散歩をする 280 八王子霊園

昨年末から都立霊園のことが気になりだしてあちこちを訪ね、残すは八王子霊園です。

冬の八王子方面は寒そうでしたし、春になったら訪ねてみようと思っていました。

 

3月20日春分の日に訪ねました。

2連休でお彼岸しかも翌日は雨の予報でしたし、3月21日で緊急事態宣言も解除になるタイミングですから混雑するかもしれないと思いましたが、まあ、広大な墓地ですからね。

ふだんはこうした人出の多いタイミングを避けるのですが、八王子霊園の周辺はちょっと人気(ひとけ)が少なそうですから、歩くのに怖くないかもしれないなどあれこれと想像して決めました。

 

高尾駅に到着したら臨時バスがあるようで、長い列がすぐにバスに吸い込まれていました。

今まで高尾駅は中央線で通過するだけでしたが、駅構内や駅北口周辺のお店がたくさんお花を扱っていて、みなさんここで花を購入して乗り込んでいます。

小平霊園のようにお花を扱う石材店が並んでいる方が、もしかしたらめずらしいのかもしれません。

 

どんな墓地なのだろう、地図でイメージしていた場所へバスで向かいます。

 

武蔵野陵墓地*

 

八王子霊園がどのあたりにあるのか、今まで全く知りませんでした。高尾駅が最も近いというのもなんだか不思議な気持ちでした。

 

そして地図をよくよく見ると、雑木林だと思っていた高尾駅のそばの山が武蔵陵墓地でした。

ニュースで見る風景から、もっとひっそりと奥まった場所かと思っていたのですが、駅のそばでした。

もともと大正天皇が埋葬されていた場所だそうで、この地が選ばれた理由をWikipediaで初めて知りました。

横山村の地が選ばれた理由は、地震を考慮して地盤が強いこと、万葉集に「多麻の横山 」と詠まれたことなどによる。また墳丘の形式などは明治天皇伏見桃山陵が参考にされた。敷地内には数戸の農家や東照時や長泉寺などの寺社、民間墓所などがあり、交渉をして移転が行われた。こうして武蔵陵墓地および多摩陵が始まった。

 

「地盤が強いこと」、1923年(大正12)の関東大震災での経験からでしょうか。

 

バスは、武蔵陵墓地のすぐそばの坂道をぐんと登って行きました。

その敷地が終わった場所には、アパートが建ち並んでいました。

 

*八王子霊園と東京霊園*

 

坂道を登りきったあたりの「霊園正面」というバス停で、ほとんどの人が降りました。

降りると、反対側の東京霊園へ向かう人、八王子霊園の正門へ向かう人、東門へ向かう人と3つの流れができました。

 

バス停の右側にも大きな霊園があります。最初はここも都立霊園だと思ったのですが、東京霊園の公式サイトをみると、「50年の歴史を刻む、格式ある緑豊かな高級公園墓地」とありました。

 

八王子霊園は道路を挟んで二手に作られているようで、東門へと向かいました。

山を切り通した道の向こうに、山の地形を生かしたようななだらかな芝生が続き、芝生に直接墓石が並んでいました。

他の都立霊園のような区画の区切りがないことに、最初はなんだか違和感を感じたのですが、お彼岸で墓参にきた方々が、その芝生に椅子を置いて静かに墓石に向かっていたり、芝生の上でお昼ご飯を食べていたり、広々と自由な雰囲気でした。

「4月1日で、開園50年になります」という園内放送がありました。東京霊園と同じ時期に造られたようです。

国立公園や都立の自然公園の峰続きにあり、都立霊園の中で最も新しい公園墓地です。昭和46年に開設しました。64ヘクタールの面積を有し、その高低差は100メートルにも及びます。丘陵地の自然林に囲まれた起伏に富んだ地形を生かして造成された墓域のすべてが芝生墓所となっています。四季を通じて小鳥のさえずりが聞こえる広々とした雰囲気の霊園で、遠くに新宿の高層ビルを望む丘もあります。

(「TOKYO霊園さんぽ」) 

 

園内のソメイヨシノや山桜がちらほらと咲き、その根元にはタチツボスミレが咲いていました。

 

行く前に航空写真で確認した時には、だだっ広い場所に墓石が整然と並んでいる様子がなんだか団地のように見えました。

他の霊園だと、それぞれの区画に個性豊かに植物が植えられていたり霊園の敷地自体が林のようだったりするので、ちょっと味気ないかなという印象でしたが、実際に歩いて見ると芝生墓地は開放感がありました。そしてどこもよく手入れされていました。

 

そして、他の都立霊園のような名誉霊域といった差がなく、皆同じで平等という雰囲気も面白いですが、墓地が集まったこの地域で見ると、武蔵陵墓地、東京霊園、そして庶民の墓地という位置付けに見えます。

「庶民の」と言っても、使用料は「1,196,000万円」だそうですが。

 

やっぱり私は粉骨遺骨の樹林型合葬埋蔵施設がいいかな、そんなことを考えながら八王子霊園をあとにしました。

 

 

 

「散歩をする」まとめはこちら

 

 

記録のあれこれ 95 勝手に編集される

昨年の秋ごろだったでしょうか。いつも散歩の記録に利用しているiPhoneの写真をみながらブログを書いていたときに、写したはずの写真がないことに気づきました。

 

時々、記録がどこかへ飛んで行ってしまうインターネットの世界です。

iPhoneのメモが遠出の途中でごっそり消えた時には呆然としましたが、もしかするとあれは山中で電波が遠いところではないかと2回ほどの経験から考えました。「電波が遠い」とか、全くもって専門用語もわからないど素人の判断なのですけれど。

それ以来、山中深くに列車が入る前には一度メモを保存するようにしています。

 

ところが写真がなくなるのは今まで経験したことがありません。

ああ、また原因検索に時間を費やすのかとどんよりしていたら、右下に「キュレーション」と初めてみるボタンが描かれていました。

「キュレーション」、時々耳にする英語だけれど、私には縁がないのか日本語訳が思い浮かびません。

調べたら「選択して整理する」ような感じでした。

 

おそるおそるそこをタッチしたら、なんと全部の写真が現れました。

なんだ、消えてはいなかったのですね。

 

写真がなくなって焦ったのは、富山市の松川水門のそばの金比羅神社の由来を写したものでした。

川とか山などを写したものであれば、「似ている」とiPhoneが判断するのも仕方がないのですが、なぜあの写真が勝手に選択、整理されたのでしょうね。

 

その「キュレーション」もいつのまにかなくなり、「すべての写真」になりました。

でも「おすすめの写真」という編集機能があるらしく、そこにはなぜか一枚だけ海岸の写真が「おすすめ」されています。

 

なんだかよくわからないけれど、コンピューターの嗜好はあてにならないものですね。

 

とりあえず、あまり勝手に記録を選択、編集する機能はいらないのですけれど。

 

 

「記録のあれこれ」まとめはこちら

事実とは何か 80 2回目の緊急事態宣言と日常生活

ようやく明日、2回目の緊急事態宣言が解除になります。

さすがに年末ごろから発熱者も身の回りにではじめ、今度こそ院内感染をどう予防したらよいか、搬送システムはどうなるのか、スタッフ自身あるいは家族が感染者・濃厚感染者になった場合の診療はどうなるのかが一斉に現実問題になり、常に最悪のことばかり考える日々でした。

 

最悪のというのは、今まで適切な医療につなげられていた余裕が全くなくなり、お母さんや赤ちゃんの死亡率増加や後遺症を残すような対応の遅れです。

 

周産期医療ネットワークシステムが整備されたとはいえ、分娩施設が激減し、集約化されていったこの20年ほどですから、どこか一施設が診療休止になったらどこがそれを受け入れられるのか、ほんと、考えたくない事態です。

さらにこの20年30年で医療は高度化しているのに、医師も看護スタッフもそれに見合った人員ではない上に非常勤のスタッフも増えたので、誰か一人が休むとにっちもさっちもいかない現場のぎりぎり感があります。

そして、資格を持っていればすぐに即戦力になるでしょぐらいの認識を持った人がこんな緊急時に政治を動かす怖さもありました。

 

なんとか、あの冬場の恐ろしさを社会全体で乗り切ったという安堵感があります。

 

 

*社会も変化している*

 

でもやはり、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」なのですね。この2回目の緊急事態宣言が無駄だったかのような不満をいう声をテレビなどで耳にすることが増えました。

むしろ街頭インタビューで、「まだまだ自粛をしっかりしたい」「もう少し延長してもよかったのではないか」という声があったことに安心しました。

 

外ではほぼマスク姿の人ばかりですし、この一年間、ほんとうにどこに行っても人出が少なくなりました。

レストランやカフェをのぞいても、食べるとき以外にマスクをつけている人もけっこういます。

入院されている方も、あの呼吸が苦しいお産の時にもみなさん自主的にマスクをしてくださり、厳しい面会制限も受け入れてくださっています。

制限の多い中で、音楽とか芸術とかあるいはスポーツなど、工夫しながら再開されて、やはり生活に必要だったのだと痛感しました。

そしてあれだけ物がなくなっても、大混乱にならずになんとか乗り切りました。

落ち着いた社会だと思いました。

 

1年前には想像もつかなかった世界ですね。

 

矢面に立たされている専門会議や政府の方々や、自治体の方々の忍耐強い説明には頭が下がります。

もしこいう時に怒りや感情に任せて発言されるのを聞いたら、きっと社会は混乱したことでしょう。いつも静かに、淡々と会見をしてくださったことだけでも、考え方やイデオロギー、価値観の違いを超えて信頼感を持てます。

たしかに1回目に比べると漠然とした緊急事態宣言でしたが、社会全体でやはりよりよい対策方法を選択し、乗り越えてきた結果だろうなと私には見えました。

 

今はまだまだ「新型コロナに感染させない、広げない」が、社会の中の優先順位で最も高いことではないかと思います。

 

ただ、あと少しというところで、なかなか感染者数が減らないのは、やはり根本的なところで惜しいなあという行動があるのかもしれませんね。

ここは長期戦になりそうな予感。

日常生活のどこを見直すと、感染症にも強くなれるのでしょうか。

 

 

「事実とは何か」まとめはこちら

新型コロナウイルス関連の記事はこちら

 

 

 

シュールな光景 20 何を危険と感じるのか

「会話する時にはマスクをつけて」は言い換えれば、「マスクをしていなければ喋らない、唾を飛ばさない」なのですが、簡単そうで難しいのでしょうか。

 

最近では一歩家を出るときからマスクをつけっぱなしの生活ですが、唯一外すのが泳ぎに行った時です。

水着に着替え終わるまでギリギリまでマスクをつけ、泳ぎ終わったらまだ多少体が濡れている状況でもすぐにマスクをつけています。

それぐらいしないと、更衣室やプールでマスクを外した時の行動を変えられない人がけっこういることに驚きます。

至近距離で喋りかけられたり、咳をされることもしばしばです。

 

連れがいる人はやはりおしゃべりがやめられないようですし、一人で来ている人でも、なんだか人恋しいのか話しかけられたりされます。マスクをしていない状況で。

一人で泳いで、一人で過ごすことができない人、マスクをはずした時の行動を変えられない人がけっこういるのですね。

 

このあたりが難しいから、この感染症はなかなか収束しないのだろうなと感じているのですが、どうでしょうか。

 

*対応策には力が入る*

 

この一年間、いろいろな「思いついた感染症対策」がニュースになって、そのたびにそれはむしろ危険なのにと思うこともしばしばありました。

 

私が一番危険だと感じたのは、昨年3月ごろでしょうか、新生児にフェイスシールドをさせるというニュースでした。

たしかタイの病院で始めたと記憶していますが、アナウンサーが「かわいい〜!」と反応していたので、どうか日本では広まりませんようにと本気で祈りました。

効果よりはリスクの方が高いのでしょう。その後も周産期医療の中では話題にもならない方法でした。

この場合にはそれをした場合としなかった場合を検証する方が、せっかく無事に生まれて来た新生児を危険に晒すことになりそうと容易に想像できますからね。

 

それ以外にも空間除菌とか消毒薬噴霧とか、「良さそう」というイメージで広がっていくものも多かったですね。

先日も、電車内でアルコールを座席にシュッシュと吹きかけている小学生を見ました。

「1990年代前半までは、病院でも白衣や病室にアルコールをシュッシュとしていたけれど、その後標準予防対策によって意味がない方法になったのよ」と思わず声をかけそうになって、飲み込みました。

いつ頃からか家庭での除菌スプレーが広がり、この一年でも「うちでは対策をしています」と消毒薬を大量に噴霧するニュースを見かけるようになったので、なんだか効果がありそうと思う人が増えたのかもしれませんね。

 

結局は、昨年2月にはすでに厚労省から出されていた感染症への対応方法基本に忠実に実施し、さらに今回はマスクの有効性がわかり、つばが飛ぶのを防ぐあたりまで対応方法が整理されたと理解しています。

 

でも世の中を見ると、何が危険で何が効果があるかが逆になっているようにしばしば感じるこの一年でした。

 

 

「シュールな世界」まとめはこちら

新型コロナウイルス関連の記事はこちら

失敗とかリスクについての記事のまとめはこちら

数字のあれこれ 70 人口密度と確率

都道府県の人口について下書きを書いていたら、「首都圏直結の山梨県がなぜコロナ封じ込みに成功したのか」(ビヨンドヘルス、2021年3月15日)という記事を見つけました。

当選からわずか1年、新型コロナウイルス蔓延という国難に直面した山梨県長崎幸太郎知事。県独自の休業要請個別解除方式や"やまなしグリーン・ゾーン認証制度"など、全国から注目される様々な施策を矢継ぎ早に打ち出す。「やることが『賽の河原の石積み』にならないように」を肝に命じ、日々の対策に奔走する知事に、独占インタビューを敢行した。

 

山梨県は本当に「封じ込んだ」のだろうか、ちょっと気になって3月10日頃からの記事を読みました。

 

*「分母が増えると異常にあたる確率が増える」に似ている*

 

一年間、未知の新型コロナウイルスへの対応に戦々恐々としてきました。

昨年の今頃は、都内でも次第に感染者数が増えてきて、満員電車に乗っての通勤や勤務先で多数の妊産婦さんやそのご家族と接することで、自身も感染する可能性がどれくらいあるのかも見えずにいました。

しだいに付き合い方がわかるようになり、喋るときにはつばが飛ぶのを防ぐあたりが重要なのだと見えてきました。

 

ところが、世の中にはそういう大事なことがなかなか伝わらず、都内の感染者数が二千人を超える状況になりました。

検査数など状況が刻々と変化しているので、感染者数だけではないのですが、この頃から実感としても迫ってきた感じがありました。

 

というのも、案外と秋ごろまでは実際に感染したり、濃厚接触者になったという話が身の回りでまったくなかったのです。

通勤列車から吐き出されるように出てくる人の波を見て、都内の今日の感染者はこの列車一本の乗車人数のどれくらいなのかな、それは都内全域から見るとどんな確率で身の回りに起こるのだろうと、多いような少ないような困惑するちょっと不思議な感覚でした。

 

ところが冬になり、妊産婦さんやそのご家族で発熱する人が増えてきました。幸いにして新型コロナウイルス感染ではなかったのですが、面会や立会いなどを厳しくすることになりました。

 

人口がこんなに多い都内でも、感染者数がある水準を超えてようやく身近で起こるようになる。

それはあの分娩の分母が増えると異常にあたると同じような確率の問題なのかもしれませんね。多くの人は、何事もなくお産は終わると思ってしまうような。

 

患者数が少なくなると落ち着いたと思ったり、身の回りにそんな人はいないと思わずに、慎重になることが大事ですね。

 

*「感染症対策」をすれば大丈夫か*

 

封印したとしたら秘策は何だろうと思って検索したのですが、「山梨県知事『歓送迎会ぜひやって』 条件として感染対策呼びかけ」(産経ニュース、2021年3月10日)にこう書かれていました。

店に行く前は(1)県の感染防止基準をクリアしたグリーン・ゾーン認証施設を選ぶ(2)なるべく少ない人数で、普段一緒にいる人と行く(3)体調が悪い人は参加しないーと要請。

店では(1)短時間で済ませ、飲み過ぎはしない(2)斜め向かいの席かパーテーション越しに座る(3)席の移動やお酌はしない(4)はしやコップは一人一人で使う(5)会話するときはマスクをつけて大声を出さないーと定めた。

 

「会話するときにはマスクをつけて」

これを徹底させることが特に飲食を伴うときにはほんと難しいので、人口が多い地域ではそれだけ実行しない人の割合も増える、そこに苦慮している感染症ではないかと思います。

 

ただし、たとえ人口が少ない地域でもそういう人が一人でもいて、たまたま感染していてマスクなしに集まって喋ったり飲食すれば、一気に数人の感染者や重症者が出るのがこの感染症の怖さであり、対策の難しさですね。

ましてや、もう大丈夫と思う人が増えたら感染のリスクは高くなることでしょう。

無症状の人からの感染がスナイパーのように狙ってきますからね。

こんなことが起こるとは思わなかったと嘆くような、一生に一度起こるかどうかの稀なことが誰にも起こりうるのが、この新型コロナの怖さだと感じます。

 

やはり、確率の問題だと思えてきました。

 

 今年は静かに花を愛で、季節を過ごすようにして、これからも大勢の人が一斉に観光しなければ店が潰れるとか、酒宴がなければ経済がまわらないような社会ではない方向を目指した方が、またいつか起こる新たな感染症に備えることになると思いますけれどね。

 

 

「数字のあれこれ」まとめはこちら

新型コロナウイルス関連の記事のまとめはこちら

イメージのあれこれ 30 各都道府県の人口

3月12日、山梨県知事が「歓送迎会や謝恩会、お花見はぜひやってください」と県民に呼びかけたニュースを見ました。

 

山梨「ぜひ歓送迎会・お花見を」独自対策で感染者減

(テレ朝news、2021年3月21日)

 

東京都では12日、新たに304人の新型コロナウイルス感染が確認されました。4日連続で同じ曜日を上回っています。

”リバウンド”も懸念されるなか、政府や東京都の小池都知事は「お花見を控えて」とメッセージを出していますが、山梨県長崎幸太郎知事は「ぜひお花見をしてほしい」と反論しました。

長崎幸太郎知事:「送別会、歓迎会、お花見については、山梨県の感染状況が収まっているので、ぜひ大いに行っていただきたいと思うが、感染拡大リスクも引き続きあるので、こういう形で気をつけて頂いて会を催して頂きたい」

山梨県の新規感染者は今月に入って9人。12日現在の病床使用率は1.1%、重症者はゼロです。

知事の発言に対し、加藤官房長官は11日、歓送迎会やお花見などについては自粛を求めていると説明。今度は長崎知事が反論しました。

長崎幸太郎知事:「政府がやるべきことは、田舎の歓送迎会にいちいち口出しすることではなくて、もっと大きなことに気を配って頂きたい。そもそも感染防止対策の最前線の責任は各県の都知事にあるわけですから、我々山梨県の(感染)状況を、見て、歓送迎会、お花見は全く差し支えないと、注意をしながらであれば差し支えないと、そういう話をすることのどこが悪いんだと」

(以下略)

 

 

「田舎の歓送迎会にいちいち口出しすることではなくて」という発言を聞いて、ちょっと引っかかっていました。

 

*各都道府県の人口と感染者数*

 

この一年間、毎日、数字を追っています。いつ頃からか、東京都の感染者数が午後3時に発表されるようになったので、その時間にWebニュースをざっとみる習慣になりました。

こんなに各都道府県のことを気にした日々は、今までありませんね。

 

ダントツで多いのが東京、そして大阪、埼玉、千葉、神奈川、愛知、福岡などが続いています。一年間、これはほぼ同じ傾向で、やはり人口あるいは人口密度と感染症拡大は関係があるのだと実感しました。

 

患者数が少ない県だと一桁が続いているのに、多い都道府県は3桁、そして年末年始は4桁までいきました。

遠出の散歩で車窓から見えた風景や、Macの地図の航空写真でみる住宅の密集度と重なり合います。

 

ただ、案外と各都道府県の人口を知らないままに来ていたので、京都の感染者数が少ないのになぜ愛知の方が多いのだろうと、疑問に思いながらそのままにしてしまいました。

 

2017年(平成29)の人口が多い順でいえば、東京、神奈川、大阪、愛知、埼玉、千葉、兵庫、北海道、福岡、静岡、茨城、広島、京都、宮城と続いています。

そういえば、兵庫や静岡も感染者数二桁台が続いていましたね。

 

2015年(平成27)の国勢調査人口のグラフでは、愛知県は約741万人に対して、京都は261万人でした。

なんだか京都は人口が多そうというイメージは全く違っていました。

 

山梨県は83万人で、ちょっと意外だったのはお隣の長野県の209万人です。静岡は案外と多くて370万人でした。

車窓から見た風景は似ていたのですが、人口はこんなにも違うのですね。

このニュースのおかげで、私の漠然とした都道府県の人口を見直す機会になりました。

 

ただ、感染症対策では「田舎」というあいまいな表現ではなく、人口密度から考えた方が良いのかもしれませんね。

 

 

「イメージのあれこれ」まとめはこちら

新型コロナウイルス関連の記事のまとめはこちら

 

 

 

 

 

落ち着いた街 10 静けさを楽しむ

昨年に引き続いて、お花見の季節がやってきました。

昨年の今頃は社会から物が無くなったり、これからどんなことが起きるのかひっそりと、緊張感の中での生活でした。

それでも、1年後には落ち着いているだろうと楽観的だったのかもしれません。

まさかの2回目の緊急事態宣言下での春になりました。

 

でも、新型コロナウイルス感染症によってむしろ静かな春を楽しめることにほっとしている人も案外いるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

 

 

*狂宴と喧騒はいつ頃からなのだろう*

 

井の頭公園の近くに30年ほど前に住みました。

最初の頃に、桜の季節に行ってみました。

いえ、実際には引き返しました。

 

吉祥寺駅についた途端、お酒の匂いが駅の近くまで漂っていたことに驚きました。

公園へ向かう流れも駅に戻ってくる流れも、皆さん高揚しているのか大声です。

なんだか気がそがれて、引き返したのでした。

知人によれば、あちこちで宴の後に打ち捨てられたブルーシートやゴミが散乱していて、それを拾って帰ってきたとか。

 

それ以来、桜が散りかけて八重桜の季節になる頃まで近づかないようにしています。

春はお花がいっぱい咲くから好きなのですが、人を狂喜乱舞させるエネルギーもあるようですね。

 

この季節になると騒ぎたくなるのは仕方がないのかな、と思っていました。

 

 

*案外、うっとおしいと思っている人がいることを知った*

 

花見の酒宴については、どれくらいの人がどんな気持ちなのかはわからないのですが、新型コロナウイルス感染症の対策のおかげで、今まで知ることができなかったことをうかがい知る機会になりました。

 

それは電車内での会話に対してです。

「1分ぐらい沈黙してくれるといいな」と思うぐらい途切れることもなく早いテンポでしゃべり続けている人たちや、そういうプライベートな話は人のいないところでお願いしますと思う話を延々としている人がけっこういて、しかも騒音レベルの音量になっていることに気づけないようです。

 

こういうことはその場で注意できるようなことでもなく、じっと耐えながら「他の人はどう思っているのだろう」と気になっていました。

 この1年で、「コロナのおかげで電車内の会話が少なくなってホッとした」「なんで電車内でしゃべる人がいるのだろう」と感じている人が周囲にもいることを知りました。

 

 

案外と年中行事の花見の宴のニュースも、うっとおしいと思っているのにこの時期はそうしなければいけない雰囲気がつくられてしまっているのかもしれませんね。

こうしたムードはそんなに昔からではないような気がします。

 

静かに草花や池や川の流れを愛で、静かに散歩をしたり、ぼっとベンチで座って過ごす。

そんな場所がもう少し増えるといいのになと思っています。

 

 

「落ち着いた街」まとめはこちら

新型コロナウイルス関連の記事のまとめはこちら

行間を読む 104 エスカレーターに必要な身体能力

テレビのコマーシャルはシュールな世界ですが、それだけ現実の世界には毎日不安なことがあるからだろうと思います。

中年ぐらいになると膝や腰への身体の不調が出てきますね。本当に「腰」は体の「要(かなめ)」だと実感しました。

最近では足首に対して、よくもここまで体を支えてきてくれたものだとそのつくりや維持に無頓着できていたことを感じています。

 

抵抗のないように泳ぐために大事なので、足首の柔軟性は維持してきているのですが、それでも筋力や瞬発力など何か衰えてきているなと感じています。

 

それを日常生活で感じるのが、エスカレーターに乗る時です。

まず乗った後に、エスカレーター自体の動きに微妙に同調できていなくて、ふらりとぐらつくような感覚があります。

あ、こういう時にバランスを崩すのだなとヒヤリとするような。

10年ほど前のエスカレーターへの一歩が踏み出せなくなった母の姿を思い出しています。

 

エスカレーターに乗るための身体能力*

 

最近は、幼児ぐらいの子どもたちがエスカレーターの前で怖がっている状況を目にすることがないのですが、生まれた頃から当たり前のように乗り方を知っているからでしょうか。

スマホとかゲーム機器をサクサクと操作している幼児と同じで。

 

私には、あの動いているベルト状のものに乗るために、緊張し、怖かった記憶がどこかに残っています。おそらく1960年代初頭、都内にもまだエスカレーターがデパートなど限られた場所にしかなかった頃です。

それから半世紀以上、当たり前のようにエスカレーターに乗り、見上げるような長さのエスカレーターも乗り慣れました。

四方八方からくる雑踏から、エスカレーターを目指し、人の流れを滞らせないようにしながらエスカレーターに乗り、降りた後もスピードを落とさずに歩き切る。

なんだかすごい社会の中での身体能力の発達だと思い返しています。

 

Wikipediaエスカレーターの歴史を読み返していたら、こんな箇所がありました。

Piat社は1898年11月16日、段のないエスカレーターをハロッズナイツブリッジ店に設置したが、同社は百貨店側に特許権を引き渡してしまった。Bill LancasterのThe Department Store:a Social Historyによれば、「(初めてエスカレーターを)体験した客はそれによってへたり込み、店員が配った気付け薬とコニャックでやっと元気を取り戻した」という。

現在の階段式ではなくベルトコンベヤーのようなものだったようなので状況は異なりますが、120年前の人にとっては、「動く階段」に乗る身体能力はなくへたり込むようなものだったという話に、幼児の頃のあの一歩を踏み出す緊張感が重なりました。

 

ちなみに「動詞の"escalete"は1922年に登場した新語」だそうで、現在当たり前のようにエスカレーターに乗り降りしている動きは、一世紀前からは想像がつかなかったのかもしれませんね。

 

エスカレーターというと、最近では歩行禁止や弱者への配慮という話になるのですが、むしろ私はいつまであの機械に安全に自分が乗れるかということが気になり始めています。

運転技術と身体の反応速度が落ちてきたら免許返納するとか自転車をやめると同じような、自分の体の変化を意識して備えることが必要なことの一つだと、足首のふわりとした感覚から考えています。

 

 

「行間を読む」まとめはこちら

 

10年ひとむかし 78 海岸線の養殖場と内戦

ブラタモリ天橋立編で、舟屋を見てタモリさんが「マイ桟橋!」と喜んでいらっしゃった場面から、私も東南アジアで暮らした地域の「マイ桟橋」と「マイ浜辺」を思い出して、一瞬にして気持ちが海のそばになりました。

 

小さな漁村では、舟は2〜3人から数人乗れば満員になるような小さなエンジンでアウトリガーがついた漁船が一般的だったので、桟橋に横付けにするのではなく砂浜に乗り上げるのが一般的でした。

漁師の人たちの家は海のそばというより、海の上にまで張り出すように建てられていて、海の上に板で作られた通路が家と家を結んでいました。

日本の舟屋とも少し形態が違うのですが、家の中にいてもいつも小さな波の音が下から聞こえてくる、なんとも贅沢な場所でした。

 

今思うと、あの地域は台風もないし、日本のような夕方になると水辺で風が強くなるという変化も少なかったので、こういう建て方ができたのでしょうか。

 

ちょっと遠出の散歩でもできるだけ漁港や漁村のそばを歩く計画を入れているのですが、あの波の音や、船と船がかすり合う音など、世界中同じで幸せな気分になりますね。

 

養殖場らしい場所が拡大していた*

 

「マイ桟橋」から、1990年代初頭に暮らした懐かしい東南アジアのある地域の海岸線に記憶が飛びました。

最近はどんな感じだろうと、Macの地図を航空写真にして見てみました。

 

あの海辺に建てられた東屋でぼーっと波の音を聴いていた場所はどうなっているでしょうか。

航空写真で見る限り、やはり海岸線は森林に囲まれてそれほど30年前とは変わらなそうでした。

 

大きな湾になっている地域なので、対岸はどうだろうと航空写真を追ってみました。

そこには時々泊まらせてもらった、小さな漁村がいくつかあります。

あの頃、日本向けのエビ養殖場が造られ始めた地域です。

「東京ドーム1個分」どころではない大きな養殖場らしき場所が、あちこちの沿岸に見えました。

 

社会の現実の問題には重層的にものごとをとらえることが大事 なのですが、ちょっとこれはショックでした。

いえ、もう20年ほどその地域の定点観測から遠ざかっていますから、20年30年と経つと問題点も解決策も変化していきます。航空写真だけで何かを思い込んではいけませんね。

正義感にも扇動されず、事実とは何かを考えることが大事ですからね。

 

久しぶりにこの地域を訪ねたくなってみました。

ところが、現在は最も厳しい渡航中止勧告が出ていました。

あの90年代と同じ内戦状態が続いているようです。

 

 

 

「10年ひとむかし」まとめはこちら。 

 

食べるということ 67 魚屋さんの魚料理

散歩の時に、その地域の商店街とか市場のような場所があればふらりと立ち寄ります。

それぞれの地域の生活を少し垣間見ることができる場所で、思い起こせば私が20代の頃から好きでした。

あまり人が多い場所は基本的には好きではなく、人もいないひっそりとした場所を散歩することが多いのですが、市場とか商店街は別です。

 

私の近所の商店街も頑張っているのですが、ついつい忙しい毎日では離れたそれぞれのお店に行く時間が惜しくてスーパーで買い物をするので、おそらくその反動で、散歩の時には小さなお店の店頭を見て歩きたくなるのかもしれません。

 

さらに、お店の前で調理したものを売っていると、引き寄せられるように近づいてしまいます。

 

*魚屋さんの魚料理*

 

二十数年ほど前に働いた病院の近くで、商店街から離れたところにポツンと魚屋さんがありました。

自転車通勤だったので、時々少し遠回りをしてそのお店に立ち寄ることがありました。

煮魚とか焼き魚とか日替わりで、そのお店で調理したものが夕方になると並べられていて、疲れた時の夕食に重宝していました。

少々割高になるのですが、家に帰ってご飯を作る気力もない時には本当にありがたいものでした。

 

その記憶があるので、今でもふらりと立ち寄った商店街の魚屋さんの店先に煮魚や焼き魚があると近づいてしまいます。

魚屋さんの魚料理、美味しいですからね。

最近では近所のスーパーの惣菜コーナーでも、鮮魚部門の方が直接料理している魚料理が少しづつ増えて助かっています。

 

また、3年前に比べても魚のレトルト製品が格段に増えて、あの魚屋さんで買ったような美味しいものが手軽に買えるようになりました。

たくさん採れた時に加工して、無主物だった魚を計画的に食べるようになりつつあるのでしょうか。

 

 

 

「食べるということ」まとめはこちら