一日目に釜石市の中心を流れる甲子(かつし)川の水の美しさにほっとしました。
東日本大震災後では釜石市も甚大な被害を受けて、ニュースではしばしば映像を目にしました。
釜石市の「被害状況及び取り組み状況について」(2012年8月)には、車窓から見た真新しい場所の当時の写真が載っています。
津波が遡っていった川が、この甲子川でした。
この遠出であちこちのその10年後の風景を見て、ようやくこうした資料を読めるようになりました。
10月下旬に釜石を訪ねたあとしばらくして、「ポツンと一軒家」という番組が岩手県だったので録画して見ました。
戦後から山を開拓し牧畜を営んでいた方の家で、そこも「地割」の住所なのかなと、その暮らしの歴史を興味深く観ました。
そこに釜石市から訪ねてきた娘さんが映り、当時20代だった一人息子さんが津波に流されて亡くなられたことが伝えられていました。甲子川のそばを避難されている途中だったようです。
今現在の甲子川の近くの風景を見ていなかったら、感情が渦巻いて、途中でこの番組も観続けられなくなっていたかもしれません。
人が言葉にするのにも、それを受け止めるのにも時間が必要ですね。
*釜石線の沿線の風景*
三陸地域の美しかった風景に名残惜しい気持ちで、14時20分発の釜石線快速はまゆり号に乗りました。
乗車の直前に、釜石駅前で救急車が搬送の準備をしていました。
どこの病院に搬送されるのだろうと気になりました。地図では、ここからしばらく沿線にはせいてつ記念病院、釜石厚生病院、県立釜石病院、そして釜石バイパス沿いには国立病院機構釜石病院と総合病院が集中しているようです。
列車が走り出してから甲子川の水面を眺めつつ、病院の建物を追っていましたがいつの間にか通り過ぎていました。
今まで散歩をしたところでは、最近の総合病院は要塞のように大きな建物ばかりだったのですが、県立釜石病院までどの病院も沿線の住宅に隠れて見えない高さだったようです。
松倉駅のあたりから、静かな住宅地になりました。大きなお寺がありました。
正福寺、水田!
山の紅葉、山あい美しい!
そうこうしていると、車掌さんが検札に回ってこられました。「快速はまゆり」には自由席と指定席がありましたが、自由席も各車両数人ぐらいでした。
旧釜石鉱山事務所、陸中大橋
ヘアピンカーブ、圏外
鉱山鉄道、トンネルまた山、トンネル
地図でみて驚いた区間を走りました。1990年代初頭に軽井沢へ行くのに乗った信越本線の横川駅から碓氷峠を越えたことを思い起こしたのですが、それとも違って、列車はスイッチバックすることもなくヘアピンカーブを過ぎました。
早瀬川へ
足ヶ瀬のあと急にひらけた、水田!美しい村、黒瓦、川、稲刈り
岩手上郷、美しい、黒牛
遠野から見える山、落ち着いた街
遠野で結構乗車
猿が石川沿いへ、美しい!
北上川支流、
堤防沿い、桜の紅葉、綾織、美しい、水田地帯、農業用水タンク、低コスト圃場整備
黄金、少し渋い黄金
荒谷前、広い水田地帯
鱒沢、大船渡方面からの道、サイクリングロード
柏木平の先で猿が石川は西へ、
小さな地図にない川、水田!黄金
宮守、大きな集落、
遠くに滑り台のような坂道が見える、14度だが寒い、
岩根橋の手前、ダムを経て再び猿ケ石川
東和発電所、川幅広くなる
晴山、ひらけた
土沢の手前で川は西へ、山の間
見事な棚田
貯木、ため池、白鳥飛来
あっという間に1時間37分の車窓の風景が終わり、新花巻駅に到着して ただひたすら川と海を見に〜岩手・青森編〜の散歩が終わりました。
北上川流域や三陸海岸の風景を見ることができ、そして北上山地の海側は小さな沢や川があるくらいで、北上山地からの水は内陸側へと流れて北上川や馬淵川になる様子を見ることができました。
そしてさまざまな規模の水田がありました。
過去から現在へと、生活の変化を少し垣間見ることができました。
「散歩をする」まとめはこちら。