親子丼のセットになったり、時間がなければコンビニのおにぎりがあれば全然大丈夫です。

 

ところが今回の北陸の散歩では、帰宅してから「食べ忘れた」と日に日に思いが強まっているものがあります。

金沢の治部煮です。

鴨肉(もしくは鶏肉)をそぎ切りにして小麦粉をまぶし、だし汁に醤油、砂糖、みりん、酒を合わせたもので鴨肉、麩(金沢特産の「すだれ麩」)、しいたけ、青菜(せりなど)を煮てできる。肉にまぶした粉がうまみを閉じ込めると同時に汁にとろみをつける。薬味はわさびを使う。本来は小鳥を用いるとされ、その際は丸ごとすり潰してひき肉状にし、これをつくねのように固めたものを煮立てたという。 

 

初めて食べたのが高校の修学旅行でしたから、おそらく鴨肉なんて高級品ではなく鶏肉だったのではないかと思います。

とろみのだし汁とわさびの組み合わせがなぜか気に入って、家に帰ってからも何度か作った記憶があります。今のようにすぐに検索できるわけではないので、自分の記憶を頼りに料理を見よう見まねで再現したのでした。

 

材料を『じぶじぶ』と煎りつけるようにして作ることから呼ばれた。 

この説明を当時聞いた記憶がありますが、「豊臣秀吉の兵糧奉行だった阿部治部右衛門 が朝鮮から持ち込んだことに因んで呼ばれた」という説もあるのですね。「フランス料理のジビエから変化した」ともありますが、1970年代当時でもジビエという言葉を日本人で知っている人はごくまれだったでしょうから、この説は後付けのような気もしますね。

 

あの 江戸時代の獣肉食が禁止された時代には、この治部煮はどうやって引き継がれてきたのでしょうか。

 

材料を見るだけでも庶民向けの料理ではなかったことでしょうから、1970年代には高校生が修学旅行で食べられるまで日本の食生活は豊かになっていたという意味を、半世紀たった今になって実感しています。

 

それにしても、あんなに美味しかったと記憶に残る治部煮を思い出すこともなく、金沢を通り過ぎてしまいました。

ああ、残念!

 

 

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食べるということ 42 北陸で食べたもの

ただひたすら川と海をみた北陸の2日間は本当に充実していました。

 

偶然、同じ頃にテレビ東京の「昼めし旅〜【ローカル線終着駅のその先へ!福井県大野市】〜」を放送していました。「福井県大野市」とみただけでうれしくて、録画しておきました。九頭竜湖駅周辺の家の、茹でたトウモロコシとアジメドジョウの唐揚げが紹介されていました。

自宅の畑で栽培しているトウモロコシも「猿に食べられてこの3本だけ」とのことで、あの美しい山間部で食べるものを栽培するのは大変なことなのですね。

周辺にお店がなく、住民の要望で8月に九頭龍湖駅の前にコンビニエンスストアができたと喜んでいらっしゃいました。

 

私が九頭竜湖駅に降りた時、そういえばコンビニがあったようなあいまいな記憶ですが、この番組を見なければ「ああ、こんな山の中にもコンビニができる時代か」とちょっと批判的な見方になってしまったかもしれません。

いつの時代も、今も、安定して食べるものを確保することは、それぞれの地域での大変さがあるのですね。

 

*旅先で食べたもの*

 

今回の北陸の散歩は、列車とバスの乗り継ぎが分刻みだったので、1日目のお昼ご飯は金沢から福井へ向かう特急の中で笹寿司を食べました。

笹の葉を使った寿司といえば富山の鱒寿司が有名で、子どもの頃にお土産でいただいて食べてとても美味しかった記憶があります。そして、魚を使った寿司なのに、江戸前寿司とは違って1〜2日は常温でも持つことが驚きです。

 

今回は富山の鱒寿司ではなく、金沢駅で鯛と金目鯛の笹寿司を奮発しました。

黄色の稲穂を車窓から見ながら食べた笹寿司は、美味しさとともに、こうして無事に収穫されていくお米へのありがたさもひとしおでした。

 

夕飯は、九頭竜川河口と突堤を眺めながら生ビールを飲み、鳥唐揚げを食べました。

一見、チェーン店のように見えたレストランだったのであまり期待していなかったのですが、鳥唐揚げがとても美味しくて大満足の1日目でした。

 

2日目もまた分刻みの慌ただしいスケジュールになり、ようやく午後2時ごろにお昼ご飯の時間をとれました。福井市水道記念館の近くのお店がまだ開いていたのでふらりと入って、やはり親子丼と蕎麦のセットを頼みました。

だしがよくきいて塩分が控えめで、本当に美味しかったです。

黄色い大根の漬物がついていて、東京風のたくあんのようにしょっぱい味かと思ったら、ほんのりと甘みのある漬物で、地域によって漬物の味もいろいろですね。

 

北上川を回った時は水田と大豆畑でしたが、北陸の散歩では水田と蕎麦畑が半々ぐらいになっているのをあちこちで見ました。

 

子どもの頃からのおなかを満たすから栄養へ、そしてさらに好きなものを好きなだけ選択して安心して食べられる時代へと変化したことが、なんだかいつも意識される北陸の食事でした。

私は、今、まるで天国とか楽園に生きているかのような。

 

 

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乳児用ミルクのあれこれ 46 調乳ずみミルクの次は使い捨て乳首

今回の被災地で部屋がカビている状況に、通常だったら開けて1ヶ月は持つ粉ミルクはどうなっているだろうと心配になりました。

長引く断水と停電で、お湯を沸かすのも大変そうですし、調乳するための手洗いも不十分になりそうです。

現地での声を直接聞いているわけではないのですが、調乳済みミルクに助けられた方々も多かったのではないかと想像しています。

停電・断水した分娩施設ではどのように対応していたのでしょうか。

 

乳児の消化管の感染症は原因を把握するのは難しそうなので、今回台風15号とそれに伴う停電・断水で乳児にどのような健康への被害があったのか結論を急いではいけないのですが、「調乳されている=滅菌されている」というだけで、災害時のミルクを介する感染症のリスクを減らすことができるだろうというのは常識的なところだと思います。

 

今年3月に待ちに待った液状乳児用ミルクが国内でも発売されました。

ぼちぼちと周囲のお母さんたちにも知名度が上がり、外出の時や災害時のストックとして買ったというお話を耳にします。

 

長期の断水・停電に遭遇された子育て中の方々や分娩施設のスタッフの声をきちんと記録していけば、おそらく次にくるのは「液状乳児用ミルクの製品に、そのまま使い捨て乳首をつけられる」ことになることでしょう。

今回の状況から、「哺乳瓶や乳首を洗わなくて済む」ことが断水や停電が長引くような災害時の授乳のニーズとして、現実的に求められているのではないでしょうか。

 

こういうことも実際にどのように対応したか、その記録の積み重ねの中から改善されていくといいですね。

 

 

 

「乳児用ミルクのあれこれ」まとめはこちら

液状乳児用ミルク関連の記事のまとめはこちら

合わせて「哺乳瓶のあれこれ」もどうぞ。

 

 

記録のあれこれ 46 災害時の医療施設の記録

医療機関が被災した過去の大きな災害で、私がその記録的なものを読んだのは阪神大震災が最初でした。東日本大震災では石巻赤十字病院の状況が書かれた本が出版されたり、医学系や看護系雑誌でも災害に関する記事が増えました。

ただどちらかというとあまりに被害が大きすぎて、細かなところから分析するというよりも大まかな全体像だけがまとめられて、また災害のことは忘れていくような感じです。

 

今回の台風15号のあちこちのニュースでも、被災した医療機関のスタッフや地域の保健師さんたちのことが伝えられていましたが、自身も被災した上に非常時の医療を担っていらっしゃる姿に、今何が必要なのだろうと考えても、それぞれの施設のニーズを知るには手も足も出ません。

 

事態が収束してからも、実際にどのような困難があったか、どのように対応したか、うまく行ったことだけではなく細かな反省点まで現場の報告を収集し過去の経験を蓄積できる体制にならないのはなぜだろうと、大きな災害が起こるたびに考えています。

もちろん生かされている教訓は多いだろうと思うのですが、これだけ災害の多い国で災害時の経験を束ねる体制がないのではないかと。

 

 

思いついた理由の一つは、医療機関というのは日常的にも急変といった非日常の業務と隣り合わせの上に、災害時には通常の診療に加えて救急医療的なことも担うので、現場はキャパオーバーになっていることもあるかもしれません。

災害のことを振り返る余裕もなく、また日常の診療をこなしていかなければならないので。

 

あるいは、それぞれの診療科や医療施設の規模などによっても災害時の問題点など特殊性が幅広いので、なかなか簡単にはまとめられないということもあるかもしれません。

 

また、日本津々浦々、医療施設がある地域の地理や状況もまたそれぞれ大きく異なることもあることでしょう。

 

ただ、先日の災害時の記録をつけていた方のニュースをみて、もしかしたら各施設でまずは時系列の記録を残していくこと、それをもとに災害ごとの医療のまとめのようなものを積み上げるシステムがあったら、そしてそのまとめをいつでも誰もが読むことができたら、もっと教訓を次に活かせるのではないかとふと思いつきました。

厚労省内に、医療機関の災害記録を収集保管する部署ってあるのでしょうか。

 

どのような災害で、どのように対応したか。

医療施設の災害史のようなものがあれば読んでみたいものです。

 

 

 

「記録のあれこれ」まとめは こちら

災害関連の記事のまとめはこちら

記録のあれこれ 45 災害時に事実を記録する

台風15号による千葉県内の甚大な被害のニュースは心が痛む毎日ですが、2〜3日前のニュースでこちらが励まされるようなことがありました。

 

偶然みたニュースでメモを取るひまもなく記憶は曖昧ですが、今回の災害が発生した直後から、手書きで時系列のメモを取り続けていらっしゃる方がいたことを取材していた内容でした。

 

「何月何日何時何分、何が起きたのか」。

医療現場の急変時の対応でもそうですが、パッと時計を見て時刻を確認する習慣はあっても、そのつど記録していかないとあっという間に曖昧な記憶になっていきます。

あとで記憶を頼りに思い出そうとしても、すでにつじつまが合わなくなりそうなことも出てきます。

まして、その時の感情に左右されていると、何が起きたかを正確に記録することはとても難しいものです。

 

ニュースで紹介されていた方は60代か70代ぐらいの男性でしたが、停電の中でも懐中電灯などの明かりの下で記録されたのでしょうか。白い紙に状況が刻々と記録されていました。

事実を記録することが習慣づいているお仕事だったのかもしれませんね。

 

さらに、市町村名は忘れてしまったのですが、その自治体ではすでにこうした個人の記録を集めながら、今回の災害の全容を把握しているとのことでした。

 

さまざまな方法で災害の記録が残されてきましたが、あとから記憶を辿ったものだと事実かどうか確認することが難しいものもあることでしょう。

たとえ映像などの客観的な媒体に残せなくても、こうした個人の記録でもあの熊野誌のように貴重な災害の記録になるのかもしれません。

 

防災訓練にこうした「記録すること」も組み込まれるとすごいかもしれないと思いついたのですが、 事実とは何かをいつも突き詰める訓練にもなりそうです。

ただ、これも日頃からできるだけモノローグではない記録を書き慣れているかあたりの積み重ねも必要そうなので、全ての人に合う方法ではないかもしれませんが。

 

 

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水のあれこれ 114 災害時の水がもたらすもの

昨年末に、房総半島に干潟という場所があることから房総半島を横断し、そのあと外房線、内房線を使ってぐるりと回りました。

その海岸線の美しさと様々な地形が印象的で、近々、まだ歩いていない房総半島の先端部を訪ねてみようと思った矢先の台風15号でした。

 

台風が去って2日ほどしてから、散歩で歩いた街、耳にした地名の状況が次々と伝えられその甚大な被害と長引く停電と断水のニュースを、毎日自分のことのように追っています。

 

あの房総半島の複雑な地形は、わずかの平地に家が集まり、道路や鉄道も海岸線や山肌のぎりぎりのところに造らざるを得ないところが多いようなので、昨年末から実際に散歩したことで災害時の復旧の大変さを想像できました。

 

*カビの発生*

 

今回の被害はまず風で家や鉄塔の損壊での大規模な停電や断水が想像を超えるものでしたが、それに続く低気圧の雨のあとにカビの被害が大変であることが伝えられていました。

災害時には、水の大切さとともに水の存在がもたらす感染症の怖さもあるのですが、その一つにカビがあることを思い起こさせました。

 

私が高校生まで暮らしていた地域は、年間三分の二が曇りか雨で湿度の高い地域でしたから、よく室内でカビを見かけました。1970年代ごろに出はじめた家庭用の小さな除湿機を購入したら、一晩でそのタンクに水がいっぱいになったことに驚いたものでした。

 

都内に戻ってきてからはそれほどカビを見かけることがなくなり、カビの怖さを忘れていたところがありました。

ニュースの映像で、青や白のカビが壁一面に生えている状況に、これも災害時の非常事態の一つだと感じました。

 

家のあちこちに置いてある温度・湿度計を見ながら冷房から除湿へ切り替えたり換気扇をつけておくのも、あの子どもの頃のカビへの恐怖心もあるのですが、停電したらすごいことになるかもしれません。

 

水の存在は腐敗や劣化の原因になるので日頃から非常時に備えて考えておかなければ、でもカビの発生を抑えるのは不可能そうだし、どうしたらよいのでしょうか。

具体的にどのような世代に、どのような健康被害があるでしょうか。

 

 

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水のあれこれ 113 福井市水道記念館

鉄道とバスの乗り継ぎも無事にうまくいって、九頭竜川のあちこちを見ることができたので、夕方の特急に乗るまであと3時間ほど時間があります。

地図で気になっていた福井市水道記念館へ行ってみることにしました。

福井駅から福武線に乗って、2つ目の足羽山公園入り口で降りました。

 

この福武線福井駅から市の中心部は都電荒川線と同じ路面電車で、途中から普通の鉄道になるという不思議なシステムで、西山公園の脇を通って越前武生まで走っています。

それぞれ別の路線だと思ったので、最初は乗り間違えたのかとドキドキしました。

 

少し小高い足羽(あすわ)山があり、そばを足羽川が流れています。

足羽川から取水して水道にしているのだろうと想像したのですが、全く違うものでした。

 

*水道水はどこからくるのか*

 

足羽山公園入り口駅から歩いて数分のところに、福井市水道記念館があります。

大正末期に建てられた水道施設が保存されています。

 

パンフレットには以下のように書かれています。

この施設は、福井市が水道事業を開始した大正13年、一本松浄水場から足羽山配水池へ水道水を揚げるための施設「足羽揚水ポンプ場」として建設されました。

以来、70年間使用されてきましたが、浄水場から直接水を配水池に送ることが可能になり、平成3年3月にその役目を終えました。

 

足羽山は40mほどの高さがあり、その頂上に配水池を作りこの揚水ポンプで一旦その配水池に水を溜めて、落差を利用して福井市内へと水を供給していたようです。

あの駒沢給水塔旧中島浄水場と同じように、電気を使って高いところに水を溜めて落差を利用して配水するものですが、所変われば方法もいろいろなのですね。

 

施設の歴史

大正時代までの福井市では、浄水されていない水を飲んで伝染病がはやったり、井戸が少なくて火事がおこってもすぐに消せなかったため、水道は市民の豊かな暮らしのためには、とても必要なことだったのね。

そこで第4代目の福井市長山品捨録(やましなすてろく)さんの時代に、水道を作る準備を進めて、大正13年に給水が始まったのよ。

この水道記念館は旧足羽揚水ポンプ場として、一本木浄水場から送られてきた水を、足羽山にある足羽山配水池に水を送る役目をしていたわ。

福井市民約10万人が使えるように、水道を整備するのに使われたお金は、その頃の、福井市の年間予算の4倍にものぼったの。

(展示より)

 

記念館を出ると、すぐそばに足羽山への「百坂」という階段があります。

見上げるような急な坂で、その日も猛暑日に近い気温の中、見ているだけでめまいがしそうでしたから、残念ながら池があった場所をみるのは断念しました。

 

 *芝原上水*

福井市の大正時代からの水道事業もすごいのですが、圧巻だったのは「江戸時代の福井の地図」に描かれていた芝原上水でした。

 

福井市内の地図を眺めていたときに、福井城の堀の水は近くの足羽川から取水しているのだろうと思いましたが、福井場の北側には九頭竜川からの芝原上水が1601年には造られていたことを、帰宅してから芝原上水を検索して知りました。

 

記念館の江戸時代の展示では、福井城の北側に何本も水路が描かれていて、あの江戸の給水法と同じ、江戸時代に使われた木や竹で作られた送水管が展示されていました。

玉川上水羽村から四谷まで築かれたのが1653年ですから、その半世紀も前にすでに福井では九頭竜川からの上水建設が行われていたということになります。

 

ああ、知っていれば二泊三日にして、この芝原上水を訪ねてみたかった!

また散歩の計画ノートに、予定が増えたのでした。

流域面積が「福井県の面積の約70%にあたる」という九頭竜川を一泊二日で理解しようということ自体が無謀でしたが、それでもけっこう要所要所は見ることができたと大満足のただひたすら北陸の川と海を眺める散歩になりました。

 

 

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